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「正しい日本語」
私は、今までに「正しい日本語」の存在を、見たり聞いたりしたことがございません。 学校教育のような場で ・このように使うのが正しい(用法) ・この言葉の意味は意味は○○というように捉えられている(辞書の記述) ・この表記はこのように決める(表記法) ・この漢字はこの書き方に決定する(漢字の使用制限) という指導は受けてきましたし、これらについては、「ただしい」と「まちがい」があると思います。 しかしながら日本語を包括的にとらえ、総合的に「正しい日本語とはこれである」といったような体系が整えられているとは、ついぞ教わった記憶がございませんし、発表も寡聞にして知りません。 もしこのようなものが世の中に存在するとしたら、国語審議会(平成12年に最後の会議が行われていますが以降は行われていません)のような会議が、必要だったとは思えません。 そして、「正しい日本語」というものがあるとしたら、方言の文法や言い回し、語彙、というものは、すべて「正しくない日本語」ということになってしまいます。 また「正しくない」とまで言い切らなくても、「方言は方言だから、方言とは別に『正しい日本語』を使うことができなくてはならない」ということを学校教育で徹底しなくてはなりません。 しかしながら、学校教育であっても、そのような徹底はされていないのが、現実です。 いったい、「正しい日本語でしょうか?」「これが正しい日本語です」とおっしゃる方々は何をもって「正しい日本語」とおっしゃるのでしょうか? 質問は、ですから、以降のことです。 === ・「正しい日本語」は、いつ、だれが作ったのですか? ・世の中に存在するのですか? ・存在しないとしたら、「正しい日本語でしょうか」という疑問文は成立するのでしょうか? ・存在しないとしたら、「これが正しい日本語です」という方々の発言の根拠はいったい何でしょうか?
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・「正しい」は無いと考えます。 ・存存しないと考えます。 ・疑問文はどのような「仮定」でも成立するから「疑問」なのでは無いですか? ・「正しい=模範的」のよくある取り違えでしょう。他の基準に対してなら、慣用しても良いところですが、厳密には語意を取り違えているのに「言葉(語意)」に対して胸を張ってしまうのは滑稽なので、寛容してあげましょうよ。だって、頑張って妥当性を主張しても、賛同してくれるのは一握りなんですから。 くたびれもうけでしょ。
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- ranx
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本当は「『正しい日本語』は存在しない」論者なんですけど、 そうあからさまに否定されてしまうと何だか張合いがないので、 少し擁護してみます。 ・「正しい日本語」は、いつ、だれが作ったのですか? 人為的に作られたわけではありません。日本語使用者の活動を通して 形成されてきたものです。 ・世の中に存在するのですか? モノとしては存在しません。日本語使用者の言語能力の中に仮想的に 存在します。 ・存在しないとしたら、「これが正しい日本語です」という方々の 発言の根拠はいったい何でしょうか? 上の質問に対する回答で、「仮想的に」という限定をつけました。 「正しい日本語」というのは、いわばすべての日本語使用者の言語活動の 総体です。その中で、一定の状況下ではほぼ例外なく使われる表現も あれば、まず使われることのない表現もあります。前者が「正しい」、 後者が「正しくない」とされる表現です。日本語活動の総体ですから、 個々の日本語使用者がそれをすべて自分のものとすることは不可能です。 個々の日本語使用者は、それぞれの言語体験を通じて、それぞれの 心的能力の中にこの「総体」もどきを構築します。実際の「総体」との 一致は確率論的なものです。とはいえ、意思疎通が可能であるという経験は、 この一致がそれなりに高い確率で実現していることを推測させます。 ある表現が正しいかどうかの判定は、それぞれが再構築した 「正しい日本語」像に基づいて下されます。それが実際に正しいかどうか というのは、またしても確率論的なものです。 ・存在しないとしたら、「正しい日本語でしょうか」という疑問文は 成立するのでしょうか? 成立します。 個々の日本語使用者は、それぞれの言語能力の中に「正しい日本語」像を 作りますが、実際の日本語総体との一致は確率論的なものです。状況により この確率が低いと感じられる場合があります。そうした場合、像の再構築の ため、この種の質問が発せられることがあります。返ってくる答えが100% 正しいという保証はありませんが、それが言語体験の不足を補うもので あることは確かであり、そのようにして「像」は補修されます。 言語はコミュニケーションの手段です。コンピュータの通信において 送信側と受信側のプロトコルが一致しなければならないように、人間の 言語活動においてもプロトコルが存在しなくてはなりません。個々の 日本語使用者が言語能力内に構築する「正しい日本語」像は、まさに そうした役割を果たします。 ・・・長くなりました。お付き合い、ありがとうございます。
