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いろいろな方言が存在するのは何故?

日本の学校では、全国一律で標準語を学ぶと思うのですが、どうして標準語を学んだにもかかわらず、方言というものが存在してしまうのでしょうか?

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回答No.4

私が知っている範囲ですが、主に、京都や奈良を中心に同心円上に言葉が広がっています。だから、同心円の中にある言葉は、似通った部分があります。松本清張の『砂の器』で、犯人が、東北弁のような言葉をしゃべっているので、最初は、東北の出身者ではないかと探すのですが、実は、島根県だったということが分かります。 地方の言葉の語源を調べると、非常に古い言葉が残っています。本州では、江戸時代の言葉が、そのまま凍結して残っていこともありますが、沖縄地方では、室町時代以前の古い言葉が残っています。文法体系は明らかに日本語ですが、方言には文法にも古い部分が残っているとと聞きました。(未確認) たまたま、沖縄の周辺の島からやってきている人たちの話で、東京に出てきても、国に戻る人が多いのは、言葉の障壁があるからだと言っていました。 古来、東京地方の言葉は、京都からみれば、田舎の言葉だったわけです。 私は、いつも思うことですが、東京の隅田川の東の「墨田」、徳川の「松平」の苗字は、アクセントが、東京方言では、墨田のスに、松平のマにアクセントがありますね。それは、江戸時代からの名残りだそうで、これは静岡県西部や愛知県東部の三河方言に、同様のイントネーションがあります。徳川家康の影響だろうと思いました。 明治時代の中期から、標準語政策をして、言語的に国家統一を図ろうしたけれども、どうも徹底できなかったようですね。太平洋戦争前から、日本語の統一は、乱れていたような形跡があります。 >方言というものが存在してしまうのでしょうか? 私は、方言というものは、その地方の人のアイデンティティにつながるものだと思うのです。お国ならではの独特の表現があります。宮沢賢治の『永訣の朝』の詩の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」などは、方言で書かれていていますが、それを標準語に直したのでは、味も素っ気もなくなってしまいます。方言には、その地方独特の気候や風土を表したものもあります。そういう部分では、なくなっていかないような気がするのです。 また、その国の人、独特の気質を表すこともあります。『がっちりマンデー』という日曜の朝の番組で、静岡県浜松地方の「やらまいか」という言葉が出ていましたが、「やってみようか」という意味だそうです。それを、街を上げてスローガンのようにするのは、ヤマハやスズキというメーカーなどの気質にも現れているものだと思います。

bururutti-2
質問者

お礼

言葉の統一って結構難しい問題だったのですね。 方言ってその地方の個性と捉える考え方もあるのか。 方言には方言の良さというものがあるのですね。 回答ありがとうございました。

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その他の回答 (6)

  • kyo-mogu
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回答No.7

 方言の出来方としてテレビで紹介されたかな?の情報です。  まず、昔は藩ということで地域が分けられていました。また人の移動を制限もしていたようです。今のように人が自由に行き交い出来ない状態だったので、その地方独自の言葉が残っている事も有ります。  言葉は探偵ナイトスクープのアホと馬鹿の境を調べたときに、京都を中心とした言葉の広がりがあったようです。ほぼ同心円状で広がっている状態です。その為に、全く離れた地域で同じような言葉があったりします。  それと言葉は子どもの時から聞き慣れ親しんでいるので、そう簡単には変わりません。それと標準語では伝わりきれない部分も多く、それらはなかなか消えませんが、実は結構消えつつあります。お年寄りと若者とでは実は使われてない方言も多数あります。  京都でもよくまねをされますが実際には、あまり使われていません。  それと、関東などは言葉は標準語だけどアクセントなどになまりがあるそうです。  ただ、この方言などは実は昔の言葉を調べるには便利なんです。発音も鼻濁音が出せる出せないなどもあります。文字だけが残っていても、それがどういった発音かもわかりませんから、方言とか祭りの歌などからも見つけ出せることもあります。  方言は消えつつあるが、ネットなど特有の言葉もあるいみ方言かと思います。

bururutti-2
質問者

お礼

昔からの方言も、どんどん共通語に侵食されて消えつつあるという事ですね。 回答ありがとうございました。

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  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.6

