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天津神と国津神について
某掲示板への投稿と重複になってしまいますが、ご教授願いたいです。 神道において、もともと我々庶民が崇拝していた神々は、国津神であり、 それが、ヤマト政権において皇祖である天津神に支配・抑圧される対象になされたと聞きました。 ということは、我々庶民が参るべき神社は国津神が祭られている神社であって、天津神などは反旗を翻す対象ではあっても、 畏敬の念を払うべき対象ではないと考えたのですが、国津神はお怒りではないのでしょうか? それと、神道に関する初歩的な質問で恐縮なのですが、 神道では、死者は家族の守り神になると聞きます。 守り神と言えば聞こえがいいですが、用は死後も霊を働かせているわけです。 仏教やキリスト教のように、死者は幸福に過ごせるという考えはないのでしょうか。 また、本人が家族を守ることを望んでいなくとも家族を守らねばならないのでしょうか?
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私は神道には詳しくないので一般論ですけど、日本の場合「鎮魂」という概念があります。 政変などで恨みを呑んで死んでいった死者をそのままにしておくとこの世に悪霊として残り、恨んだ相手やその子孫に仇をなすという思想です。 そうならないためには、その霊魂を祭り、恨みを鎮めるということをしなければいけません。 国津神の王、大国主も葦原中国平定によれば、平和裏に天津神に国を譲ったことになっていますけど、実際には大和の勢力に国を奪われ、失意のうちに死んだということでしょう。 当然恨みは残りますから、その霊を鎮めるために出雲大社を建てて祭った。 そういうことではないかなと思います。 大和が日本を統一する過程で、各地の多くの部族を滅ぼして組み入れて行きます。 そうやって滅ぼされたり組み入れられた部族の神が国津神であり、我々庶民も既にそれに組み入れられてしまったのですから、どちらも同じことではないかと思います。
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- ringouri
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その神道は何という派ですか?あまり聞いたことがない説ですが? それに、国津神なら崇拝の対象で天津神などは反旗を翻す対象という区別もまったく理解できません。どちらも庶民にとっては政治権力者(支配層)で、庶民を抑圧したりなだめたりしている存在に変わりはないはずです。 その土地の支配層の変遷と庶民(被支配層)との関係は論理的にも現実的にも、また、歴史的にも非常に複雑で、おっしゃるような単純な構造が成立する訳はないと思いますが。(支配層が変われば、豹変しおべっか使う人、次第に従順になる人、どちらとも距離を置く人、旧支配層の復権を望み隠棲する人、反支配層運動をする人...いろいろあるでしょう....)
- michael-m
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確かに天孫降臨などにその様な事も書かれているようですが、これは当時の支配力を誇示する為に強調されている部分もあります。 天津神と国津神の関係は敵対するようなものではありませんので、どちらか一方を詣でるべきものではありません。 世間ではよく「もう私達は自立したから、心配などせずに自分の好きな事をやって」という人が居ます。でも、子供への情があれば、子供の心配を苦労と考える親はいないでしょうし、心の隅で常に気にかけているものです。 そして、どんなつまらない事でも相談に訪れる事を喜びと考えるでしょう。 先祖の守り神とはそんなものです。 現世のしがらみが解けて、純粋な親子の情が素直に出せる世界なら、家族を護りたくないなどという人が居るでしょうか? もし居るとすれば、守り神以前に自らの修行のやり直し(生まれ変わり)が待っていると思います。 先祖を守り神にするということは、護ってくれると同時に神になる(天道界に入る)事を祈願する事であると思います。
お礼
大変判りやすいご返答、有難うございます。 >当然恨みは残りますから、その霊を鎮めるために出雲大社を建てて祭った。 あの出雲大社にはそんな意味があったのですね。 >そうやって滅ぼされたり組み入れられた部族の神が国津神であり、我々庶民も既にそれに組み入れられてしまったのですから、 >どちらも同じことではないかと思います。 私にはそれがどうも納得できないのです。 古来から日本に住んでいた我々の祖先を武力で滅ぼし、 偉そうな顔で、偉大な国津神と同じように奉られているという現実が。 天津神を天国から引きずり下ろして地獄へ送り込んでやりたいくらいです。