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天津神と国津神は何故?
天津神と国津神という二つの系統が何故生じたのでしょうか? あるいはどのような必然性があったと考えられるのでしょうか? 天津神が天皇の系統だとするなら、天皇だった人物だけが天津神として祀られる、ということなのでしょうか?
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- kamobedanjoh
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NO.4です。 縄文人は渡来氏族ではありません。「先住民」と書きましたが,アイヌ系乃至北方系の石器時代以来の,日本列島への先着民の意味で書いた積もりでいます。中には南方,ポリネシア系の先住民が居たかも知れません。 発掘遺物に,弥生初期には石器と金属器が混在し,新しくなるほど金属器が増えてくることも,時代区分の目安になります。 先般発表されたDNA解析結果で,日本人の6~7割ほどが大陸系,残りが北方系及び南方系と報告されていました。 そのニュースを踏まえた回答です。 尚,素戔嗚尊が天津神であるのに,その子孫の出雲氏がなぜ国津神とされたのかも,大きな謎の一つです。
- kamobedanjoh
- ベストアンサー率27% (1021/3686)
歴史資料として参考にし得るものは,日本書紀しかありません。 この書は,天皇家の血筋の正当性を主張するもので,記述の全てが史実とは言えないことは既に明瞭です。 その中で「天孫降臨の段(神代の下)」に,天津神の系統(高皇産霊尊=たかみむすひのみこと)が記され,皇孫,天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立てて,葦原中国(あしはらのなかつくに)の主(きみ)の位に就けようとします。 これ以降の記述から,天津神は天孫・瓊瓊杵尊の系統の神を指し,出雲の神々は国津神とされていることが読み取られます。 私見では,天津神とは後発の渡来氏族,国津神は先発の渡来氏族で,何れも稲作技術や土木技術を携えて来た,弥生前・中期の集団であろうと推測します。 縄文期の先住民は稲作には縁遠く,狩猟・採集の生活が中心でしたから,「領土」の観念もなく,未開の愚民として「神」の名は与えられていません。 出雲の神の祖である大国主と更にその祖とされる素戔嗚尊が,渡来人であろうとする見解も,今では通説になっています。 書紀には一書(あるふみ)に曰くと,諸説が存したことを紹介していますが,天津神の系統は主として九州地方に根拠を置き,後に近畿を制圧するとともに出雲をも従えたと解するのが極めて自然な流れかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
正確なご回答ありがとうございます、大変勉強になりました。 もう少しだけ質問を続けさせて頂ければ幸いです! 頂いたご意見では、 「天津神とは後発の渡来氏族,国津神は先発の渡来氏族」 ということですが、 縄文人=先の渡来人、出雲の神=後の渡来人(イザナギ、イザナミ)の子孫、 という風に考えると順序にねじれがあるように思えました。 「日本古代史を科学する/中田力」では、確か、九州の渡来人(縄文人?)の方が先であると唱えているようにも記憶しますが、如何でしょうか?
