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大坂冬の陣あとの堀埋め
どのようにして、あの巨大な大坂城の堀を埋めることができたのでしょうか? 埋めたあとの絵巻などがありましたら、URL等を貼っていただけるとありがたいです。
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http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4363e.html 大槌町の瓦礫が約50万トン 5 × 10~5 トン 人口が12,000人 外堀を 外周5キロメートル 深さ5メートル 幅20メートル とすると、その容積は 5 × 10~5 立法メートル 瓦礫の比重を1とすると 1トンは1立法メートルになるので 大槌町の瓦礫の量だけで外堀はすべて埋めることができる。 当時の大坂の街を破壊し尽くしたはずなので、埋め立てるだけの瓦礫は十分にあったのではないかと推測します。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.2
家康は言っています「城を作るのに堀を掘るのは大変だがそれを埋めるのは子供をあやすより簡単だ、ましてそれが今まで自分たちを苦しめていた障害物であるとなれば余計に気合が入る」と… つまりは「このやろー今まで散々てこずらせやがってこの堀め!」という感じで作業をすればあっという間に埋まるのです 実際そうだったらしいですね
質問者
お礼
ありがとうございます。外堀を埋めるのは大変だったでしょうね。文面からも当時の人々の気合が感じとれます。
- sinntyann
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回答No.1
まずは、周りに有った、家などを壊して、それを埋めたようですね。 多分、その量も半端じゃなかったでしょうね。
質問者
お礼
なるほど。埋める材料は土ではなくてもいいのですね。ありがとうございます。
お礼
住民はどのような生活だったのでしょう。指導者は、いつの時代も平和制定を目指して天下統一を唱えるのですが、その引き換えに多大な犠牲者を生んでいるのですね。ご回答ありがとうございます。