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英語が母国語でない事に劣りを感じるこのごろ
- 英語が母国語でないことによる劣等感の理由や影響について考えてみた
- 複数の言語を話せることによる長所と短所について考えてみた
- 多言語使用による思考力の低下についての疑問を持っている
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質問者が選んだベストアンサー
僕も海外に住んでいますが、空気のように話せるのはただ一つ、母語の日本語です。英語国に住んでいますので、聞いた英語は大体分かり、言いたいことは大体言えます。 質問者さんは4カ国語お話しになるそうで、もうそれだけで、凄いです。僕はそれほど話せないのの穴埋めか、劣等感もありません。まその代わりと言うか日本語の幅は、維持しています。 「ここんにきゃ、あめんふいばかいふって、はなどんのそのうれっしゃ、うれしかばかいちゅうとのゆうわかっとばい (最近は雨ばかりで、草花の最高に喜ぶのが目に見えて分かる)」などと長崎の妹にメールしています。 まそういったことで「英語が第一言語でない事」より、日本語が第一言語である事を、ありがたく思い、楽しんでいます。 僕の脳味噌の方は詳しいことは言わない方よろしいようですから、省略させていただきます。
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- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんにちは。僕も在外の経験があります。留学先はドイツでした。最初の三ヶ月間は英語でもいいよ、と言ってくれましたが、後は全てドイツ語で話してくれとのことで当惑しました。英語すらままならない上に、学生時代に僅かに習ったドイツ語のテキストをひっくり返し、それこそ名詞及び冠詞の性別に始まり、格変化などと毎日わからないことばかりで、あの時もう少し勉強しておけばよかったなと後悔しきりの日々だったことも懐かしい思い出です。 でもドイツの方々は殊の外親切で、僕の拙いドイツ語にも辛抱強く付き合ってくれるなど語学教育以外での言葉の学びの意味を肌身で感じた日々でもありました。 日本語でも同様です。今から100年前の明治時代の日本語と現在の日本語でも大きな変化もあります。漱石や龍之介の頃ならば「全然よい」も普通の表現でしたが、現在の学校文法ならば「全然~ない」と否定形を伴うのが正解とされてしまってもいます。旧仮名遣いでも「定家仮名遣い」もあれば「契沖仮名遣い」もあり、話し言葉と書き言葉の違いを明確にすることにより「言葉そのものの意味」を大事にするとの考え方もあります。 文章を読む時の注意点さえしっかりとしておけば、思考力があやしくなるとの不安も幾何かは解消されるのではないでしょうか。何も英語だけが国際的基準であるとの裏付けはどこにもありません。単に使いやすいからとの理由で選ばれているだけの話です。その英語ですらも「古典文学」を専門とするならラテン語の習得が必要にもなり、また英語自体もゲルマン語やその他の言語の影響も多分に受けている言語です。そうした中にあって、まことに美しい日本語を流暢に話し、文章を綴るリービ英雄やドナルド・キーン、ロバート・キャンベルなどの各氏をはじめ、日本史学のキャロル・グラック、そしてテツオ・ナジタ氏などもいらっしゃいます。一つの対象に対し様々な切り口で見ることはアドバンテージであってもそれがデメリットとなるとは思われません。 思索家であり精神医学の研究者としても知られるK.ヤスパースが示唆に富んだ言葉を遺していますので、宜しかったら参考にしてみてください、曰く「言葉は思考の家である」と。
お礼
ご自身の体験談や、歴史的な事実も盛り込んだご返信ありがとうございます。 <「言葉は思考の家である」と。 本当にその通りだと思います。 ですから、このように何か国語も話す事は、私の思考と性格を不安定にさせている気がしてならないのです。 K.ヤスパースさんについて読んでみますね。ありがとうございます。 ドイツは住んでみたいと思っている国です。何度か訪れましたが、好きでした。私の現在住んでいる国、そしてこの仕事環境では英語が通じる事もあり、あまり私がこの国の言葉を学ぶ事に皆さん協力的ではありません。少し間違えると、「もういいよ、英語話そう。」となり少し努力が報われない気がします。 ご返信いただきありがとうございました。
- wy1
- ベストアンサー率23% (331/1391)
"英語が母国語でない事に劣りを感じるこのごろです。” 本気でそのようなことを感じておられるのなら、先ずは今の環境から一歩身を引かれることをお勧めします。 地球上で英語を母語としない人の方が圧倒的に英語を 母語とする人より多いのですよ。一種のノイローゼ的な感覚でしょうか? 大変失礼な言い方になるかも知れませんが、典型的な日本人的な(?)悪い考えに囚われていらっしゃるように思います。
お礼
>本気でそのようなことを感じておられるのなら、先ずは今の環境から一歩身を引かれることをお勧めします。 そうしたいところなのですが、今の仕事を続けて行く限りは、世界中何処に行こうが英語からは離れる事ができません。 >典型的な日本人的な(?)悪い考えに囚われていらっしゃるように思います。 どのように日本的なのかわかりませんが、現在4カ国語話しますが、瞬時に言葉を切り替えなくてはならない時もあり、その事に今この時点では疲れがきています。(同時通訳業等ではありません) 一方、同僚の英語ネイティブは、他の言語を学ぶ気もなく本業に集中出来る点でいいななと、思うのです。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#2さんの名言「どうにもならない事をくよくよする事はない。ご休養専一に」に賛成します。
