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植民地の解放について
第二次世界大戦後、日本は敗れ世界中の植民地が次々に解放されました。 これは、政治的なものよりも、心理的な背景が原因だと思います。 つまり、極東軍事裁判などにおいて「おまえ、それ(暴力と、暴力による支配)は、良くないんじゃないか」と、欧米人たちに『言わせしめた』ことによるものだと思うのですが、いかがでしょうか? 白人達が自分でそう言い、「正義を標榜」したからには、本人達も今までの在り方を必然的に変えざるを得なかった。 それが、植民地解放の根本原因だと思うのですが。
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根本の原因は第二次世界大戦において有色人種の日本が、白人列強に戦争をおこし互角に戦ったことにあります。 当時植民地だった地域の人々に勇気を与えたのだと思いますよ。 有色人種でも白人に勝てるのだって。 アジア・アフリカの独立も日本が世界に見本を見せたから勇気を持って立ち上がり勝ち取ったものです。 タイのククリット元首相の演説にもありましたね。「我々が米英と対等に話が出来るのは誰のおかげか、それは日本と言うお母さんがいたからである・・・」 白人列強は戦争に勝って大事な植民地を失いました。 日本も戦争に負けましたが植民地の人々に身をもって民族自決を教えたようです。
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- bismarks05
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ando57さんへの回答 質問を補足する上でポイントになるので、ここで見解を提示しておきます。 >ベルサイユ会議でのウィルソンの主張に対して イギリス・フランスはほとんど無視していますし、日本の人種差別撤廃案にも反対してましたよね。太平洋戦争前のいわゆる「民族自決」というのはやはり有色人種や植民地には適用されず、白人国家にたいしてのみ。つまり名目上の民族自決であったと思われます。 ご指摘には事実認定として欠如している部分があります。 それは、大東亜会議という独善的ながらもアジア人だけで確認された民族自決の精神の確認です。 ウィルソンの提言が白人において採用されないにしても、それが国際法としての提言として命を持ったことは否定できないと思います。 その結実は不十分にしても、大東亜会議によって明確化できると私は判断しますし、批判するべき部分はあれども、民族自決の精神性はあると言えるでしょう。 > また国連憲章も太平洋戦争後ですので、どちらが先の出来事かと言われれば、太平洋戦争であり、植民地解放の原因は特定できないのではないでしょうか? 国連憲章は日米太平洋戦争の最中に概念的に完成をみています。 本件の質問は、”東京裁判という戦後レジームで「民族自決」が確立したか?”という設問ですから、国連憲章が先ず優先されて然るべきでしょう。 あくまでも設問への解答として、東京裁判よりも先に明言されている(国連憲章)ことを暗示しているわけです。 逆説的に言えば、民族自決という概念は未だ完成していないことも言えます。アイヌ人・琉球人などの少数民族の自決権は達成できず、パレスティナ・クルド人は未だに民族自決を果たしていないと言えますが、それでも「民族自決権」の存在は揺るがないはずです。 ベルサイユ体制において確かに、民族自決権は尊重されていませんが、概念として普遍性ある国際法・自然法として”法の生命”ともったことをもって、植民地の解放の動機が出来上がったと言えるでしょう。 簡単にいえば、(1)”植民地を宗主国が解放する”という植民地の解放の視点ではなく (2)”植民地支配を脱する(独立する)”民族自決権が確認できれば、 植民地の解放の流れと看做すことが可能という立場です。 (2)の視点での「植民地の解放」という視点では捉えられていない考えが日本では多いようですが、 世界の植民地解放の歴史は、(1)よりも(2)の方が少ないわけですが、 歴史的には(2)の方が早く(2)の動機を作ったと言えるでしょう。 以上のような見地から、民族自決権をもって「植民地の解放」とし、民族自決権の確認作業はレーニン(共産主義革命運動)からも見いだせるとして持論を展開しました。 こちらとしては反論がありましたら、自ブログでも展開していただけると幸いです。 質問から話が離れていることを鑑みまして、議論は避けたいと思っています。
補足
お外に出ることもままならない、引きこもりのコンプレックスを持つ者の机上の空論を聞きたくて質問したのではないのです。 実際に、歴史を変えてきたのは、回答者のような人間ではなく、具体的に行動してきた人でしょう、それだけはお間違えのないよう。 実際に何がどのように作用して、どうなったのか、真実を問うているのです。教科書に書いてあることであれば、それを読めばよいだけの話です。 回答者のような人間が、実際の実のある議論と、社会の変化を妨げているのであるとすれば、はなはだ残念に思います。自覚が促されるところです。 自慰行為であれば、他の場所で、人に見られないようにするのがよろしいでしょう。
- ando57
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no3さんの『民族自決』原則が原因で植民地解放が世界的に行われているからです。 というのは、どうでしょう?ベルサイユ会議でのウィルソンの主張に対して イギリス・フランスはほとんど無視していますし、日本の人種差別撤廃案にも 反対してましたよね。太平洋戦争前のいわゆる「民族自決」というのはやはり 有色人種や植民地には適用されず、白人国家にたいしてのみ。つまり名目上の民族自決で あったと思われます。 また国連憲章も太平洋戦争後ですので、どちらが先の出来事かと言われれば、 太平洋戦争であり、植民地解放の原因は特定できないのではないでしょうか?
