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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:知っていること知らないことの意見の態度)

知っていることと知らないことの意見の態度

このQ&Aのポイント
  • 知っていることと知らないことの意見の態度について考える
  • 政治や会社の仕組みにおいて、知識の差が存在する場合の意見の態度について
  • 知っていることと知らないことの適切な範囲と必要性について考える

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

>どこまで知るべきでどこからは知る必要がないのでしょうか。 まず、なんであれ未体験のことは専門家でさえも真実を知ることはできないんだということを理解すべきです。 誰もが知りたいことを知ったと錯覚するまで知ろうとします。 後は、信頼という幻想で成り立ちます。 どこまで知るべきかではなくて、何を信頼すべきかの問題です。

noname#209756
質問者

お礼

信頼する。というのはなるほどと思いました。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

回答No.4

子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、 子曰、由(子路だろう)や、女(汝)にこれを知ることを誨(おしえ)んか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。 つまり人って知っていると思っていても実は知らないって事なんですよね。 私の地域で450年続く家があるが、当主が小学校の旧友です。 彼は良い奴ですが、意識の根底は自分の家柄ですからね、その比較の中での位置づけと判断。 結局彼は外部を知らない、自分の世界しかない。人ってそんなもんでもありますね。 もっとも大事な事は踏み込んで判断し、自己の中に入れるのではなく、聖域として知の内容としないことが必要なんでしょうね。 その聖域もあたかも無関係の職人がお仕事すには踏み込んで作業しても、聖域とする者にとっては踏み込むことを慎む。 知らないことを知らないこととして、受身にもならないで判断もしない。それだけでしょう。

noname#209756
質問者

お礼

納得です。 受け身にならず判断しないというのがいいです。 ご回答ありがとうございます。

  • mmky
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回答No.3

>知っている時の態度と知らないものに対しての態度、あるいはどこまで知るべきでどこからは知る必要がないのでしょうか。 ○吉田松陰先生は「学ばずして死ぬことほど恥ずかしいことはない。」と言われました。立派な教育者の意見に謙虚に耳を傾けることが、回答になると思いますね。 知ることは人としての義務ですね。わからなければ謙虚になって教えを請えば良いだけですね。 また、知識と実務は違うものです。しかし、いつあなたの出番があるやもしれません。その日に備えて日々努力することですね。どのような舞台にも主役が交代する時はあるのです。その時のためにね。

noname#209756
質問者

お礼

知ることは確かに義務ともいえます。 全部はしれないですが。 ご回答ありがとうございます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.2

こんばんは。 「なんでも意見」で、素晴らしい。 ユーザーは、オーナーです。 「愛のある罵倒は助言」です。 でも「絶対」ではありません。 ・・・そこにも「プロ」の出番はあります。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。