お礼
ありがとうございます。 休養。というのが一番私にとって怖い言葉でもあり、同時に常に休養しているような気もします。 しかし、くよくよしない!ですね。 前進あるのみで。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1466/3827)
>何かひとつの仕事や技術を極めようとすると、言語で少しの遅れをとったりしていまいますね。 言葉で圧倒的に負けてしまう事によって、自分がすべての点で劣っているように感じる事がとてもつらくなってきました。 4カ国語の全てにおいて言葉の勝敗を掛けていらっしゃるのであればこれはかなり疲れます。かなり高度の内容でのやり取りがあるものと察します。 自分の場合は欧州に2年ほどいた経験と仕事で米国に何度も言った経験がありますが、日本語の次に英語、他は旅行の為のカタコトで 計5か国語はなんとなくわかります。(数に入れてはいけないかもしれないですが) 今思うと この カタコト は実に楽しいですね それが通じた時のうれしいこと。 これが言語をおぼえる時の原点かなとさえ思います。 今は現役を離れていますが米国での会議には色んなところから参加しているのですがかなりなまりのあるブロークンと思える話し方をしている人もいました。 でも自分を主張出来ているのですね。 何故か。 それはその人に主張したいことが有るからだと思います。 要するに言いたいことの 「中身がある」 と思います。 質問者様は今、一つの壁(スランプというのでしょうか) にぶつかっている状態と察します。今後の方向を定めるのに 「迷い」 が生じその迷いは 言語に対する 劣等感という形で出てきているものと思います。 >何か国語も話す事によって、脳味噌が鍛えられるどころか、日本語すら少し怪しくなり、思考力が落ちているように感じるのですが、この現象をご存知の方、おられますでしょうか? これは正に疲れが出てきている証拠ですね。 自分をリセットする休養が必要です。 言語での思考も絞っていった方が良いのではないかとおもいます。「どぎゃんもならんこつばくよくよするこつはなか。やすめやすめ。」 というのがお勧めです。 意味は分かりますか?
お礼
ご返信ありがとうございます。 >4カ国語の全てにおいて言葉の勝敗を掛けていらっしゃるのであればこれはかなり疲れます。 本当に疲れました。どの言語も仕事で使っています。 (といってもこのうちの1つは日本語ですが。)こう言っていただけるだけで、どんなにどんなに心が癒される事か!私の今ある環境では、少しの文法的間違いをしただけで、「は?この言葉できないんなら英語にする?」みたいな空気が流れるので、油断出来ず、自分が話せる事に価値が見いだせませんし、設定された(もしくは自分でした?)ハードルが高すぎて、完璧に話せない自分を許せません。 >今思うと この カタコト は実に楽しいですね それが通じた時のうれしいこと。 これが言語をおぼえる時の原点かなとさえ思います。 そうですね。カタコトが通じた時は本当に楽しいですね。そして嬉しくなりワクワクし、深みはまり過ぎて、失敗が大目にみてもらえないレベルまできて、もう楽しいの範囲ではなくなって来た今です。。。とほほ。 >質問者様は今、一つの壁(スランプというのでしょうか) にぶつかっている状態と察します。今後の方向を定めるのに 「迷い」 が生じその迷いは 言語に対する 劣等感という形で出てきているものと思います。 本当にそうなんだと思います。おっしゃられる通りだと思います。スランプから来る人生の迷い、そしてそれがここに劣等感として出て来ている。どうして私のあんな短くて拙い文章からそんな事がわかるのでしょう!スゴいですね!これを胸に、あまりパニックに陥らないようにがんばります。 >「どぎゃんもならんこつばくよくよするこつはなか。やすめやすめ。」 ああ。なんだかとても温かいです。ありがとうございました。
お礼
お返事ありがとうございます。 >僕も海外に住んでいますが、空気のように話せるのはただ一つ、母語の日本語です。 それを聞いて、私だけじゃないんだとほっとしました。本当に日本語は空気のように話せますよね。でも、それすら少し怪しくなって来ているので、それを近頃心配しています。何語も完璧でないような・・・ 日本語での会話読み書きからも離れており、その他の主に2カ国語を日常と仕事で使用しています。もうひと言語は、今その国にいないのですがこれも時々仕事で使用します。空気のように話せて遊べた日本語も正確性が怪しくなり、本当に心配し、そして時に苦しくなっています。 >「ここんにきゃ、あめんふいばかいふって、はなどんのそのうれっしゃ、うれしかばかいちゅうとのゆうわかっとばい (最近は雨ばかりで、草花の最高に喜ぶのが目に見えて分かる)」などと長崎の妹にメールしています。 すごく可愛いですね。長崎弁ってそのような感じなんですね。ああ、可愛い!話の内容も最高に愛おしいですね。長崎に引っ越したくなりました。 >まそういったことで「英語が第一言語でない事」より、日本語が第一言語である事を、ありがたく思い、楽しんでいます。 私も、日本語が第一言語である事は本当にとってもありがたく思っています。日本語は美しくて表現豊かで、風情があって、愛がある素敵な言語だと思っていますから。でも、英語ネイティブの同僚が、現地の言葉を少しも覚える気もなく、相手が私に合わせなさい、英語話して当たり前でしょ、的な態度でしかし自分のする事に集中しているのを見ると、この頭の混乱から逃れる為には、英語が母国語だったらどんなに楽だったんだろうと思うのですね。時々。そんな理由でこのような聞き苦しい弱音を吐いてしまいました。 それにもかかわらず温かいお言葉をいただき、ありがとうございました。