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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:It is ... と but について)

Understanding the Statement 'It is not for women to teach us our business'

このQ&Aのポイント
  • The statement 'It is not for women to teach us our business' is unclear and difficult to understand when considering its connection to the subsequent quote by St. Paul. The translation of 'それは女性が我々に仕事のことを教えることではない' does not clearly link to the preceding sentence.
  • The phrase 'but they are commanded to be under obedience' at the end of the quote raises questions about its purpose and whether it has a special usage. When translated as 'しかし、律法が命じているように、服従すべきである', it seems contradictory to the preceding and following sentences.
  • Due to a lack of English proficiency, the author of the question is seeking clarification on the meaning and connection of the statement 'It is not for women to teach us our business' and the subsequent quote by St. Paul. Any guidance on this matter would be greatly appreciated.

質問者が選んだベストアンサー

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  • Him-hymn
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回答No.2

(1)最初の It is not for women to teach us our business ですが、 「我々に仕事のことを教えることは女性のためではない」 「それは女性が我々に仕事のことを教えることではない」 →この場合、「我々に仕事のことを教えることは女性がすることではない」だと思います。 ★後続のパウロの引用文ともどうつながっているのやら。。。特に後者は「それは」と訳しましたが前の文にそれに該当するものがありません。 →「それ」ではありません。itはto teach us our bisinessを受ける意味上の主語と考えることができます。 ただし、この場合for womenという不定詞の意味上の主語がついていますから、文頭に不定詞to teach . . . を持ってくるのはよくありません。 (2)引用符の中の英文の最後にあります but they are commanded to be under obedience ですが、この but は逆接ではなく何か特殊な用法なのでしょうか。 →新約聖書コリント人への手紙第一の14章34節からの引用です。これはKing James Versionと言って、17世紀はじめの訳で、古い英語使われていますし、ギリシア語からの訳ということも注意が入ります。 Let your women keep silence in the churches: for it is not permitted unto them to speak; but [they are commanded] to be under obedience, as also saith the law. これは、妻達(女性)が最初にしてはいけないこととして、教会でしゃべることが上げられています。そして、すべきこと(これがしてはいけないことと対照的に書かれているのでbutが使える理由がある)として、神に従うことが上げられています。特に特殊ではありませんが、現代の英語だと普通の言い方ではないのは事実です。 以上、ご参考になればと思います。

Eusebios
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >→この場合、「我々に仕事のことを教えることは女性がすることではない」だと思>います。 不定詞以下を否定している感じでしょうか。 >これは、妻達(女性)が最初にしてはいけないこととして、教会でしゃべることが上>げられています。そして、すべきこと(これがしてはいけないことと対照的に書かれ>ているのでbutが使える理由がある)として、神に従うことが上げられています。 なるほど、そういうことでしたか。してはいけないこととすべきこと、と対照的になっているんですね。とてもよく理解できました。 詳しく説明して頂きありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • shingo5k
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回答No.3

1) It is not for women to teach us our business. 女が我々に我々の仕事を教える事はあってはならない。 2) We agree with St.Paul on this matter: 我々は聖パウロの言う次の言葉に賛成だ 3) ‘Let your women keep silence in the churches: 女どもを教会の中で黙らせておこう for it is not permitted unto them to speak; なぜならば、女どもが声を出す事は許されていない but they are commanded to be under obedience...’ そうではなくて、女どもは従順であるように命令されているのだ >>後続のパウロの引用文ともどうつながっているのやら 女に自分の意見を言わせるなという事で、パウロの一説とつながります >>前の文にそれに該当するものがありません。 it は それ以降の to speak >>この but は逆接ではなく何か特殊な用法なのでしょうか。 「喋る」のではなく 「従順」でいる のですから逆接です

Eusebios
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 わかりやすい訳までつけて頂き恐縮です。 >女に自分の意見を言わせるなという事で、パウロの一説とつながります なるほど、たしかにそうですね。正しく理解できました^^

回答No.1

(1) どちらかと言えば,前者です。 つまり,it は形式主語で= to 以下。 ただ,この S is (not) for ~. は「S は~のためのものである(ない)」 我々に仕事を教えることは,女性のためのものではない。 (2) for ~は「というのも~だから」 not A but B で「A でなく,B」という基本表現です。 日本語では「しかし」的にはなりません。 私なりの理解としては前半は A についての否定, 後半は B についての肯定。 A と B 自体は逆接的関係でなくても,否定・肯定が逆になっているのをつないでいる。 A と B の内容をこめると,「A でなく,B」的な訳にならざるを得ません。 女性は教会では黙らせておきなさい。 というのも,女性には話すことが許されておらず,服従するように命ぜられるのである。

Eusebios
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >not A but B で「A でなく,B」という基本表現です。 なるほど、そうでしたか。こういうパターンは見たことなかったので、それには気づきませんでした^^; >日本語では「しかし」的にはなりません。 >私なりの理解としては前半は A についての否定, >後半は B についての肯定。 >A と B 自体は逆接的関係でなくても,否定・肯定が逆に>なっているのをつないでいる。 否定・肯定が逆になっている場合もつなぐんですね。 大変よくわかりました。 ありがとうございました。

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