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織田と六角が同盟関係にあったのは本当?

はじめまして。 最近、気になっていることなんですが、織田氏と六角氏が同盟関係にあった時期があるということを耳にしたのですが、本当でしょうか? また、桶狭間の合戦においても、その関係上、六角氏からの援軍があったとか…確かに六角氏は伊勢にも進出していて、尾張にも兵を遅れなくはないと思いますが、実際のところどうなのですか?

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E7%BE%A9%E9%BE%8D 義龍は尾張織田家との戦闘が続くなか京都の将軍家足利義輝より一色氏を称することを許され美濃守護代家斎藤氏より改名、永禄元年(1558年)に治部大輔に任官し、永禄2年(1559年)には足利幕府相伴衆に列せられ戦国大名としての大義名分を得た。さらに南近江の六角義賢と同盟を結び、北近江の浅井久政とも戦う(一色氏は織田信長の根本領地である尾張知多郡と海東郡の分郡守護や北伊勢半国守護を継承した家柄であり、義龍の目指す侵攻路は、それだったとされる)。 以上引用を時系列整理 1558年 一色改名(尾張織田家との戦闘が続く中) 1559年  南近江の六角と結び北近江の浅井を攻める 1560年 桶狭間の戦い 織田と継戦している斉藤と同盟を結んだ六角と織田が結ぶとは思えないが、少なくとも1560年前後で。

noname#223577
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、1560年前後なら確かに同盟しててもおかしくないですね。六角斎藤同盟は六角織田同盟が手切れになった結果かもしれませんね。

回答No.1

結構有名な話と思いますが… 六角氏は隣国に浅井氏という敵がいました なので常に国境を脅かされ浅井氏とも度々戦っています そのころ上洛を目指す織田信長にとって途上の近江は必ず通らなければならない道です 信長の領地でもあった美濃は近江とも接しています つまり六角と織田が同盟を組めば浅井を挟んで牽制することも可能です この同盟は信長から持ちかけたようです しかし信長はご存知のとおり妹を浅井に嫁がせ浅井と同盟を結んでしまいます 激怒した六角は信長と手切れし信長と戦いますがあっさり負けて敗走 六角氏は滅亡しました 信長は六角氏の当主だった義賢を許しています 自分から同盟を反故にしたという反省みたいなものも多少はあったのでしょう のちに六角氏の居城だった観音寺城あとに安土城も建てています 逆に向こうから裏切った浅井の場合は徹底的に叩いてますしね

noname#223577
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 有名な話だったのですか。六角斎藤同盟は知っていたのですが、織田六角同盟は知りませんでした。

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