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文章の意味を教えて下さい。
斎藤緑雨の次の文章の意味を教えて下さい。 「男のほれる男でなけりや、真の年増は惚れやせぬ。窮めたりといふべし。されども惚れらるゝは、附入らるゝなり、見込まるゝなり、弱処にあらずんば凡処を有するなり。程や容子や心意気や、其何れを以てするも、われより高き人のわれに惚れるといふの理なし。」
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何度もすみません、No.2です。 回答を読み返したのですが、 >程や容子や心意気や の「程」を訳していませんでした。 この程とは、「身の程」という意味で先のご回答者が訳していらっしゃった通り「身分」という意味だと思います。 また、原文を読み返すうちに解釈が変わって来ましたので、手直しを兼ねて以下に訳文を再投稿します。 “男が惚れ込むほどの男でなければ、これぞという縁を大切にしている年増女は惚れたりしない。恋愛とは突き詰めればそういうものだ。とは言え、惚れられるということは、付け入られること、見込まれることでもあるゆえ、これを弱みや辛みとは受け取らずに、ごくありふれたことと捉えよ。身分や容姿や心意気や、その何れを以てしても、自分より優れた人(女性)が自分に惚れるなどというわけがない。” ** 恋愛においては、男性は女性から期待されることが多いということを覚悟しておきなさい。それ(期待されること)は、ごくありふれたことなのだから。 男性は惚れられた以上、女性の能力に期待するのではなく、期待に応える側に立ちなさい。女性から守られようなどとは決して考えず切磋琢磨しなさい。 …そういうメッセージが原文には込められているのかな?と思いました。 「弱処にあらずんば凡処を有するなり」これについては、今回も我流ですが、 弱処=弱み・辛み・弱点 凡処=ごくありふれたこと・平凡なこと という解釈で現代語訳に直しました。
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難しいですね。特に「弱処にあらずんば凡処を有するなり」が難解でした。 自己流の解釈でも宜しければ、参考にしてください。 “男が惚れ込むほどの男でなければ、こと理想の高い年増女のお眼鏡に適いやしない。それほどまでになれば男を極めたと言える。しかし、惚れられたなら、付け入られること、見込まれることを苦にせず、いつもと変わらずにいなさい。容姿や心意気や、その何れを以てしても、自分より優れた人が自分に惚れるという道理はない。(惚れ合うまでの間柄になれば、釣合いが取れていることはあっても、相手よりも劣っているなどということは決してないのだから。)” 男性に対する応援歌といったところでしょうか。 「男は臆せず、女性から惚れ込まれたのなら堂々としていなさい。」 そんな意味で書かれたものではないかと思いました。
- fujic-1990
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男が惚れるほどの男でなければ、本当の年増女は惚れたりしないものだ。 それが物事の本質というべきものだ。 とは言っても、惚れられるとは、つけこまれるということであり、見込まれるということで、弱い所でなければつまらないところがあるということだ。 身分や容姿や心意気や、そのどれをもってしても、自分より優れた人が(劣っている)自分に惚れるという理屈は成り立たない。 (惚れられたければ、すべてに優れた人間になれ) くらいでしょうか。 「弱処にあらずんば凡処を有するなり」の「弱処」と「凡処」がいまいちわかりませんが、「"弱点・短所"とまで言って悪ければ、普通の点を持っている」くらいの意味かと解釈しました。