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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歴代天皇のほとんどは神として祭られている?)

歴代天皇の祭祀:神として祭られているのはほんの一部

このQ&Aのポイント
  • 歴代天皇が神として祭られているのはほんの一部です。
  • 皇居の皇霊殿では、歴代天皇および皇族の霊を祀っていますが、これは神として祀られているわけではありません。
  • 具体的に天皇を神として祭っている神社は、神宮皇后を祀る住吉大社や淡島神社、八幡宮などがあります。しかし、これらも一部の天皇を神として祭っているだけであり、全ての天皇が神として祀られているわけではありません。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#230414
noname#230414
回答No.3

橿原神宮は初代神武天皇です。 天皇祖先を祀る神宮。 伊勢神宮。 霧島神宮。 鹿児島神宮。 鵜戸神宮。 英彦山神宮。 台湾神宮。天照大神。 朝鮮神宮。天照大神。 天皇を祀る神宮。 橿原神宮。 宮崎神宮。 気比神宮。 宇佐神宮。 近江神宮。 白峰神宮。 平安神宮。 赤間神宮。 水無瀬神宮。 吉野神宮。 北海道神宮。 明治神宮。 その他、天皇を支えた人を祀る神宮。 熱田神宮。 石神神宮。 日前神宮。 鹿島神宮。 香取神宮。

noname#225346
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 いただいた回答をもとにぐぐりました。 (1)橿原神宮・・・神武天皇・・・1890年創建 (2)宮崎神宮・・・神武天皇・・・創建年不明 文献上の初見は鎌倉時代初め (3)気比神宮・・・仲哀天皇/神功皇后・・・第14代仲哀天皇8年 (4)宇佐神宮・・・応神天皇/神功皇后・・・725年 (5)近江神宮・・・天智天皇・・・1940年 (6)白峰神宮・・・崇徳/淳仁・・・1868年 (7)平安神宮・・・桓武/孝明・・・1895年 (8)赤間神宮・・・安徳・・・859年 ※安徳天皇が崩御したのは1185年なので、主祭神を安徳天皇としたのは1185年以降ですね。 (9)水無瀬神宮・・・後鳥羽/土御門/順徳・・・1240年  ※江戸時代まで仏式 (10) 吉野神宮・・・後醍醐天皇・・・1892年 (11)北海道神宮・・・明治天皇・・・1869年 (12)明治神宮・・・明治天皇・・・1920年 No.1さんの回答より (13)天皇神社・・・淳仁・・・?年 No.2さんの回答より (14)筑前香椎宮・・・神宮皇后 仲哀天皇・・・724年 神として祭られた天皇は 神武・仲哀・神功皇后・天智・崇徳・淳仁・桓武・孝明・安徳・後鳥羽・土御門・順徳・後醍醐・雄略・明治 a.今上天皇は第125代で、125人の天皇が存在していたことになりますが (北朝5人を入れれば130人) 今まで皆さんに回答いただいた神として祭られた天皇を数えると15人です。 b.今まで皆さんに回答いただいた神社は14社で、そのうち明治以降の創建の神社が7社です。 残り7社は明治以前の創建です。 明治以前に祀られていた天皇は、神功皇后・仲哀・応神・雄略・淳仁・安徳。 これでは「歴代天皇はほとんど神として祭られている」とは言えないと思いますね。 もっと調べると、天皇を祀った神社がほかにもあるかもしれませんが。 参考になりました。

その他の回答 (9)

回答No.10

>皇居の皇霊殿では歴代天皇および皇族の霊を祀っているそうですが、これは神として祀られているとはいえませんね? いいえ神として祠られているんですよ。神道では祖霊は全て神です。明治以降、皇室は皇室神道という神道なので祖霊は神です。だから「すべて神として祠られているか」と言えば当然祠られていると考えるべきです。 そして天皇を国内で神社の祭神として祠るのはごく一部です。今上が125代にあたるとすれば10%くらいですよね。しかも貴方があげた神社の中で、例えば一言主神社では主祭神を一言主神とし幼武尊を配神とした時代もありました。また橿原神宮は近年の建立です。つまり後に祠られた天皇や合祀や相殿、配神などとして祠られている場合もあるわけでどこまでを「天皇を祀った神社」とするかによっても数は変わります。 それに、在り得ないくらい在位期間の長い天皇に関しては「特筆することのないような天皇の在位をまとめた」という節もあり、そうなると今上が125代であるかどうかも確かではなくなります。となれば国内の神社だけでは確認などできませんし、逆に「皇霊殿において合祀され、すべて祠っている」とも言えます。

