まずは、古代・中世・近代という時代区分法ですが、これはヨーロッパ史の関連でヨーロッパで生まれた区分方法です。
ルネサンス期に古代ギリシア・ローマの文化や哲学が復活していきます。
その時に、古代ギリシア・ローマに対して、その文化や哲学が失われた時代として「中世」が位置づけられました。
そして、「中世」からの脱却として「近代」が位置づけられます。
その後、「中世」と「近代」への転換期として「近世」が作られました。
そして、歴史学が学問として確立し現在進行形の歴史を意識するようになり、「現代」が生まれていきます。
このように、元々がヨーロッパ史の時代区分法だったのです。
それを明治期に日本の歴史に取り入れたのが、日本史でもこの区分法が使われる始まりです。
しかし、当然ですがヨーロッパとは歩んできた歴史が違う。
なので、どこから中世とするかは歴史家や研究者によってマチマチでした。
戦後まもなくの間は、所謂「時代区分論争」というのが行われていました。
それは今でも続いていますが、かつてほど盛んには行われていませんね。
むしろ、時代区分云々をいうよりも個々の現象を見ていこうというのが、最近の歴史学界の風潮でしょうか。
ただ、かつての名残として、未だにこの歴史区分法は使われています。
そして、日本史では朝廷が政治の主導権を握る時代から武士が主導権を握る時代へと変化していくのを受けて「古代社会から中世社会へ」と考えられています。
まぁ、個人的意見としては、明確な変換点というのがあることは少ないので、大体この辺が中世だろうとアバウトに考えてもいい気がします。
というよりも、時代区分云々より、やはり歴史の流れが大切な気がします。
時として、この時代区分法はこの流れを見失う結果に陥りますので、日本史には向かない区分法だと感じています。
お礼
ありがとうございます。Scullさんのような逆からの発想は思いつきも考えもしませんでした。とても参考になります。