補足
>イギリス・フランスはほとんど無視していますし、日本の人種差別撤廃案にも反対してましたよね 実際に「実力」を示すことで、物事が動いたのでしょう。 日清日露戦争も考慮に入れるべきでしたね、他の方の回答と、補足、お礼もお読みください。
- zep19
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日本が太平洋戦争中に植民地を解放したことはないですよ それを如実に現してるのが1943年5月31日に天皇列席で行われた御前会議で決定した『大東亜政略指導大綱』 六項 マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セベレスは“大日本帝国の領土とし”重要資源の供給源としてその開発と民心の把握に 努める これら地域では当分軍政を継続する なお、これらの地域を帝国領土とする方針は当分公表しない 傀儡政権による独立をさせようとした地域も フィリピンは既に戦前に米が独立させるため準備段階に入ってる時に日本の侵略に遭遇したため激しい抵抗運動を受け 日本軍による婦女子を含むフィリピン市民への報復でさらに激化 ビルマでも泰緬鉄道建設でビルマ人を含む南方地域からの強制労働者3万3千人が犠牲となり反発を買い 南方地域での物価は日本による一方的な掠奪的貿易で戦前の30~1800倍になり戦前の植民地支配下よりさらに悪化したのが現実です
補足
日清日露戦争も、考慮に入れるべきでしたね。 回答番号:No.1と、その補足とお礼もあわせてお読みください。
- bismarks05
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>極東軍事裁判などにおいて「おまえ、それ(暴力と、暴力による支配)は、良くないんじゃないか」と、欧米人たちに『言わせしめた』ことによるものだと思うのですが、いかがでしょうか? 基本的には説得力は皆無です。 『民族自決』原則が原因で植民地解放が世界的に行われているからです。 世界史・公地公民で習いませんでしたか? http://ja.wikipedia.org/wiki/民族自決 植民地解放の基本路線は、 国連憲章1条2項 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。 で確認され、東京裁判よりも以前の話です。ウィルソンの民族自決ももっと古い話です。 つまり、理論的には、植民地の正当化は出来ない上に、民族個別に自己決定権を行使できるという国際法理が確定していたわけです。 実は、ここらは小学校の受験でも出題される話題ですので、認識の訂正が必要だと助言しておきます。 「おまえ、それ(暴力と、暴力による支配)は、良くないんじゃないか」なんてのは、とっくの昔に国際条約で確認されていますので、あしからず。
補足
>理論的には、植民地の正当化は出来ない上に、民族個別に自己決定権を行使できるという国際法理が確定していたわけです。 理論的には正当化が出来ないのに、実際に第二次世界大戦前までは植民地が情緒レベルにおいて「正当化」されていたのを問題としているのです。 それが、実際の行為振る舞いにおいて、効果を発揮したことで、植民地の解放がなされたのではないかといっているのです。 道理を理解しない幼稚園児レベルでの話をしているのではありません。もっとふさわしい、場所、人がいるかと。 認識力以前に、引きこもっていないで、現実を直視する人間性を養い、まずヒトになる努力をするよう、お奨めいたします。悪しからず。
- sudacyu
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政治的な動きには、多くの要因が絡み合っています。 心理的なもの・倫理観なども政治的なものの要因の一つに挙げられますが、何と言っても一番大きいのは、経済的要因です。 多くの植民地で、第一次世界大戦後、独立意識が高まって、植民地維持に今までよりも大きな経済負担が必要となり、戦争によるヨーロッパの支配国の力の低下もあって、植民地支配が続けられない経済状況が生まれつつありました。 儲かるから植民地を維持するのであって、損をして植民地を維持する理由はどこにもありません。 また、アメリカは、第一次世界大戦による『経済的一人勝ち』によって、政治的に他国を支配せずとも、経済的に支配することが可能となり、コストのかかる政治支配から、支配費用が少なくて済む経済支配に移行していきます。 フィリピンでは、1916年に自治が認められ、1944年に完全独立することになっていました。 インドでも、第一次世界大戦でイギリスの力が落ち、ヨーロッパの戦争に戦後自治を認める条件で、インド兵の参戦協力を求める状況となっていました。(戦後、イギリスは自治の約束を履行せず、ガンジーなどの独立を求める動きが活発化しました。) ヨーロッパと日本の戦いで、ヨーロッパ列強のアジア支配力低下に拍車がかかって、アジア各国の独立の動きが加速されたのは明らかですが、それは決定的要因ではありません。 アジア独立の動きは、第一次世界大戦終了時には顕著になっていました。
補足
「経済的要因」が何処から派生するか、何が根本原因かといえば、実はそれは個々の人間の精神なのです。 > アジア独立の動きは、第一次世界大戦終了時には顕著になっていました。 とすれば、やはり日清、日露戦争の影響によるものでもあると言う事ですね。新たな認識が広がりました。
補足
>それは日本と言うお母さんがいたからである これは、太陽を女神であるとする日本においての、ある意味正しい解釈ではあると思います。情緒がなければ、あれほどの「暴走」はしなかったでしょう。 太陽を男神であるとする諸国と、日本とでバランスが取れていたのでしょう。しかし、今はどうでしょうか。