noname#225346
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>皇居の皇霊殿では歴代天皇および皇族の霊を祀っているそうですが、これは神として祀られているとはいえませんね? >いいえ神として祠られているんですよ。 >神道では祖霊は全て神です。 そうなんですか。 親戚に神道の家がありましたが、神棚で先祖の霊を祀っているのでしょうか。 すると、親戚の先祖も神だといえるかもしれませんね。 もっとも江戸時代まで神仏習合でしたから 仏式で先祖の霊を供養することと、神式で先祖の霊を祀ることは 同じこととなり、全ての人間は死ぬと神になる、ということでしょうか? 「歴代天皇はほとんど神として祭られている」と発言されていた方は、「神社に祀られている」という意味なのか「皇霊殿で祀られている」という意味なのか、説明をされていませんでした。 一般的には「神社で祀られている」という意味にとれるのではないかと思いますが、これは発言された方に聞いてみる以外ないですね >明治以降、皇室は皇室神道という神道なので祖霊は神です。 皇室神道という言葉は勉強不足で初めて聞きました。 明治以降つくられたものということは、それまで歴代天皇の霊はどういう扱いだったのでしょうか? それ以前も神として皇居などで神として祭られていたのか (誰でも参拝できる神社などに祀られている天皇は少ないようなので) あるいは、天照大神に参拝することが、全ての天皇の霊に対して参拝することだったのか。 また、こんなことを聞いたことがあるんですよ。 「かつて妙見菩薩(北極星の神)に対する信仰は天皇にのみ許された信仰だった」と。 天皇という言葉は、道教における北極星の神でもあり、日本の君主をあらわす「天皇」と関係があるようにも思えます。 そして北極星に対する信仰は天皇にのみ許されていたということは 歴代天皇の霊は北極星に対する信仰であり、民間人がこれを拝むことは許されていなかったのではないか、と思ったりもします。 >後に祠られた天皇や合祀や相殿、配神などとして祠られている場合もあるわけでどこまでを「天皇を祀った神社」とするかによっても数は変わります。 ここでは明治以降祭られた天皇や、合祀・相殿・配神を除外するなどということはなく、現在天皇を祀っている神社ということで、回答をいただいております。 その結果、明治以降に創建された神社が多いという話になっておりますね。 >それに、在り得ないくらい在位期間の長い天皇に関しては「特筆することのないような天皇の在位をまとめた」という節もあり、そうなると今上が125代であるかどうかも確かではなくなります。 はい。おそらく今上天皇は125代ではないでしょうね。 ただ、ここでは今上天皇が125代であるということを重要視する必要はないと思います。 実在しなかった天皇であっても、神として祭ることは可能ですし 神として祀られた天皇の正確な割合を出すことにも大した意味がないからです。 >国内の神社だけでは確認などできませんし、 諸外国に神社があるんですね。 日本人が多く移住したようなところのことでしょうか。 それはたとえばどこの国にある何という神社でしょうか。 もちろん、そういう諸外国に歴代天皇を祀っている神社があれば カウントするべきだと思います。

回答No.9

歴代の天皇がすべて神に祭られているとは、私見では考えにくいと思いますが、こんな事例もあるということでお伝えします。 横浜市戸塚区俣野町763番地に「上俣野神社」という欽明天皇と素戔嗚尊を祭神とする神社があります。明治以前は「欽明天王社」と呼ばれていたそうです。 当地は、平安時代末期に鎌倉権五郎景正の子孫俣野氏よって拓かれた地で、欽明天皇とどうつながるのか全くもって分かりません。

noname#225346
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 上俣野神社、教えて下さってありがとうございます。 欽明天皇と素戔嗚尊を祭神としているというのが興味深いです。 鎌倉権五郎景正って、後三年の役(1083年 - 1087年)で右目を射られたという逸話で知られる方ですよね。 一度、参拝してみたいです。

