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古典文法について質問です。
方丈記「安元の大火」で (1)「いんじ安元三年四月二十八日かとよ。」の「か」は係助詞ですが、結びの語が無いのはなぜですか? (2)「その中の人、うつし心あらんや。」の「や」は係助詞ですが、結びの語が無いのはなぜですか? (3)「すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ。」の「ぞ」は係助詞ですが結びの語が無いのはなぜですか? 係結びがイマイチ理解できなくて困っています。よろしくお願い致します。
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- fumkum
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結論から先に言いますと、1、は、結びの消滅・結びの流れ・係り流れです。また、結びの省略との考え方もあります。2、は文末に付く終助詞的用法(終助詞との説もあり)。3、結びの省略です。 1、は本来「とかよ。」で文が終了しているのではなく、「いんじ安元三年四月二十八日かとよ、風激しく吹きて、」と続いています。本来であれば、係助詞「か」を受けて、「吹き」が文末になり、連体形の「吹く」となって、文が終了し、「二十八日かとよ、風激しく吹く。」となるのが、接続助詞の「て」で、下に続く形となっているので、係り結びが成立していないのです。これを、結びの消滅・結びの流れ・係り流れと言います。本来の結びとなる語(ここでは「吹き」)はあるのですが、接続助詞によりそこで文が完結しないで、下に続くために、係り結びが成立していないことを言います。 ただし、結びの省略との考え方もあります。「とかよ」の後は読点(「、」)で下に続くとするのが一般的ですが、質問文のように句点(「。」)で、文が終了していると考える場合です。この時には下に「おぼゆる(下二段動詞「おぼゆ」の連体形)」などが省略されていると考えられます。格助詞の「と」+間投助詞の「よ」には、「~と思う、ということだ」の意味を持ち、「かとよ」で、不確かな事柄を確認する意味を表して、「~だったか」となるので、意味から考えると、結びの省略と考えた方が良いのかもしれません。 2、は、係助詞「や」・「か」が文末にあって、疑問・反語の意味を表す時には結びの言葉がない(省略の意味ではありません)ので、係り結びの法則は現れません。このようなことを文末に付く終助詞的用法といいます。また、この場合の「や」・「か」を係助詞ではなく、終助詞との説もあります。 3、は結びの語の「言へる(四段動詞「言ふ」の命令形(已然形とも)「言へ」+完了の助動詞「り」の連体形の「る」)」などが、「とぞ」の後に省略され、文が完結していると考えられるので、結びの省略です。なお、「とぞ」の形で文末になっているときは「言へる」などの結びが省略されており、格助詞「と」の受ける内容を、「ぞ」が強調すると考えられています。 以上、参考まで。
- do-deshow
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(1)(2)(3)共に述語を持たない使い方をしているからでは? 句末について文の成立を助ける使い方です。(文意を強めています)