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日本史 米について
日本で白米が一般庶民の食卓にも並び主食として食べられるようになったのはいつごろですか? 玄米や黒米、赤米などに比べてずっと遅いと聞いたことがありますが・・・
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主食であったのはN02さんが回答されておられるように弥生時代からですが、米はお金の代わりに流通していたために換金されることが多く、経済状態によって頻度は異なっていたようです。 納税も米が主体でした。 ただ、米の調理方法は初めは蒸していて、あとから炊くようになったと言われています。 元来南方の作物ですから、その年の気候条件で収穫量は大きく変動していました。 粟や稗は比較的安定していました。 黒米 赤米と白米は同時にありましたが、味覚が合わずに白米が残りました。 よく武家の大きさを表すのに○○石というは、それだけの米が採れる領地と言う意味です。 江戸時代、下級武士は領地ではなく米を支給されていましたが、これを換金していたのが札差と呼ばれる商人でした。 大名家のような大量の米の換金は大阪の商人が主体でやっていました。 春に秋の米の取引値段を決める手法が早くから発達していて、今の商品相場の先物取り引きの発祥は日本の大阪です。(世界初) 玄米は精米の初期段階のもので精製すれば白米です。面倒だから玄米の状態で食べていただけです。 玄米には胚芽がついていて、栄養バランスを保っていましたが、江戸っ子は粋がって手間のかかった白米だけを食べ脚気になっていました。(味もよかったのでしょう) 江戸っ子が「おてんとうさまと白いめしはどこへでもついてくる」と言ったのは、札差が売り出した米が市中に豊富にあったせいです。一般に、江戸や大阪では、相対的に米が安く、一年中手に入ったことから矢鱈に米ばかり食べていました。 地方が貧しくなったのは明治になってからです。 (貧しかったら伝統芸能などが発達継承しません) 下記参照 貧農史観を見直す 佐藤常雄 大石慎三郎 共著 講談社現代新書
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- あずき なな(@azuki-7)
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弥生時代…でしょ 普通に考えたら
- fujic-1990
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歴史学者ではないので、正確にはわかりませんが、ヒントはあります。 江戸時代後期、「江戸患い」という風土病が江戸で流行しました。 脚気のことです。 理由は、江戸っ子の自慢の一つ「拝み搗きの米」を食べたから。厳密に言うと、白米ばかり食べて野菜などの副食を十分に食べなかったから。 「拝み搗き」とは、両手で拝むように持った杵で米を搗いて白米にすることです。つまり「拝み搗きの米」=白米。 この事実から2つのことがわかります。 1つは、江戸時代後期、江戸では白米を食べていたこと。 2つめは、そのころ、江戸以外では白米は食べていなかったこと。 江戸以外でも白米を食べていたのに江戸患いがなかった可能性はあります(野菜も食べたなどの理由)が、江戸っ子が白米を食べていることを自慢の1つにしていますので、「田舎では食べていなかった」と見るべきでしょう。 江戸時代後期とはいつのことかと聞かれそうですが、正確にはわかりません。少なくても文政年間(1818年~)には大流行していたようです。 大流行というからには、誰も彼もが白米を食べていたということであり、そこまで習慣が広がるには30年や40年はかかりそうに思います。