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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。)
日本語を書面に表現する際の漢字使用の必要性について
このQ&Aのポイント
- 日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須かという疑問があります。戦後、漢字の弱点が指摘され、廃止論も提唱されましたが、現在も使用されています。
- より能率的な表記法があれば漢字の使用を減らしても良いという意見もあります。アルファベットやローマ字に限らず、現存する表記法や新しい表記法のご意見を求めています。
- 日本語の表現には歴史的・文化的・学問的・教育的・芸術的・科学的な要素があり、社会全体のニーズを考慮して意見を募集しています。参考文献『漢字と日本人』も紹介しています。
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お礼
非常に詳しいご回答、ありがとうございます。中身をちゃんと把握して、補足を用意するのに時間がかかそうですが、必ずアップします。 私の問いに関してこれほどご時間と労力を割いていただき、誠にありがとうございます。
補足
本質問に回答してくれた方々の殆どが、同音異義語の多さが(漢字廃止において一番大きな)ネックだ主張しています。やはり、重大な課題ですね。 文法的な問題について、例の 「うらにわにはにわにわにはにわにわとりがいる」・「裏庭には二羽、庭には二羽、鶏が居る」ですが、 うらにわ に は にわ、にわ に は にわ、にわとり が いる のように、空白を入れることによって、漢字を使わなくても例文の言葉が持つ意味を把握するのが著しく速くなると思います。 それに、他の回答者が挙げた例文もそうですが、上記の紛らわしい「にわとり」の文には脈略がないことこそ問題です。 机上の例、問題集のためにわざわざ作られた例をおいといて、実際の言葉だと話しには文脈(背景・前後関係など)が存在します。 文脈(一つ前の文章ではなく、話し全体)が分かったら、「あめ」、「はし」、「おこる」など大和言葉を混乱する恐れはあまり大きくないでしょう。 大和言葉より、むしろ漢語に由来する熟語が誤解を招きやすい言葉でしょう。 例として、「きかん」、「せいか」、「しんせい」のようによく使われている同音異義語がそれぞれ約 15 個あって、少し珍しい慣用語も入れたら 30 個になり、 死語に近い言葉も計算に入れたらさらに膨大します。 それでも、文脈さえあれば読者が読んでいる文面に出る「きかん」が「機関」、「期間」、「帰還」、「気管」、「器官」など、どの熟語を指すか、それほど躊躇することはないでしょう。 多くの方々にとっては同音異義語が(漢字廃止論において)致命的な問題だと考えているようですが、本当にそうでしょうか。 次、「朝鮮語は日本語同様、ハングルであっても漢字で意味を補完していたと思われるが、現在ではほぼ漢字の素養が失われたため、朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる。」 Blog を紹介してくれて、ありがとうございます。中身はとても面白かった。ただ、 「朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる」 を断定するのに、本 blog が紹介する逸話が足りない気もします。 勿論、若い医者が「陣痛」と「鎮痛」の区別が出きなければ大変ですが、今のところ実害の例は本当にあるでしょうか。後は、どんな社会においても、意思疎通がスムーズに行wられないことが重大な課題だと思います。しかし、同音異義語いがいに意思疎通がうまく行われない原因は数多くではないでしょうか。 文化的な面に関しては、なにも還元主義的な議論をするつもりはありませんが、古典初め漢字と関係のある文化的なことに興味のある人達(専門家・一般読者)が それぞれの興味・活動が必要とする漢字を自らで獲得すれば宜しいではないでしょうか。もし官僚と政治家が望ましいと思えば、漢字学習に援助金を注げば宜しいかと思います。 一方、「文化」を御大儀掛け、日常生活には漢字を必要としない国民に(漢字と縁のある)文化と触れさせるために、無理やり2・3千もの漢字を親しませようのもどうかなぁと思います。 それに、「文化」は流動的な生き物です。いくら漢字が昔の文化において必要だったとしても、現在は違うようであれば、昔からの遺産を強制的に押し付けなくても宜しいではないでしょうか。 次は、phj様が指摘してくれた文法的な話しです。 「にわとり」の例に見られた煩わしさは「ほぼすべて漢字を利用することで回避しているのです」とされます。 確かにそうです。しかし、上記に述べたように漢字がここで果たす機能の代わり、空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能です。漢字を使う文章と比べれば多少働きが悪いことは否定しませんが、一方、漢字を習得するための時間・苦労と、他方、漢字を使わずことが生じる若干の不便さを天秤にかけて量ってみますと良いではないかと思いますが、いかがでしょうか。 最後に、「ひらがなは日本語の発音則に対応していない。」 これも、確かにそうです。とはいえ、文字と発音が多少一致していなくても、仕方がないことだと思います。文化と同じく、言葉は生き物ですから。 長くなりましたが、本補足に関して疑問に思われるところがあれば、是非、再回答をよろしくお願い致します。