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風土と気質の違い
- ある自治体の昔の人は気性が荒く、近隣の自治体では穏やかで道徳的な雰囲気があると感じる。これは風土による気質の問題であり、個性ではない。
- 土地の歴史や住民の祖先の影響により、ある地域ではガラが悪くて修羅っぽい気質が残り、他の地域では平穏で道徳的な雰囲気が醸成されている。
- 同じ米作りをしている農民であっても、風土や土地の歴史により、気質に大きな違いが生まれることがある。
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個人的な経験値ということで読み飛ばしていただければと思いますが、 私は海軍工廠があった町で生まれ、その中で育ちました。 町全体としてはおっとりした、DQN からは程遠い感じでしたね。 やくざ抗争や凶悪事件は皆無でした。 いくつかの特別な区があって、高級公務員の官舎は秀才が多かったです。 在日の区はちょっと貧しい感じがありましたが、それなりによくできたひとたちでした。 道徳的に差があったか?まあ否でしょう。 長じて旧士族のひとたちと知り合うことがずいぶんありましたが、ほぼプライドの割には平凡、道徳的には差はないといっていいと思います。これは教育の成果でしょう。 更に長じて旧産炭地域に過ごしましたが、多くの区域に別れ、戦中戦後に全国から集まった在日を含む作業者の住居区域は、はっきりいってDGN の気風が残っていました。それと異なった古くからの農業区域ではいわゆる被差別区域ですがそこも DGN の気風がありました。道徳的には両方ともに微妙ながら平均以下と言えます。凶悪事件が多く、やくざの活動、抗争も全国的に見れば活発です。ここ10年に限ってみればそういった傾向はなくなってきているとは思いますが。 私見では、気風が残るとすればせいぜい戦後期以来の区域の成り立ちが原因なので、江戸期以前殻の影響はほぼゼロなのではと思います。 >同じ米作りをしている農民で、近隣の自治体同士なのに、こんなにも気質が違うものなのでしょうか? ちょっと信じられませんが、私は経験していません。 ご参考になれば。
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- blackhill
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>>中世は関係ないですかね。海賊の子孫ならガラの悪さが残っているとしてもおかしくないのかと思いましたが… 戦時中海軍工廠があって、日本中から兵隊が集中して人口が一時的に膨れ上がった特殊な地域があります。そういうところは、DQNも多いのかなと思うのは気のせいでしょうか。<< 質問歴で分かったのですが、その筋の質問でしたか。プロフィールを拝見してから回答するよう心掛けているのですが、まさか歴史のカテに出没するとは思っていませんでした。 それはさておき簡単な追加のみ。日本の場合、海賊は中世末で消滅し、わずかに瀬戸内などの大名の水軍として生き延びました。私も村上水軍の末裔ですが江戸時代は北面の武士として宮中で勤め、近代には活躍の場がありませんでした。少なくともガラは悪くなかったようです。 海軍工廠というのは、海軍直営の工場、造船所のことで、兵隊が働いていたわけではありません。もちろん、監督のため技術系の士官がいたはずですが、ごくわずかです。私の遠縁も軍用機のテストパイロットでしたが、民間人でした。
お礼
再回答ありがとうございます。出没してすみませんでした(笑) 近代には村上水軍は無法者と言う訳ではなかったのですね。 戦後は兵隊がその近辺に住み着いたわけではないのですね。 工廠関係の労働力が一時的に集中して、戦後は地元に帰る人も居れば、近隣の田んぼを持った人も居るのかな、とも思いましたが、そう簡単に土地を得られるものでもなさそうですね… それが、隣の市の農村部になると、気質がまるっきり変わってしまうのですが、むしろこっちの道徳的で穏やかな方が全国的にはポピュラーなのかな、という気がして、疑問に思った次第です。 ありがとうございました。
- blackhill
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それぞれ固有の風土が、そこに住む人々の考え方や行動になにかの影響を及ぼすことは古くから観察されています。 しかし、教育が普及し、地域間の交流が盛んになった現在、風土の違いでどこまで地域性を説明できるか疑問が残ります。 質問者が挙げている例は、歴史的に形成された風土というより土地柄といった方が適切ではないでしょうか。落ち武者とか海賊とか、中世に遡る要素が本当に機能しているとは思えません。 確かに農業集落と漁業集落とでは、社会組織や連帯の程度に相当の違いがありました。しかし、農業を主たる産業とする近隣の集落間で土地柄に顕著な違いがあるとすれば、社会学者が喜んで論文を書くと思われます。 少なくとも、,<<戦時中軍人が大量に住み着いて、それが今は農家で米を作っている>>集落がもしあれば、別に刀を振り回さなくても注目されること間違いなしでしょう。
