- ベストアンサー
源氏物語の翻訳について
- 『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)の翻訳について質問があります。特に、文中に出てくる表現や省略された部分の意味について教えていただきたいです。
- 第1文では、「during」の意味や「Dainagon's」の省略された部分について質問があります。
- 第2文では、「here it was that he alighted」という表現や「shadowy waters」という表現の意味について教えていただきたいです。また、「I too left mine」の意味や馬頭の心理についても知りたいです。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
今晩は。5月になりました。爽やかな日々を多く味わいたいものです。 いつも大変丁寧なお礼をありがとうございます。now とか only といった基本語でも綿密に辞書にあたり最適な訳を探しておられるのは、見習わなくてはならないと思いました。 1)『”It was during the Godless Month, on a beautiful moonlight night. As I was leaving the Palace I met a certain young courtier, who, when I told him that I was driving out to spend the night at the Dainagon's; said that my way was his and joined me. 』 >10月の間のある時、美しい月夜のことでした。私(馬頭)は宮殿を去りながら、ある若い廷臣に会いました。私が彼に大納言の家で夜を過ごすために馬車 (牛車?)で出かけているところだということを話したとき、若い廷臣は私(馬頭)の道は自分の道だということを言って、私と一緒になりました・・・・? ●完璧です。 >It was during ~・・・「during」は(特定の期間)の間のある時、の意味ですか? ●その通りです。duringには、1)~の間ずっと、という意味と、2)(特定の期間)の間のある時、という違った意味がありますね。ここは後者です。 >Dainagon's・・・・ここで省略されているのは「home」または「house」ですか?それとも省略ではないのでしょうか? ●よく使う言い方で、house ないし place (イギリスで家の意味)が略されていると考えていいと思います。田中さん(独身)のところへ行った、なら、I went to the Tanaka’s. となります。 >my way was his・・・・・・私(馬頭)と彼の行く方向が同じだということですか? ●my way was his way ですので、行く道が重なっているということで、おっしゃる通りです。 2)『 The road passed my lady's house and here it was that he alighted, saying that he had an engagement which he should have been very sorry not to fulfill. The wall was half in ruins and through its gaps I saw the shadowy waters of the lake. It would not have been easy (for even the moonbeams seemed to loiter here!) to hasten past so lovely a place, and when he left his coach I too left mine. 』 >道は私の女性の家を通っていきました。そして彼は、彼が守らなかったとしたら、とてもすまなかっただろうと思った一つの約束を持っていたと言って、彼が 降りたのはここでした。壁は半分荒廃して、そしてその割れ目を通して私は池の影のように淡い水を見ました。とても美しい場所を急いで通り過ぎることは、簡 単なことではなかったでありましょう。(というのも月光さえここをゆっくり時間をかけて行くように思われたので!)そして彼が彼の客車を去った時私も自分自身を去りました。・・・・・? ●I too left mine以外、完璧です。(仮定法の文は、素晴らしい正解ですね。) >here it was that he alighted・・・・・it was here that he alightedですか?強調構文ですか?「here」は名詞ですか? ●その通り、強調構文です。(倒置の強調構文で、難しくなっていますが、見事正解です。強調構文は数回続けて正しく判別されているようですので、そろそろ卒業ですね。)強調構文は名詞だけでなく、副詞も強調できます。here は副詞です。he alighted here のhere が強調されているわけです。 >the shadowy waters・・・「shadowy」がうまく訳せませんでした。どういう水だと言っているのでしょうか? ●原文は「荒れたる崩れより、池の水かげ見えて」で現代語訳は、池に月影が宿っているのが見え、となっています。つまり月が映っているだけなのですが、the shadowy watersとすると、色々な影が黒々と映っているイメージとなります。鬱蒼とした木立の影などを連想します。 >The wall was half in ruins and through its gaps I saw the shadowy waters of the lake・・・・この文を読むとあまり「so lovely a place」には思えないのですが。。。よく解釈すると趣きがあるという感じなのでしょうか? ●shadowy のためにそうなっていますね。