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言葉に表しきれないものを伝えようとする時
言葉に表しきれないものを伝えようとする時 言葉は不要ですか? それとも そうと分かっていながら言葉を使いますか? 或いは 伝える必要が、さほどなければ止めますか?
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.8お礼欄) ごく当たり前のことを尋ねてみたいのです・・。 ☆ それなら 分かりましたと言って 引き下がります。 ★ 言葉に表しきれないもの ☆ 《神》の問題ではないのですね。(そういう意味で 問いを発する際の切り口を問題にしました)。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 「絶対に、伝えなければならない、場合」には、「「表現」し尽くす」、と思います。
お礼
ありがとうございます。 >「絶対に、伝えなければならない、場合」には、「「表現」し尽くす」、と思います。 だいぶ 真に迫ったお答えです きっと そうなのでしょう。
補足
ごくありふれたところから拾ってみたいと思います。 最近の事なんですが 宿泊したホテルで気が付いたことです エレベーターの近くで座っていたら 「非常口」と表示してある、緑色の看板というか案内板が目に止まりました どこの宿にも、建物にもある見慣れた案内板です よく見ると 人が明るい方に向かって駆け出していく姿が表示されています 非常口という文字は、その絵柄に比べて小さめです いざ、という時 すぐに、誰にでも分かるように表示されているわけです 私が見ていて感心したのは そのデザインの構成でした 実に分かりやすい、一目見れば誰にでも分かる表示です 文字や言葉が理解できなくとも、その絵柄のデザインによって一目瞭然なわけです 文字の説明も必要ではあるけれど、二次的な要素となっていると思いました なぜ? 文字や言葉の理解とは、概念の感性化を経て成されるものだと思います しかし、デザインやマークの表示には、概念の感性化が省略されている 必要としない、或いは大幅に省略可能な面を持っているのだと思います 直接的な伝達方法として有用であると思います 伝えようとする事を言葉に限定せずに、視覚的なデザインを通して訴えるという一つの手法だと思います さまざまな表示、案内、広告の類は、いずれもそうしたものだと思います このへんの事を掘り下げていくと、いろいろな事があるような気がします 質問の内容を、人同士のコミニュケーションに限らず、見てゆきたいと思います。 お願いします。
- faintstar
- ベストアンサー率0% (0/5)
言葉に表しきれないものは、その人の人柄を通して、伝わる人には伝わっていると思います。たとえ最小の言葉や動作でも、です。 ただ、伝わっていない相手にどうしても伝えたいとなると、伝える努力が必要だと思います。 伝えるというのは、相手の理解があって初めて伝わるのだと思います。 なので、努力して素敵な人間になることが 言葉を使わずに自分の思いを伝える手段なのではないかなと思います。 何を書いてるのかごちゃごちゃになってしまいましたが、伝わって頂けてたら嬉しいです。
お礼
ありがとうございます。 >伝わる人には伝わっている・・たとえ最小の言葉や動作でも、です。 そうですね 見慣れたサインなのでしょうね。
>言葉に表しきれないもの それが言葉以外のものでより的確に伝えられることが分かっていたら言葉は不要ですが、 言葉しか自分は自由にならない、あるいは他の媒体でも不可能だということが分かっていたら、 やはりことばで伝えるだろうと思います。 一般的に 言葉は普通の人間にとって最も有用で緻密な概念の伝達法です。 >伝える必要が、さほどなければ止めますか? そのものの重要性と、相手と時と場合によります。 これは哲学の質問ですか? 私が勘違いしているのかもしれませんが。
お礼
ありがとうございます。 >言葉しか自分は自由にならない、あるいは他の媒体でも不可能だということが分かっていたら、 やはりことばで伝えるだろうと思います。 当然のことですよね >これは哲学の質問ですか? 有用な哲理の産出に結びつくかどうかは、感情的な問題としてのみ扱うかどうかによるのだと思います。
- suzumenokox
- ベストアンサー率15% (35/229)
言葉を尽くした上で相手のフィルターを通した相手の個性に託すという感じが大事だと思います。そこには自分の意図を超えた相手の解釈が生じるという可能性があります。想定外の発展が生まれるかもしれないということに私はロマンを感じます。
お礼
ありがとうございます。 言葉とは解釈の発展の可能性を秘めている ということになりますか >ロマン いいですね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
