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光源氏の年齢
初歩的なことでおはずかしいですが 数え年はいつ頃から使われていたのでしょうか? 光源氏について要約してあるページで 母親と死に別れたのが三歳とあったのですが、 これは満表記・数え表記のどちらなのでしょうか?
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- hanatsukikaze
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満年令について、明治に西洋に合わせるべく改正(年齢計算に関する法律(明治35年法律第50号))された以降も続けられたが、年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日法律第96号)により満年令となった。 しかし、未だに享年を数えるときは数え年で通知される。 人の習慣を変えるには、100年単位の時間の流れが必要なのだろう。 年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日法律第96号)を検索してくれ。ウィキペディアにしたらエラーが出てしまった。 源氏物語に関する光源氏と周辺の年齢については、古来多くの説があり、一部不明な部分もある。 長編小説を書いていると、年齢差を間違えることは現代でも多々ある。
- chie65536(@chie65535)
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訂正。 >その約1ヶ月後の 「その」ではなく「改暦の」です。 実際の改暦は、明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日を明治6年1月1日(1873年1月1日)とする事で行われ、改暦が行われた明治6年1月1日の約1ヵ月後に「満年齢の採用」がありました。
- chie65536(@chie65535)
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旧暦が廃止され、新暦が法的に採用されたのが、明治5年11月9日(1872年12月9日)の太政官布告第337号(改暦ノ布告)です。 その約1ヶ月後の明治6年2月5日(1873年2月5日)、太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)によって新しい年齢計算の方法が定められました。 それが「満年齢による年齢計算」です。 つまり「満○歳」ってのは「明治になってから始まった」のです。 それ以前は、すべて「数え年」です。明治以前は「満年齢と言う考え方が無かった」ですから。 数え年は「生まれた瞬間が1歳」で、大晦日から元旦にかけて「1つ年を取る」のです。 なので、12月31日生まれの人は「生まれた瞬間の大晦日は1歳、翌日の元旦は2歳」になります。生まれて2日で2歳になっちゃうのです。凄いですね。 「誕生日に関係なく、全員が一斉に大晦日に年を取る」ので、大晦日の事を「お年取り」と言って、祝う習慣があります。