テレビの影響という意見はその通りだと私も思います。 戦前戦中にかけては方言を使ったら罰則などという「教育」だったそうですよ。 特に沖縄などは本土から行った軍隊や偉い人にはわからない言葉で話されるのを警戒したそうです。 復帰前の沖縄の言葉は今よりもっとわからなかったので、テレビの教育は学校や軍隊よりも強いということになるのでしょうか。 https://www.google.co.jp/#q=%E3%82%A6%E3%83%81%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%81%E3%80%80%E5%BC%BE%E5%9C%A7

bururutti-2
質問者

お礼

やはり学校教育よりテレビの方が影響力があるということなんですね。 回答ありがとうございました。

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回答No.5

日常の会話は方言で行うからだと思います。 中学校で古文や英語を習いますが、だからと言って古文や英語を日常会話で使うようになるわけではないのと同じだと思います。 私の場合、共通語は学校よりもむしろテレビで覚えました。 地域や時代によって違うのかもしれませんが、私の場合は授業も方言で行われました。方言を修正するような教育は行われませんでした。 (と言っても先生の説明が方言だっただけで、教科書を読むとき・発表するとき・テストの答案・作文は共通語で行いました。) 若い世代が方言を使わなくなってきたのは、学校教育よりも、テレビの影響と世代間交流の少なさが原因ではないかと考えます。 テレビで言葉を覚え、上の世代(方言を使う世代)との交流が少なければ、方言を覚える機会が少なくなると思います。 ちなみに日本語には標準語は無いのだそうです。(Wikipediaの「標準語」には「標準語を定義・規定する団体や法律が存在しない」とありました。) 小学校の指導要領では「共通語」となっているようです。私も30年くらい前ですが「共通語」と習った記憶があります。(手元に教科書が無いので確認できませんが。) 学校では「共通語」と習ったはずなのに、大人になるとまわりにあわせて「標準語」と言ってしまう。共通語で話すかどうかも同様で、学校で習ったことがそのまま定着するわけではない、ということだと思います。

bururutti-2
質問者

お礼

>日常の会話は方言で行うからだと思います。 なるほど、確かに学校でも会話する時だけは方言になりますね。 >ちなみに日本語には標準語は無いのだそうです。 なんと、日本語に標準語は存在しなかったのですか。 試しにwikipediaを見てみましたが、標準語と共通語って別物だったのですね。 次からは、標準語と共通語を使い分けることにします。 回答ありがとうございました。

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  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.3

2です。 今思っていらっしゃる方言というのは本当の意味での方言というよりは、方言の影響を受けた共通語だと思います。イントネーションなどが多少違ってもそれは共通語には違いないでしょう。 そういう微妙な違いにすぐ気がつくのは人間が群・社会を持つ動物だからではないでしょうか。 社会に同調しようという意識が生活の上で近い社会の言葉を同じにして行く一方、ちょっとの違いも敏感に聞き分けるのではないでしょうか。つまり今の社会は人間の動物本来としての群れの大きさを大きく超えてしまっているからそういう矛盾した事も起きてくるのではないでしょうか。

bururutti-2
質問者

お礼

現在の方言は「方言」と呼べるほど言葉に差があるわけではないのか。 現在の言葉の違いは、昔からの名残りみたいなものなんですね。 回答ありがとうございました。

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  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.2

方言があるから標準語(共通語)が必要なわけです。 方言が無いのなら共通語を「教育」する必要はありません。 昔はテレビや全国紙のようなメディアはありませんでしたから、地理的な隔たりはそのまま言葉の違いでした。ですから方言も今の比ではなかった。離れた地域の人であれば何をしゃべっているのかすぐにわからないのが当たり前でしたから、明治以降の中央集権的に国や経済を作り直すためには共通語が必要だった。それを標準語と名付けて必修とする必要があったのです。 江戸時代には例えば鹿児島=薩摩藩では防衛上の観点から他の藩から来た人がすぐわかるように独特の方言を考案して使うようにわざとしていました。そういう幕藩体制から明治の中央政府に統治形態が変わるにあたって共通語も必要なものだったのです。 今はテレビというものがあって、その影響が強過ぎるぐらいですから共通語の教育はほとんど必要の無い物になっていると私は思います。

bururutti-2
質問者

お礼

当時は完全に言葉がバラバラだったのですか。 地方間でコミュニケーションが取れるのは、全国一律で標準語を学ばせたおかげなのですね。 回答ありがとうございました。

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回答No.1

昔は山や川などの自然の地形のために人の住む場所が区切られていたので、その地域ごとに言葉が変化していきました。現在は放送などで標準語に触れることが多くなりましたが、昔からのことばも残っています。普通教育が定着してからは、書き言葉で方言を使うことはないと思います。しかし話し言葉は生まれながらの母語の影響が強く、訓練しなければなかなか変えることはできません。 放送などの影響で方言が少しずつなくなっていると思います。このような傾向は今後も止まることはないと思われます。しかし、それでもなお方言が完全に消滅することもないと思うのですが…。

bururutti-2
質問者

お礼

なるほど、書き言葉の方は標準語になっても、話し言葉の方はなかなか標準語に直せないのですね。 回答ありがとうございました。

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