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なぜ“た”型を使いますか
助動詞の“た”は、過去の意味、動作、行為の完了、実現のほかに、発見、確認、気づくなどの意味を含んでいます、例: 君だったのか(発見)、何だ、こんなところにあった!(発見、気づく) お前も来てたのか(発見) 《北斗の拳》というアニメの中の場面: 悪党は健四郎を暗殺しようと、からくりを見破られて、逃げられたのです。その際、悪党はこう言った: 貴様、また生きていたのか? (すでに死んでいたと思いきや) 質問: なぜ“た”型を使いますか、なぜ:また生きているのか?と言わないのですか この“た”は、発見、気づくなどの意味ですか? 私はそう思うが、決まられないのですから
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- princelilac
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回答No.2
説明する人によって言葉は違いますが、質問者さんの考えでいいと思います。 物事や事態の「確認」の時に使います。 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 トンネルの途中で雪国に入っていたのだが、気付いたのはそれよりも後のことです。抜けた後で気が付いたので過去の「た」が使われているのです。 「雪国である」なら、一般論としての紹介、 「生きているのか」なら、攻撃の最中の言葉になります。
- ゆのじ(@u-jk49)
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回答No.1
「~た」を発見などと妙な括りをしてはいけませんね。単に「過去」の表現だと覚えましょう。 「~である」という現在形に対する「~であった」という過去形ということにしましょう。 >また生きていたのか? 過去に、ある事件があり、その時、死んでしまっているはずという認識があったのに、生きていたという場合の表現。過去に遡って、死んだはずが生きていたということ。 「生きているのか?」と言ったら、いま、現在、死ぬべきほどのダメージを与えられているのに生きているという話になってしまう。