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バイリンガルの翻訳は不自然?日中バイリンガルの違いは?
- 英語も日本語もそつなく扱えるバイリンガルがいるが、文章の翻訳が不自然で驚く
- また、日中バイリンガルの日本語文章には漢字が多用されており、中国語の影響かと疑問に思う
- バイリンガルの翻訳の不自然さや日中バイリンガルの違いについて話題になることがある
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バイリンガルにせよ、トリリンガルにせよ、クオドラリンガルにせよ、複数の言語をわがものにしているひとたちはその言語の環境に置かれるとその言語で思考し反応しているのです。通常、かれらは自分自身の内面で、身に着けたそれぞれの言語の間での相互乗り入れ(つまり翻訳)をしていません。逆に言うと、日本語だけを身に着けている日本人で、いくら英語が達者なひとでも、英語を使うときに常に日本語に翻訳して思考し理解しているようであれば、そのひとはバイリンガルとは言えないとわたしは考えます。 だから、おっしゃるとおり、バイリンガルのひとに翻訳能力を求めても、木に上って魚を求めるようなものだろうと思いますし、翻訳能力から言えばその適格者は、上で例をあげた『常に日本語に翻訳して思考し理解しているひと』に軍配があがるはずです。 わたしもバイリンガルですが、ある外国語で理解した内容を日本語に移すとき、その理解内容を今度は日本語でもう一度作り上げるという二重の作業を行なっています。そうすることで、こなれた日本語の文章が出来上がってくるのです。外国語の単語を日本語に置き換えて、翻訳をしましたと言えるのは一文だけです。たくさんの文が集まってある論理の流れが作られたとき、それを日本語で最初からもう一度作り上げることをしなければ、正しく翻訳をしましたと言うことはできませんから。 これはある種の技能ですので、バイリンガルならだれでもできるというものではありません。バイリンガルのひとのマジョリティが活用できるのは通訳であって、翻訳というのはもっと異なる能力が付加されてはじめて優れたものになるのではないかと思います。 最後の、中国語と日本語のバイリンガルのひとの翻訳が漢字を多用していてなじめないというお話についてのわたしの意見は、例にあがっている漢字はすべて日本語として昔使われていたものばかりなので、中国語の影響とは言い切れない感じがします。その方の習得している日本語の書き言葉が昔(といっても四十年程度の昔ですよ)のものであったなら、そのような現象は十分起こりうると思われます。 明治から敗戦直後に至るまで、書き言葉の中に漢字をたくさん書けば書くほど筆者のインテリ度や格調高さがふんぷんと匂っていた時代があったのですから。 その方の年代がわかりませんが、若い人でもそういう時代の日本語を叩き込まれたひとであるなら、自分が書く日本語の文章の中に漢字をたくさん入れようとする傾向を持つ可能性はありますよ。
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- oignies
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翻訳は、教養がないとできません。ただのバイリンガルではだめなのです。 なぜかといえば、専門用語を、適切に、分野に応じて訳しわけるなどは、 それぞれの分野の専門用語をしっていなければならず、オール5タイプの 優等生でなければ、なんでも訳せるというふうにはならないのです。 通訳者のあいだでは、帰国子女に、翻訳や通訳をたのむと、わらえる 訳がでてくるというのは、有名なはなしです。 たとえば、不況により閉鎖された工場のまえで、労働者が、デモをして いる、という文章を訳す場合、完全なバイリンガルでも高校卒業程度 で、一流までいかない大学の学生レベルであれば 閉鎖された工場、の部分を、首をかしげながら、しまった工場とやくし てしまうなどです。 これは序の口。 いずれにせよ、翻訳・通訳には、一種の才能もしくは、スキルが必要だと いうことです。
お礼
ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ございません。 バイリンガルでも、スキルがなければ上手な訳ができないということがわかりました。 ありがとうございます。
- japaneseenglish
- ベストアンサー率35% (226/638)
純粋な日本人ですが、妻が英語圏の西洋人なので、すこし書かせていただきます。 わたしもそうですが、妻と話しているときも翻訳はしていないです。 (夫婦の会話は英語です) 日本人は、翻訳文化が根強くあり、学校教育を中心に翻訳を中心に英語を習います。最近は少しは教育方針が変化したのかもしれませんが、日本文化は、すべて翻訳文化です。 外国からきたものは、すべて日本語に翻訳されます。 書籍も映画もテレビもすべて翻訳です。 外国語を習ううえで、この日本の翻訳文化は、すごい弊害があります。すなわち、英語で話していても翻訳しようとします。 わたしの場合ですが、心に思うのは日本語です。英語で話していようが、日本語で話していようがこの点は変わりません。 ただ、口に出すときに、文章に組み立てて、日本語にするか英語にするかの違いです。 これは日本語しか話せない人には感覚が難しいかもしれませんが、日本人でも話し下手の人がいます。ではその人の心におもっていることが貧弱という意味ではないです。 心に思うことは、もちろん母国語ですが、それは文章として組み立てができていない状態です。 しゃべるときに、それを自動的に日本語文法に変換して話しているはずです。 それで、その変換の上手な人は話し下手だし、うまい人は話し上手なのかもしれません。 ただ、わたしもそうなのですが、英語で話すのと、書くのとどちらが簡単かと言えば、会話です。 言葉は最初は会話から習います。 国語も同じです。 赤ちゃんのころから、母親の言葉をきいて色々な言葉を覚えます。 読み書きは教育により身につくものです。 これは外国語も同じだと思います。 もちろん、最初何もわからないものは、文法を学び、単語を覚えるところから始めますが、いちど、外国語で話せるようになると、文章を書くのはかなり難しいです。 ここでも、多くの方が、英文和訳、またはその逆の質問をしており、色々な方が、親切に回答していますが、では、その方々がたが、英語で普通に会話が可能な人とはわたしは思いません。 日本の外国語教育では、読み書きから始めますが、言葉は、基本的に、聞いて話すことから始まるものです。
お礼
ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ございません。 慣れている方は、実際の会話では、いちいち翻訳してないということですね。 ありがとうございます。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
和訳の上手さは日本語の学力そのものです。日本人の中にも、漢字の読めない人や、諺を正しく使えない人がいます。そのような人には和訳はできません。翻訳は外国語とは別の能力です。だから和訳の巧拙を英語の学力と混同してはいけません。バイリンガルは訳さずに理解します。
お礼
ご回答、どうもありがとうございます。 日本語の文章だけを読むと、本当になめらかで普通な感じなので、 日本語力が不足してるとは思えないのです。翻訳の技術が足りない、 ということなのかなと思いました。
- nentyaku
- ベストアンサー率0% (0/16)
私も日本語以外に2カ国語がネイティブですが、日本語への翻訳などを依頼されると非常に苦労します。 理由は、他国語を使っている時は脳内で日本語への変換をおこなっていないからです。 日本語で話している時は日本語で理解し、英語の時は英語で理解していると言った感じでしょうか。 文章を読むときも同じですね。従って、普段行っていない他国語を一度日本語に変換する作業が、そういった事象を引き起こすのだと理解しています。
お礼
ご回答、どうもありがとうございます。 やはり、英語は英語、日本語は日本語となっているんですね。 私の知人も、かなり苦労して翻訳しているようでした。
お礼
ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ございません。 友人のバイリンガルに話を聞いたら、翻訳しろと言われても思考が停止してしまう、とまで言ってました。漢字の件もありがとうございます。友人は20代ですが、お父さんが年配の学者さんなので、その影響とかあるかもしれません。