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神の善悪に対する基準について
仮に神様という人物が存在するとして、天国と地獄という 風に分けていますが、神様の基準て人間と似てるんでしょうか? よく悪い事をした人は閻魔大王のいる地獄へ行く、人を殺した人は地獄へ行くといい、善い行動をしている人物、徳を積んだ人は天国へ行くとなぜか 耳にしたり教えたりしていますよね?(一部は違うと思いますが) それならば戦国時代等で大切な人を守るために戦って死んで行ったり 戦死したり、はたまた武将等では相手の首を切ってもってかえって きたという人物なんかはみな人殺しになるのでしょうか? それらの方はみな地獄行きでしょうか? 大切な人を守る為に戦わねばならない、それで戦ったら相手の命を 奪ってしまった、それは罪でしょうか? それが罪ならば神様はやはり人間と似ていますよね? 何が悪いか良いかなんていうことは国によっても違うし時代によっても 違いますよね、あらゆる歴史の上で間違っているという事が 正しいとされる時代もある。 何を持って悪い事とされるのかは人間がかってに決めたルールですよね?またその善悪の基準も時代によって変化していって曖昧です。 人間は他の命を奪って食事とし、それに感謝し頂き、生かされていますよね? 本当に悪い事をしたら地獄?良い事をしたら天国? これは結局人が人である為に教えている一種の考えの一つに過ぎないと思うのですが、どうでしょうか? まあ私は地獄であろうが天国であろうが、人も自分も笑顔で生きられる ように互いを想いあって生きて行けたら最高だなと思っているのですが・・ でも仮に上記のような基準があてはまるのなら、神様は人間の考えと近い部分があるという事ですよね?
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ある宗教なんかは神様が自分に似せて作った生き物が人間としているので、その場合は人間と似た価値観を持っているかもしれませんね。 >まあ私は地獄であろうが天国であろうが、人も自分も笑顔で生きられる >ように互いを想いあって生きて行けたら最高だなと思っているのですが・・ 「エースをねらえ」という漫画に描いてあった天国と地獄の話しにこういうものがあります。 天国も地獄も違いなどなく、大きな鉄鍋の底にもの凄いご馳走があり、各自もの凄く長い箸を持っているだけ。 地獄にいる人たちは自分がそのご馳走を食べようと必死になるが、箸で食べ物をとっても箸が長すぎて自分の口に入れることが出来ない。 手づかみで取ろうにも鉄鍋が熱くて取りにいけない。 目の前にご馳走がいるのに誰も食べ物を手にすることが出来ないくて阿鼻叫喚のまさに地獄絵図。 一方天国にいる人たちは・・・ 何かを食べたいといえば、誰かがそのれをって口に入れてくれる。 自分も誰かにこれを食べたいと言われればとって口に入れてあげる。 お互いが協力し合って仲良くご馳走を食べている。 結局はお互いが思い合って生きていける人が集まる場所が天国であり、 他人のことなど考えず、身勝手に他人を蹴落とすことしか考えない人たちが集まる場所が地獄である。 まさにこれが真実な気が自分もしますよ。
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- raphael7
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結局、地球みたな惑星があるので神や悪魔が存在するのです。 神は善悪など関与しません。 善悪を区別するのは地獄界、私たちが住んでいる世界だけです。 話それますが、国際線の飛行機に乗ったことはありますか? 雲の上を飛行するのですが、雲の上は雲がありません。 あそこが所謂、天国と呼ばれる場所です。 悪い事をするモノは心に雲が多いのです。 それは意図するもせずも。つまり簡単に悪魔に憑かれてしまうのです。 心に雲が多いと、目が悪くなります。眼は心の窓だからです。 雲は水蒸気ですね。つまり水です。 悪魔は雲、水、電気を自在に使い、天災を招きます。 人間の体の7割は水ですね。 つまり、悪魔は人の形をしています。 悪魔を殺すと天災や災いが消えます。 つまり、殺人が一概に悪いとは言えないということです。 しかし殺人は悪いことだと我々は暗黙のうちに了解しています。 そこがネックなのです。見分ける方法も。 人間は生かされているのではありません。 悪魔の駒にされているだけです。 地獄に行くか、天国に行くかは悪魔と接触したのか否かで決まります。 日本には人口の半分以上に及ぶ悪魔、悪魔予備群がいると思われます。 悪魔を感じて生きれるのかどうか? 悪魔に狙われた場合何に救い、知恵を求めるのかが別れ道なのです。 神はこんな訳の分らないこの世に関与したいとは思いません。 百害あって一利なしです。
- mojitto
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質問者さまが「仮に」という言葉を使っている通り、神様がいるのかどうかは今のところ分かりません。 すべての「仮」が成り立ったとしても、それは神様本人に聞かないと、単なる私たちの予想に過ぎません。 まぁでも、神さまの独断と偏見で天国、地獄行きを決められたとするなら、それって理不尽ですよね。
- ningensan
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神様がいるとして神様が何を考えているかは、人間にはわからないと思います。 人智を超える存在なわけですから、人間には理解できません。 ですが、もし神様がいたらこういう風に考えているんじゃないかなと人間が想像することはできます。それが、僕らが見ることのできる神様について書物なんじゃないかなと考えます。 ですから、神様が人間の考えと近い部分があるんではなくて、人間が考えたことだから人間の考えに近いんではないかと思います。
- cse_ri2
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スウェーデンボルグの本などを読んでいると、天国や地獄へ行くのは神様が決めるのではなく、人の意思によるのだと書かれています。 詳しくは彼の書籍を読んで欲しいのですが、ある好き勝手に生きた人が死んであの世へ行ったあと、天国行きを希望したのですが、彼はそこに住むことはありませんでした。 なぜか。 そこがあまりにも清らかで光り輝いていて、自分がそこに住むのに耐えられなかったからです。 私のつたない表現では伝え切れませんが、天界の光は地獄の亡者にはあまりにまぶしすぎて、かえって苦しむそうです。 そして苦しみのあまり、もとの暗い地獄へ帰っていくとのことです。 うまく表現できませんが、スウェーデンボルグの本を読めば、そういう描写が生々しく出てきています。 興味があれば、一読ください。 「エマヌエル・スウェーデンボルグ(上級編)」より引用 http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/swedvol2.htm >4.天国も地獄も、人間が選んで行く > >スウェーデンボルグの天国と地獄という観念も特徴的です。天国は、 >神さまがお情けで入れてくれたり、 地獄は神さまが怒って罰として >投げ入れるところでもありません。 >…… >しかし、その空気が肌に合わないと、そこは嫌だといって、 自分 >から自分の肌にあった、なじみのある世界へ行くようになるという >のです。
- ferox
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神は人間が造ったもので、神が人間を創ったのではありません。 ですので、神様の考えが人間に似ている、というよりも人間なのは仕方がないことです。 地獄や天国なんてないと思います。死んだらなにもない。 何が罪か、何が善か、それは明確に分けられないと思います。大多数の人間の持つ常識が、その時代の善悪を決めるのではないでしょうか。