お礼
ありがとうございました。 たいへん楽しく読みました。
補足
この場をお借りして、お答えいただきました皆様に改めてお礼申し上げます。 ありがとうございました。 今後も「正しい日本語など存在しない」「言葉は通じればいい」ただし「美しい日本語を使いたいものだ」という考えに自信を持って答えていくことにします。 本当にありがとうございました。
- yukarikihara
- ベストアンサー率11% (42/359)
「正しい日本語」などどこにも定義されていないと思います。 「正しい日本語を知っている」 と思い込んでいる人が、聞いたことのない表現を耳にした時 「間違っている!!」 と鬼の首でもとったかのように騒ぐだけです。 辞書にある言葉は現象の後追いです。 言葉は皆がつくります。
お礼
回答していただき、ありがとうございました。 まったくそうですよね。 元気がでました。
- Aruku-20030515
- ベストアンサー率23% (362/1544)
>>それまでの経緯を無視した変化に対しての指摘、が「正しい」「正しくない」という論調になっている、ということでしょうか。 恐らくそうだと思います。 >>なお、パソコンを売っている電気屋の店頭なら >>「インターネットをください」といって通じるように思います。 >>「インターネットを(利用できるものを)ください」 >>とカッコ内を省略したともとれますから そうですね、一般的にも通じるかもしれません。 が 私(IT業界に入って9年目)からするとコレは大変間違った利用と受けます。 「インターネット」は、そもそも通信機器同士を結ぶネットワーク網の総称のことですから、その物全体をくださいと言ってるように聞こえるからです。 なので言葉の使い方の「正しい」「正しくない」の違いはその程度しかなく、言葉の使い方や意味も変化している ということですね
お礼
なるほど、おっしゃっていることが理解できました。 そうですよね、「通じない用法=正しくない用法」ですよね。 ご回答が具体例となっていて、質問自体の答えも、大変よくわかった気持ちになりました。 ありがとうございました。
- Aruku-20030515
- ベストアンサー率23% (362/1544)
全体的な枠組みで考えますと聖書のような日本語全体を規定する「物」は無いとは私も思います。 そもそも日本語自体が「時代」において日々、追加されたり表現が変化しつづけているからです。 しかし言葉も一度生まれてくれば、その生まれた経緯と 意味があり、それが先代から受け継がれて今に至っているのです、が 時として言葉が一人歩きする事があるようです。その部分を「正しい」「正しく」ないと言われてます。 それが顕著に表れるのが「謙譲語」「尊敬語」「丁寧語」の誤用と世間的によく言われています。 私自身、いやーなカテゴリーで苦手です。 現代的です見ませんが 例えば、今現在において 店で「インターネットをください」と言って意味が通じる人はどれくらい居るでしょうか?
お礼
おっしゃってらっしゃることが、少しですが理解できました。 それまでの経緯を無視した変化に対しての指摘、が「正しい」「正しくない」という論調になっている、ということでしょうか。 なお、パソコンを売っている電気屋の店頭なら「インターネットをください」といって通じるように思います。「インターネットを(利用できるものを)ください」とカッコ内を省略したともとれますから。
- Aruku-20030515
- ベストアンサー率23% (362/1544)
>>・「正しい日本語」は、いつ、だれが作ったのですか? 先代の日本人 >>・世の中に存在するのですか? 定義されてますので存在します >>・存在しないとしたら、「正しい日本語でしょうか」という疑問文は成立するのでしょうか? >>・存在しないとしたら、「これが正しい日本語です」という方々の発言の根拠はいったい何でしょうか? ・古い書物と戦後の人間から 「正しい」と「正しくない」との判別は 昔の日本人が、当時考えた意味の元で使っていた言葉が 現在において、当時と違った意味になっていたり、誤解で使っている部分を言っています。 しかし、言葉も変化していきますので、現在使われている状態が将来の日本語のベースとなり、違和感なく使われて 行く事になるでしょう。
お礼
ありがとうございました。 もし許されるならば、上記補足をお読みいただき、再度のご回答をいただければ、と思っております。
補足
質問は 「日本語を包括的にとらえ、総合的に「正しい日本語とはこれである」といったような体系 の存在を伺うためのものです。 先代の日本人はそのようなものを「編纂」してないと思います。 水戸光圀が「大日本史」を編集したように、だれか、またはどの組織が「正しい日本語」を編纂したのでしょうか? なお、辞書ではこの役割を果たしていないのは、質問文に書いたとおりですから「辞書があるじゃないか」では私はまったく理解できません。
お礼
>>疑問文はどのような「仮定」でも成立するから「疑問」なのでは無いですか? ありがとうございます。目からうろこが取れたような気がします。 その通りですね! このような疑問文をいう方は「仮定を述べているだけだ」と捉えることがいいということですね。 >>くたびれもうけでしょ。 本当です。 もうそんなこんなで、「国語」カテゴリで答えるのがすっかり嫌になっています。