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意味を教えてください。

「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王帝釈等の仏性と舎利弗目連等の仏性と文殊弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。」「依法不依人 依義不依語 依知不依識 依了義経不依不了義経」の真の意味を教えていただけませんか?

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  • abc2008
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回答No.2

 前の部分は日蓮上人の言葉で、我々は元々誰でもその生命の奥底に仏性(仏の生命)というすばらしい生命力を持っていて、これを妙法というのですが、これは煩悩や我見等で覆われているため、なかなか顕現しないのですが、南妙法蓮華経と唱えることで、鳥の例えにあるように呼び呼ばれて、そのすばらしい生命力が顕れ、それにより人々が抱える様々な苦悩(病苦、経済苦等)を見事に克服していくことができるというもので、何も特別な人が仏になるわけでなく、国籍、性別、年齢等に関係なく誰もが本来この仏性を秘めていて、ただ、大部分の人はこのことに気づかず、そして使うこともなく、いわゆる「宝の持ち腐れ」状態のままであるということです。例えば、中東産油国も昔は砂漠の不毛の地で何の価値もない最貧国扱いでしたが、その地下に巨万の富をもたらす資源の存在を教え、開発したからこそ最貧国から最富国へと様変わりしたのではないでしょうか。  ですから、仏法というものも、誰の中にも仏性という、すばらしい資源を抱えていて、そのことを人々に教え、気づかせ、使わせるために存在するもので、「成仏の成とは開の義なり」という言葉があるように仏に成るとは、正確には我々誰もが本来持つ、仏の生命を開き顕し、そのすばらしい力を使ってその生活、人生を豊かにして幸福になっていくということなのです。  後の部分は、仏法の基本的スタンスで、ひっくるめて言えば、本来、前述にあるものは法華経に説かれていて、法華経にこそ真意、元意があり、その中でも『妙法』という法を拠り所にして、南妙法蓮華経と唱えるようにすべきで、仏像や宗派の教祖の教え等、あるいは法華経に導くまでに説いた様々な方便の教経を決して拠り所にしてはならず、まさに我慢偏執の心無く仏法の真髄である妙法のみを拠り所にして行きなさい。というものです。  仏法というと、何か幅が広くて煩雑ですが、云わんとしている点は、上述のように、すべての人が本来秘めて持っているすばらしく価値ある力を各自発揮させて、自力本願の所願満足の人生を歩ませるためにあるのであって、他力本願、御すがり信仰等は仏法の対極に位置するもので、そのようなものは仏法ではないということです。

takashi-99
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。私も今まで勉強していましたので,今は末法の世の中であり,久遠元初自受用身如来の南無妙法蓮華経のみが成仏できる唯一のものであるということが,ハッキリとしました。また,今は折伏をする時であり,いかに誹られようとも非難されようとも三障四魔が競い起ころうとも勇猛精進していかなければならないのですよね。地湧の菩薩として。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • 080205k
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回答No.1

何処の部分をご質問されておられるのか、 全文か最後の文か分かりませんでしたので最後の文についてのみ言及します。 直接的には 「法に依て人に依らざれ 義に依て語に依らざれ 智に依て識に依らざれ  了義経に依て不了義経に依らざれ」 という意味です。

takashi-99
質問者

お礼

私も少し勉強しておりましたので遅くなりました。ありがとうございました。この法・義・智・了義経とは,正法・像法の時代は法華経のことですよね。末法の時代には南無妙法蓮華経なのですよね。前文の意味は別述のとおりですね。現当二世で本当の幸福を摑んでみせます。

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