お礼
中世は関係ないですかね。海賊の子孫ならガラの悪さが残っているとしてもおかしくないのかと思いましたが… 戦時中海軍工廠があって、日本中から兵隊が集中して人口が一時的に膨れ上がった特殊な地域があります。そういうところは、DQNも多いのかなと思うのは気のせいでしょうか。 今、思いついたのですが、次にもし日本が戦争になると、兵隊になるのはどんな人間なんでしょうか。何もすることが無いニートから死んでいくのか。うだつの上がらないワーキングプアのフリーターから死んでいくのか。それとも立派に働いている体力に自信のある真面目な人なのか、それともDQN系かガテン系の屈強な人なのか。 昔の兵隊は武士道を誇りにする、刃をも恐れない気骨のあった人達なのかもしれないけど、これから死んで行くのは、どうしても一攫千金を狙うニート・フリーターなのかもしれない。どうでもいい人間から先に死んで行けば良いという社会なのかもしれない。 精鋭である自衛隊の人たちは指導的立場になって、滅多に犠牲になるべきではない、人材は温存しておくべきなのだ。 そんなことを考えさせられましたね。 ありがとうございました。
- williumblake
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よくあることです。 昔は大地主で、商売もして尊敬を集め、人と親切に丁寧に接してきた土地柄と、漁や狩猟で生計を立ててきた土地柄とでは、現代は同じ業態をしていても、土地柄から来る人の考え方や社会の仕組みの違いはあります。 戦後のGHQによる農地改革で大地主は土地を奪われ、周辺住民は土地を得ましたが、地主であった土地は今も歴史的建造物など昔の面影を残しています。 人さまとの関わりで生きてきたか、外から何かをぶんどって生きてきたか、その性格の違いでしょう。 土着の祭りや行事などに、その名残は残っていて、そうした行事を通じて昔の気質を次世代へ受け継いで行こうという意識もあるのだと思います。
お礼
なるほど。やはりそういうのがあるんでしょうね。 ありがとうございました。
- suicyo
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論理的な回答はできそうにありませんが、個人的な感想なら‥ 私は愛知県出身ですが、思い当たる節は多々ありますよ。 中学生になった当初、北小学校から進級した私たちは、南小学校から進級した連中が、男女ともなにかガサツな奴らだと感じました。逆に、南小学校出身の連中は私たち北小学校出身がおとなしいから子分にしてしまえ!と相談していたそうです。同窓会の時に教師から聞いた話ですが、中学校では、毎年、南北の両小学校の気質の差を1年生のうちに解消するのが議題になっていたそうですが、別に教師が何もしなくても1学期のうちに解消されるのが通例だったようです。当時は両小学校とも半農半漁の村でしたが、気質の差の理由はさっぱり判りません。 高校は私立で愛知県全域から生徒が通学していましたが、名古屋弁、尾張弁、知多弁、三河弁などなどが飛び交い、同じ愛知県でもこんなに言葉が違うんだと驚きました。同じ尾張弁、知多弁、三河弁の中でも、地域によっても語尾が微妙に違うのです。特に豊橋など東三河出身者の話し方はぶっきらぼう?に感じましたが、性格はむしろ温和な奴が多かったです。 京都に進学し、関西弁に辟易し、同級生の全国の方言にも驚きました。そのまま京都で就職しましたが、取引先の東三河の方の話し方が妙に懐かしく、東海地方の方々はみな人懐っこいように感じました。 以来30年、京都人として京都弁をしゃべる私ですが、愛知県の言葉を聞くとすぐに愛知県人とわかるものの、なぜか違和感を感じてしまいます。京都に染まってしまったということですね。
お礼
私は2か所の小学校を渡り歩いており、その二つは中学で共通になります。確かに、小学校範囲での気質の違いも感じました。それは、私の地域の場合、通う生徒が新興住宅地の子供が多い小学校、公営住宅の子供が多い小学校ということで違っていたのだという解釈で居ました。公営住宅の子供が多い小学校はガラが悪かったです。それも、中学になると、やはり溶けて新しい雰囲気になります。 質問の趣旨では、市単位での話で、同じような規模の市(隣同士)の同じような農村部で、年寄りの気質がまるで違うことに着目してのことです。農村部での年寄りの気質なら、「土地柄」と言うことが出来ると思うのです。 市が違うだけで方言のイントネーションすら変わってしまうのも、私の土地でもあります。 やはり全国的にそういうことはあるのでしょうね。 ありがとうございました。
お礼
工廠は関係ないのですね。被差別地域や作業場があった所もあるのですね。江戸時代以前はほとんど関係ない。なるほど、そうですか。 ありがとうございました。