  • nekosuke16
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回答No.8

追記 まさに、ご明察。 明治以降の天皇の神格化以前に、記紀神話自体が、日本という国の輪郭を形成する上での政治的な策略そのもの。 明治天皇や昭和天皇が行った巡行などを含めて、そのインパクトが及ぼす影響力は絶大であり、古事記、日本書紀の中で繰り広げられる神話の数々のもたらした影響は、千年の時を超えて尚、全く色あせることがない。 それどころか、日本という国の根幹を成す最大のベースになっている。 私の本棚にも随分天皇関連を含めた歴史に関する本が多いですが、それにしても、詳しいですね。 感服の至りです。

noname#225346
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 > 明治以降の天皇の神格化以前に、記紀神話自体が、日本という国の輪郭を形成する上での政治的な策略そのもの。 いやー、ほんとそうですよね。 記紀を編纂したのは藤原不比等だという説もありますが、いまだにすごい影響力を持っていて、これを書いた人はすごいです。 いい、悪いは別にして。 >私の本棚にも随分天皇関連を含めた歴史に関する本が多いですが、それにしても、詳しいですね。 とんでもない。 全部ネットでググった知識です。 象徴天皇制を支持している人たちは、神武にナガスネヒコが殺されたことを知ってるのかなと、 ちょっと気になりますね。

noname#230414
noname#230414
回答No.7

補足。 少し調べて見ました。 笠森稲荷 天照大神。盛岡 久留米市総本山 水天宮 安徳天皇。 鶴岡八幡宮 応神天皇・神功皇后。 香椎宮 仲哀天皇・母 神功皇后。 御香神社 神功皇后・夫の仲哀天皇・子の応神天皇・仁徳天皇。 宇治上神社 応神天皇・仁徳天皇。 葛城一言神社 雄略天皇。 水天宮平沼神社 安徳天皇。

noname#225346
質問者

お礼

わざわざ調べてくださったんですか! ありがとうございます。うれしいです~。 徳の字のつく天皇は不幸な死を迎えた天皇であるなどといいますが 安徳天皇・仁徳天皇って徳の字がつきますね。

  • nekosuke16
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回答No.6

「比較的創建の新しい神社が多いように思われます。」 そもそも天皇は、神の末裔であり、神自体として神社に祀られるようになった、その多くが維新以降。政治的な臭いがしますねえ。 また、神宮皇后、応神天皇、神武天皇、崇徳天皇、崇神天皇、雄略天皇などは、殆ど実在かどうかも分からない天皇たち。特に、雄略などは、残忍極まりない天皇で、系譜の中でも特筆すべき問題児。 江戸幕府崩壊から維新の動乱の中で、孝明天皇を担ぎ上げ、明治天皇の即位後の政情安定を機に、天皇に必要以上の権威と存在感を世に知らしめるために、時の権力者たちがこぞって祀ったものではないでしょうかね。 本来、神道の祭神として神社に祀られるべきは、あくまでも政治色の無い、天照大御神や大山祇神、大国主、武甕槌、木花咲耶姫など、天津神・国津神を問わず、日本神話上に登場する自然の化身としての神々であることが望ましいと思いますよ。 したがって、「歴代天皇はほとんど神として祭られている」というのは、現実とは別に、神道の本筋としては、些か違うのではないかと思いますよ。 ちなみに、一番身近な明治天皇を祭った明治神宮が抜け落ちてますよ。 回答になっておらず、申し訳ない。

