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アメリカ植民地時代のタウンシップの仕組みと歴史について
アメリカ植民地時代のタウンシップ(町民会)の仕組みとその特徴、またこのような政治共同体が成立した歴史的背景について、どなたか教えて下さい。
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- Canecius
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私はアメリカ史を研究している大学院生ですが、植民地期の専門家ではないので、「一般人」として回答させていただきたいと思います。 タウンは主にニューイングランド地方の制度です。まず入植したら、タウンの正規メンバーを確定し、彼らにタウンの土地を配分します(ただ、いきなりタウン内の全ての土地を配分することはなかったようです)。各メンバーに配分される土地のほかに、共同使用地が確保されます。その後何度か残った土地が配分されるときは、最初の土地配分の面積に応じて配分されることが多いので、<既得権重視>であった点にタウンの特徴はあります。 タウンの公的問題の決定機関はタウン・ミーティングです。この会合では、基本は<全員一致>です。多数決を用いないのが、このミーティングの最大の特徴です。それゆえに、このミーティングの決定がタウン住民全体の総意である、とされました。ミーティングに参加できるのは、タウン内に土地を有している人、と限定されていることが多かったようです(ですから、土地を所有しても住まなかったり、投機目的で土地を取得したりする人が増えてくると、このミーティングは正当性を危うくすることになります)。 タウンの役職は選挙で決めることが多かったようです。たいていの場合、土地を多く配分されたものがタウンに対してより多くの責任を負うと考えられ、そうした人が役職に選ばれることが多かったようです。いろいろな役職があります。村役方(selectman)、記録方(clerk)や植民地(マサチューセッツなど、後に州になる単位の政体)議会に送られる代表など。また、タウンの安全保障は民兵によるので、民兵隊長なども重要な役職です。あと、よそから流れてくる流れ者を追い払ったるする仕事(上記のようにタウンは既得権とそれに応じた責任を重視する村社会なので、よそ者を排除するのは重要な課題でした)。こうした役職は<無報酬>なのが普通でした。 タウンの社会秩序は、既得権重視ゆえに、個人が欲望のままに自由に利益を追求することは、(今日の視点では「他人に迷惑をかけていない」がゆえに肯定できるようなものでも)望ましくないことであるとする価値観が支配的でした。また、今日とはプライヴァシーの感覚が違っていて、夫婦関係や親子関係は各家庭の事情ではすまず、タウン全体の関心ごとであると考えられていました。 タウンシップの形成の歴史的背景は複雑で、一概には言えないし、かの時代の専門家ではない私の説明能力を超えた問題なのですが、一つだけ指摘するとすれば、土地を保有していることが(他人に従属しないですむ)独立性の証しであり、そのことが公共問題に参加し決定・処理する能力=美徳(virtue)を土地保有者に保証するのだ、と考え、利潤追求を批判的に捉える思想(18世紀イギリスの「カントリー派」と呼ばれる反体制的な思想)が、影響を与えているとは言えるのではないかと思います(実際、アメリカ独立革命に際して独立派の主張がこの「カントリー派」イデオロギーに則ったものである、というのは、様々な批判がありますが、一つの有力な古典的見解になっているようです)。 もしテスト・レポートの課題等なのであれば、上記の回答が正解/良解答であるとまでは保証できません。力不足ですいません。
お礼
うわあぁ、分かりやすいご説明ありがとうございます。大学院生の方ですか。参考になります。