実際に、「言葉で表しきれる」ものなどないのです。 赤ん坊が言葉を覚える時に、系統だって言語学を学び ますか? 経験の中で、モノとコトバと相関をさせて、推測している に過ぎません。 言葉に表せないものであっても、相関性の中で捉えて 周辺から押さえる事でインスピレーションを喚起する事が 可能です(ただし、その人とあなたのベースとなる人生 経験が全く異なる場合は、その経験の違いの追体験 から始めないといけないので困難ですが)。
お礼
ありがとうございます。 >実際に、「言葉で表しきれる」ものなどないのです。 たぶん と言っては失礼ですが そうだと思います。 設計をやっておられる方であれば、当然といいますか そうした感覚が無い方がおかしいのかもしれませんね 言葉以上の表現と常に向き合っている人 ならではのお答えとお受けいたしました。
- mesenfants
- ベストアンサー率31% (43/136)
参考までに。 ――このラーメン、少し「塩辛く(しょっぱく)」ない? といって、 ――それは「あなたにとって」でしょう。 と言われたら、それはそのおりであり、それ以上、「私にとってのしょっぱさ」を相手に説明しようとは思わないのではないでしょうか。 というのも「私にとって~」は相手に伝わっていますから、冒頭の疑似疑問文にとってはそれで十分です。 ここで、 ――A(たとえばダビンチ作「モナリザの微笑」)は、美しい。 と言って、 ――それって、あなたにとってでしょう。 と返されたら、 ――そのとおりです、Aは私にとって美しい、です。 とは言えないと思います。「気持ち」としてというよりも、 ――「美しい」という語の意味として、 「私にとって美しい」は「美しい」という言葉の誤用ですから。 「美しい」はやはり自分だけでなく「他者(の共感)」をまきこんで使うべきものだと思われます。 ――Aは私にとって美しい は「A」にとっても「美しい」にとっても、笑止な文だと言わなければなりません。 ここからが、ご質問へのお答えになればと思うのですが―― Aを美しいと思わない人に、どうすれば「美しさ」を伝えるのか、 相手は「美しさ」が「見えていない」のですから、 「見えていない人」つまり「その存在に気づいていない人」には、 ――私に見えているもの、聞こえているもの、感じられるものが、 きみには見えないのか、聞こえないのか、感じないのか? と言うほかありません。人々がまだ見えないものを予見して表現するものを芸術家というならば、 その「美」を伝えようとする人が「批評家」と呼ばれるのでしょう。 これはたとえですが、 ――「2+2=4はわかるよね?」「はい、わかります」 ――「では2+3=5もわかるよね?」「わかりません」 ――「なぜ? 2ではなく3を足したんだよ、一つ多く足したんだよ、きみには、この多く足した1が見えないの?」 その「1」が見えない生徒には、これ以上算数を教えることはできないでしょう(たぶん)。 ここでは「算術的必然性」が問われているのですが、 「美的なもの」にも「必然性」の領域があると言うことができます。 (それは私たちが歴史のなかで獲得してきた必然性) 本題にもどれば、 人はつねに「言葉に表しきれないもの」に囲まれているのであって、 「言葉」はそれを「示す」ためにこそあると言いたいです。 「美しさ」が分からない人に、理屈のかぎり、言葉のかぎりを尽くして説明するしょうが、 最後は「鋤が固い岩盤に反り返って」それ以上はどうにもならなくなります。 そのとき、「私には美が見える」と言うほかないですが、それはあきらめではなく やはり一風変わった「説得」なのだと思われます。 ――見えないものを見るために、言葉がある。 で、どうでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 いいですね 感性の豊かさが根を張っている答えだと思います >人々がまだ見えないものを予見して表現するものを芸術家というならば、 その「美」を伝えようとする人が「批評家」と呼ばれるのでしょう。 同感です 芸術に限らず、商業デザインの世界にも踏み入ってみたくなりますね 言葉を含めた誰にでも分かりやすいサイン、シンボルの形成という面にも触れてみたい気がします 実用的で確かなメッセージの形成についてです 言葉では表しきれないものを、何によって補うのか そこにおいては 言葉が主か従か・・ 楽しみはとっておきましょうか・・。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