原作の方では、塀は壊れていても、庭は手入れされているようで、花が美しく咲き、月影を宿す池がありで、lovely です。Waley のは、廃墟の美(?)の方向を少し強調しているのかなと思います。 >when he left his coach I too left mine・・・・・「I too left mine」の意味がよくわかりませんでした。彼女を思う気持ちから去った=彼女をあきらめた、ということですか? ●mine=my coach です。私も牛車を離れました、ということです。 >自分の通っていた女性に別の男性が通っていた、ということを知った時の馬頭の心理はいかほどだったかと思います。 ●ちょっと先のところで「憎(し)」と仄めかしている以外、心理描写が書かれて(言われて)いないのは、ちょっと奇異な感じがしますが、自分の恋人だと思っていた女性が、他の男とよろしく琴瑟相和しているところを見せつけられるわけですから、それについての気持ちは言うまでもなかろうということでしょうね。それを潮に行かなくなったと言えば、たしかにどんな気持ちだったか分かるというものです。むしろ言わないのこそ、リアリズムかもしれませんね。 ********************* 《余談》『ユリシーズ』を読破されたのではないかと思います。『「ユリシーズ」の謎を解く』と併読されたとのこと、一番いい読み方だったのではないでしょうか。『ユリシーズ』が伝統的な小説形式を壊していることは明らかですが、そのことによって新しいどんないいことが達成されているのかについては、未だ説得力のある考えを聞いたことがないように思います。『ユリシーズ』に何か魅力を感じられたのであれば、ぜひお聞かせ下さい。 ただ1つ、この《余談》にとって意味のあるポイントは、ジョイスは、”Oh, we are in May already,” she said. のような言い方が、冗長で硬直した語りになってしまうのを、「意識の流れ」という手法で解決しようとしていることです。日本語は、その点、誰が言っているのか分かりやすい言語ですので、「もう5月だわ」と言えば、「~と彼女は言った」は不必要なわけで、それが『源氏物語』の時から自然に行われています。ただ『ユリシーズ』は Waley 訳の前の出版ですから、ジョイスが『源氏物語』を読んでいた可能性はありません。「意識の流れ」は、それまでの文学的試みに、ジョイス自身の独創的な工夫を加えたものであったのでしょう。(つづく) 連休で出かけますので、水曜夜まで締め切らずにおいてくだされば、回答いたします。よい連休をお過ごし下さいますよう。
お礼
今晩は。4月になったと思ったらもう5月ですね。風薫る5月ですが寒いですね。 いつも大変ていねいに回答をしてくださってありがとうございます。 本も好きですが辞書をめくるのも好きです。 「now」「only」など訳に合う言葉を探す過程は楽しいです。 (意訳ができればいいのですが、なかなか私には難しいので辞書の言葉を頼りに訳しています) 2)の仮定法のところは前回教えていただいたところだったので (I should have liked what went on when I was not there to see.) 復習しながら訳しました。 「here」は副詞なのですね。 here it was that he alighted=it was here~=「彼が降りたのはここでした」 と訳したので、「ここ」=名詞と思ってしまいましたが、 he alighted here=「彼はここで降りました」と考えて「副詞」ですね。 「the shadowy waters」の解説(原文と現代訳)ありがとうございました。 イメージするのが難しかったのですが、「色々な影が黒々と映っているイメージ」ですね。 「鬱蒼とした木立の影」のような感じが「the shadowy waters」なのですね。 原文だと月だけが映っているようですが、Waleyはもう少しイメージを脚色した感じでしょうか。 (もしかしたら馬頭の気持ちを水に映し出したかったのかも・・?) 原文はさらに庭は手入れをされているのですね。 それだと「so lovely a place」ですね。 廃墟にもそれなりに「美」はあるかもしれませんね。 「I too left mine」の「mine」は「my coach 」だったのですね。 深読みしてしまいました。 「琴瑟相和して」(きんしつあいわ)して、というのは夫婦の仲がむつまじいたとえですね。 (瑟は中国古代の大型の琴ですね。) 人の真の気持ちというのは行動に表れるものですね。 (言わないのこそ、リアリズムというのはそうですね。紫式部は人間を理解している人ですね) ********************************* 『ユリシーズ』、なんとか読みました。(でも把握し切れてないのでまだまだ読みます) (『ダブリンの人々』と重複した登場人物も出てきますね) そうですね、『ユリシーズ』は特に後半伝統的な小説形式を壊していますね。 ジョイスはそうすることによって、小説にはこういう自由な手法(表現)があっていいのだ、ということを教えてくれているような気がします。そしてそれは小説にとどまらず、人の表現には制約や制限がなく、無限の可能性があるのだ、ということを伝えようとしている気がします。 私の感じる『ユリシーズ』の魅力は、答えが出ない、完結をみない、というところにあります。 (どんなに時間をかけて読んでも読み切れない要素がつまっているためそれを解きたくなる心理です。) そして知的に難しい部分と庶民的な日常生活が同等に融合しているところが不思議なバランスを 保っているようにも思います。 「意識の流れ」という手法は当時はとても斬新だったのですね。 英文で『ユリシーズ』を読むと更にそれがよくわかるでしょうね。 日本は『源氏物語』の時から行われていたということで、随分早くから「意識の流れ」の手法で書かれていたのですね。 私は木曜日まで出かけますので来週の金曜日(5月10日)にまた投稿します。 よい連休をお過ごしください。爽やかな日々でありますように。