- michael-m
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多くの人がキリスト教に感化されて、世界創生や神のイメージを聖書に求めています。 しかし日本の記紀に記されているものはギリシャ神話とはまったく別の建国史です。特に日本書紀は正史と言って、正統な歴史書なんです。簡単に言えば、何があったかではなく、何を目的に日本という国が作られてきたかを知る書物です。そもそも文字を必要とせず、口伝で伝えら得た事柄を文字にした物に対し、真実か否かだけで意味を考えないことは愚かとしか言いようがありません。信仰の話ではないのです。 神とは全知全能の支配者を指す言葉ではありません。だからカトリックでは主、創造主、天なる父等と表現し、あるいは「全知全能のの神」「父なる神」などと限定して神という言葉を使います。日常でカトリックが神という場合はそれを略しているだけで、多くの場合は「主」といいます。(その他の基督教系新宗教は知りません) しかし記紀で書かれている「神」は本来の意味になります。神道で祭られる『神』は先祖であり、創造が起きたときに居たというだけで創造主なのか創造によって生まれたのかはほとんど描かれていないのです。 しかし天津神系の民族が支配していることだけは間違いない。日本の人々は何処からかやってきたり、そこで生まれたり、天津神の子孫が降ったりして住んでいたのです。やがてそれぞれが権力を争い、支配者になった神(先祖)が国津神です。土地神に国津神は含まれますが、同義ではありません。 大事なのはここです。天津神が国津神を支配する際に、直接統治をしませんでした。間接統治です。一番の例が出雲です。現代の教育ではこの大事な部分をごまかしていますからややこしくなっているんです。これは不完全な専制君主制と言っていいでしょう。 判りやすく言えば初期のイギリス連邦と同じです。各民族の領主、言葉、文化を維持させながらその上に皇帝が君臨し、一つの国としてもなりたつ。国の意志として皇帝に忠誠を示すのです。その創世記では強権も発動しましたが、やがて君臨しながらも直接統治はしなくなってきました。最後の支配権の発動が昭和天皇の玉音です。 天津神の子孫とされるのが主に氏族という人々です。しかし今では皇室以外は平等になり、コレによって現在天津神の子孫として特別視しているのが皇室だけとしているのです。本来ならその血族もすべて天津神系です。 最近テレビにも時々出ている「竹田恒泰」氏も天津神系ですし、藤原、中臣、忌部なども天津神系です。 判りやすく言えば、オーストラリアの国王はエリザベス2世です。でも最高責任者は首相ですね、英国国王の全権代理として総督がいます。つまり高天原と葦原中国の王としてアマテラスがいます。その総督として天皇がおり、最高責任者として総理大臣が居るわけです。 日本は明治時代より正式に専制君主制を敷いています。だから第二次大戦後、知識の高いアメリカの要人や専制君主制を理解している国々が天皇の責任を問うべきではないと主張したのは当然のことなのです。
お礼
丁寧なご回答、ありがとうございます、大変参考になりました。
- oska
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>天津神と国津神という二つの系統が何故生じたのでしょうか? 神話の話では、天津神=天皇家。国津神=各地の支配者です。 歴史的には、全国各地には「豪族が群雄割拠」して集団(国)を確立している訳です。 九州の一豪族であった天皇家が、日本統一を図って全国の国を侵略しますよね。 ※神武東征。空想の天皇である神武天皇が、東方の国々を征伐(征服)する神話。 この東征が失敗し、他の豪族が日本を統一すれば天皇家が国津神になっていた可能性があります。^^; まぁ、日本統一はなかなか困難だったようです。 日本各地には、天皇家よりも古い時代から存在する一族が存在しますからね。 ※蘇我一族、物部一族は有名です。 有名な国津神は、出雲族の出雲大社ですよね。祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。 が本殿正面には、大国主は鎮座していません。 拝殿で拝んでも、その方向には神さんはいません。^^; 居るのは、天皇家から派遣された「大国主を監視する役人」らしいですよ。 東国各地の氷川神社も、同様です。 「支配する側=天津神。支配される側=国津神」との、一説でした。 >天皇だった人物だけが天津神として祀られる、ということなのでしょうか? 基本的には、その通りでしよう。 王権神授説ではありませんが、天空の神と地上の神を意識した支配思想の一環でしよう。 1945年8月まで、「現人神=生きている神=天皇」でしたよね。 戦後、「朕は、臣民と同じ人間じゃ」と「天皇自ら、人間宣言」を行なっています。 以上、勝者の歴史でなく敗者の歴史本からの回答です。
お礼
お礼が遅くなりました、ご回答ありがとうございました。
- tanuki4u
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日本列島に段階的に集団がやってきて、それぞれの集団が別の祖先神を持っていて、それらの集団が合体したから、祖先神も合体した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E3%83%BB%E5%9B%BD%E6%B4%A5%E7%A5%9E
お礼
お礼が遅くなりました、ご回答ありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます、大変勉強になりました。