noname#225346
質問者

お礼

>そもそも天皇は、神の末裔であり、神自体として神社に祀られるようになった、その多くが維新以降。政治的な臭いがしますねえ。 白峯神宮は明治天皇が政治的に不遇であった崇徳・淳仁天皇を祀るために創建しました。 怨霊信仰によるものだといえるでしょう。 平安神宮・近江神宮・明治神宮・北海道神宮などの創建は尊王攘夷と関係があるかもしれませんね。 >また、神宮皇后、応神天皇、神武天皇、崇徳天皇、崇神天皇、雄略天皇などは、殆ど実在かどうかも分からない天皇たち。 雄略天皇は考古学的に実在していたとする説が有力ですね。 埼玉県行田市の稲荷山古墳で発掘された鉄剣に、獲加多支鹵(ワカタケル)大王という文字が刻まれていたためです。 雄略天皇の別名は「大泊瀬幼武(おおはつせわかたけるのみこと)なので。 >特に、雄略などは、残忍極まりない天皇で、系譜の中でも特筆すべき問題児。 記紀は天皇に献上したものなので 天皇家にとって都合のいいように改竄されているのではないかと 疑ってみることが必要ではないでしょうか。 つまり天皇家にとって雄略天皇は都合の悪い人物だったので 乱暴者として描いたのではないかということです。 > 江戸幕府崩壊から維新の動乱の中で、孝明天皇を担ぎ上げ、明治天皇の即位後の政情安定を機に、天皇に必要以上の権威と存在感を世に知らしめるために、時の権力者たちがこぞって祀ったものではないでしょうかね。 この意見には同意します。 > 本来、神道の祭神として神社に祀られるべきは、あくまでも政治色の無い、天照大御神や大山祇神、大国主、武甕槌、木花咲耶姫など、天津神・国津神を問わず、日本神話上に登場する自然の化身としての神々であることが望ましいと思いますよ。 うーん、私はあげておられる神々には政治色があると思いますけどね。 たんに自然の化身の神々ではないと思いますよ。 特に天照大神や大国主、タケミカヅチには政治色がぷんぷんしているように思われます。 大国主は少彦名神と兄弟のちぎりを交わして国造りをした立派な神です。 ところが天照大神は「葦原中国は自分の子孫がおさめるべき」として 大国主のもとにタケミカヅチとフツヌシを派遣して「国を譲れ」と迫ったのです。 その結果、大国主の息子のコトシロヌシは入水自殺、もうひとりの息子のタケミナカタは手をつぶされてしまいました。 「国譲り」というが、実際には天照大神は「大国主」に対して侵略戦争をしかけたと読めるわけです。 その後、人皇の世になり、日向の神武天皇が東征して畿内入りしますね。 「東征」というのは、東の国々を武力で制圧するということですよね。 そして大和にすんでいたナガスネヒコを殺して自分がまんまと大和の王となったわけです。 (記紀ではナガスネヒコを殺したのは、ナガスネヒコが神と奉じていたニギハヤヒとありますが。ニギハヤヒが神武に服して、ナガスネヒコを殺した。) つまり、神武は大和の人間ではなかったが、大和の王・ナガスネヒコ(またはニギハヤヒ)を倒し、ナガスネヒコ(またはニギハヤヒ)が納めていた土地と民を自分のものにしたと読める。 神武東征は史実を反映したものではないとする意見もありますが 天皇家がもともと大和に住んでいたのだとしたら なぜ天皇家にとって都合の悪いこの話が記紀に記されているのの、説明がつかないですよね。 北朝鮮のキム・ジョンウンが日本に責めてきて天皇家を滅亡させ、 キム・ジョンウンが天皇になってしまうようなものですよ。 それなのに、平和ボケした日本人はキム・ジョンウンに「天皇陛下、万歳」とたたえているという図は、ちょっとぞっとしますでしょ。 日本国民には神武の血よりも、ナガスネヒコの血のほうがはるかに濃く流れているでしょうね。 まあ、古い話だし 韓国のように『1000年うらむ』と言うのは建設的ではないし 天皇陛下を日本の象徴として崇めてもそう問題はないと思います。 しかし、記紀に「神武が(我々の先祖かもしれない)ナガスネヒコを殺した」と書いてあることは、きっちり認識しておいたほうがいいと思います。 長くなりましたが、つまり日本神道のベースになっている記紀神話そのものが 政治色の強いものであったのではないかということです。

回答No.5

殆どと言うか全員そうです 天皇は神道の法王です つまりすべての神社の頂点のトップに立つ神です 死ねば当然神として奉られます

noname#225346
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >天皇は神道の法主です 日本神道というのは記紀神話をベースにしていると思いますが 確かに記紀神話は天皇は天照大神の子孫なので、国のトップに君臨するべきということを説くもののように思えます。 記紀というもの自体が天皇に献じられたものですしね。 >死ねば当然神として奉られます どこに、どのような形で祀られるのですか?

回答No.4

安徳天皇 赤間神宮 天皇=神とされたのは、明治以降でしょう。 それと大昔は、天皇以外も神を祖とする人が沢山いましたからね。(物部氏→饒速日命など)

noname#225346
質問者

お礼

天皇は天照大神の子孫で、天照大神は神として古くから祭られています。 一部の天皇は古くから祭られていたようですね。 しかし、神武・天智・桓武・孝明・明治は、明治以降に初めて神として祭られたのではないかと思えますね。 天皇以外で神と祭られているのは氏族の氏神のほかは だいたい怨霊ですよね。 菅原道真・早良親王・平将門・藤原純友など。

noname#225346
質問者

補足

赤間神社など教えて下さってありがとうございました。 参考になりました。

回答No.2
noname#225346
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 比較的歴史の新しい神社が多いですね。 また今上天皇は第125代で、125人の天皇が存在していたことになりますが (北朝5人を入れれば130人) そのわりに神として祭られている人は少ないですね。

回答No.1

  淳仁天皇 天皇神社 http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6329047.html  

noname#225346
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 天皇神社は知りませんでしたので、参考になりました。