舌足らずでした。 ★ ~~~~ 言葉に表しきれないものを伝えようとする時 言葉は不要ですか? それとも そうと分かっていながら言葉を使いますか? ~~~~~~ ☆ (1) 《言葉に表わしきれないもの》と言っても もしそれを伝えようとするときには そのものが自分には分かっていなければ 伝えようがありません。 (2) つまり 言葉以外の身振り手振りもしくは顔の表情などなどで伝えようとするときにも 何を伝えるのかが分かっていなければ 伝えようがありません。 (3) そのことの問題と言いますか段階と言いますかが 問いではあいまいになっていると考えます。 (4) 言いかえると ○ 言葉では言い表わし切れないけれど いくぶんかは自分にその内容が理解できている という場合でなければ 伝えようがありません。 (5) 伝える内容がいくぶんかでも分かっているなら いろんな手段で伝えようとするでしょう。 (6) それは 試行錯誤です。相手にもよりましょうし 伝える内容にもよりましょう。 (7) 《言葉に表わしきれないもの》をまづは自分がしっかりと把握することが 先決だと考えます。それが少しでも出来たなら いかようにも伝達手段はこころみてみればよいはずですから。 (8) どの手段をとるかは 効果によります。初めに決める必要はないでしょう。 (9) 伝えたくなくなれば やめればよいだけとちゃいますか。 (10) なんでこの質問のような問い求め――その切り口――になるのかなぁ。
お礼
ありがとうございます。 > なんでこの質問のような問い求め・・ 問い求めをする必要があるのかなぁ ということでしょう 聞く必要は ないんじゃないかなあ という 自然な判断で済むことじゃないか という ごく当たり前のことを尋ねてみたいのです・・。
- MOG777
- ベストアンサー率14% (20/139)
世の中には伝えることのできない事柄や状況というのが当然としてあることを知っていることが智慧だと思います。 そして、伝えることのできない事柄を伝えようとすることは愚かです。 もちろん、言葉以外の方法で伝える方法もありますが、それはそれで伝わるから試みるのであって、伝わらないことがおかしいといって無理押しすることとは違うものです。
お礼
ありがとうございます。 >伝えることのできない事柄を伝えようとすることは愚かです。 沈黙は金なり ということでしょうね 伝えるより伝えない方がいい ということは沢山あると思います。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
言葉に表しきれないもの、かどうかはわかりませんが、メッセージには音楽とか絵画とか彫刻とかの方法がありますね。 でも、質問は言葉の世界に限定しているようなので回答としては、できるだけ多くのパターンを言葉で表して、理解を求めます。 ☆ 伝える必要がさほどなければ止める、のが賢明かと思います。
お礼
ありがとうございます。 >メッセージには音楽とか絵画とか彫刻とかの方法がありますね。 そうですね メッセージの送り方の選択ということになるんでしょうね 芸術も創作者のメッセージ ということなんでしょう どうしても伝えたかった事を 奏でる、描く、形づくる という方法でやってみた やってみた というよりは 作者にとっては、それしかなかった のかもしれませんね 芸術鑑賞には 創作者が何を伝えたかったのか という読みどころがあるのでしょう 言葉以外のものを選ぶ という選択の広さには 感性の豊かさや可能性があると思います ☆ 伝える必要がさほどなければ止める、のが賢明かと思います。 風景を描く画家は、同じ風景を幾度も描きつづけるそうです この場合は 風景から伝わってくるものを、深く掘り下げていく作業のようです そして 完全に納得のいくものは一枚もないのでしょうが 発表しても いいと思うものがやっと出来あがって 人に見せるようになる この最終段階で 「伝える必要」があるかないかの判断が下されるようです 描き始めの最初においては「伝える必要」ではなく 「知ること」であったわけです 知り得たものを 伝えるべきかどうかの判断が最後に下されるのだと思います 「伝える必要」とは 「知ること」によって明らかになったものに対する判断なのでしょう 最初から明らかになっている場合もあれば、そうでない場合もあるのだと思います また、それが相手にとって必要なものかどうか という判断もあると思います 芸術家の場合は、自らの「伝える必要」だけのようにも思えますが 受け取る側の「伝わる必要」を問う、試しているようにも思えます 世に作品を問う という事なんでしょう 最終段階での判断とは、案外勇気がいりそうですね 止める、のが賢明 という判断も勇気がいりそうです。
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お礼
ありがとうございます。 ☆ 《神》の問題ではないのですね。 そうなんです 日常に潜む奥の深さ というものを皆さんから聞いてみたい 気がするのです。