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なぜ天皇は人気があるのか?
天皇に対して批判がらみの質問をすると、だいたい 8、9割以上の人からバッシングを受ける。 なぜ、ここまでみんな天皇が好きなのか? これは、北朝鮮での将軍様を愛する気持ちと同じなのか? 実際、戦前の日本は北朝鮮と同じであった。 国際社会の嫌われ者で、はみだし者であった。 日本がそうであったように、北朝鮮も一度戦争をし、負けて 目覚めねばならない。 日本は戦争に負けて多大な犠牲を払ったが、そのため マッカーサーが日本を良い方に改革してくれた。 もし、日本が勝っていたら、いまだにこの国は民主主義では ないかもしれない。小作人もいまだにいるかもしれない。 しかしついでに天皇制も終わらせてくれればよかったのに、 やはり、天皇の人気がそれをさせなかった。 他国からは天皇の戦争犯罪の追及がされるなか、天皇の人気を 無視しては占領統治ができないと、マッカーサーは判断した。 しかし、なぜ 今も昔も天皇はこれほど国民に人気があるのですか?
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- 雪中庵(@psytex)
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稲作農耕文化、島国文化という、2つの集団主義的文化 の重なった日本は、世界でも稀に見る協調性の強さで、 それが近代の工業化における大量生産に適合して、 アジアでダントツの発展を遂げたのです。 ただ、集団主義においては、その共同幻想のヨリシロと なるものが必要で、例としては儀式宗教として皆が同じ 行動をとるための神道や仏教があります。 もう1つの例が(神道とも一体となった)天皇なのです。 過去、有力貴族や武士、大名が天皇を上回る実権を 握りながらも、天皇制を廃する事なく、国民のそうした 集団主義を満足させるシンボルとして利用してきたのです。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
しかし、なぜ 今も昔も天皇はこれほど国民に人気があるのですか? ○ 単に日本人だからでは説明になりませんね。日本人の名前は漢字2文字が多いですね。 この漢字2文字の名前の語源をさかのぼると3つぐらいの名前に行き着くのです。 それが藤原、源氏、平氏ですね。これらは皆天皇家の親戚なんですね。つまり、日本人の殆どが天皇家の遠い親戚になっているのですね。ちなみに私の名前も源氏系にある名前ですね。 漢字1文字の名前もありますが帰化人の人が多いですね。 日本人の中核は天皇家の末孫であると言って間違いはないのです。これは法律でも憲法でもない血脈ですね。 誰も自身の親類、それもご本家を悪く言われると嫌でしょ。そういう感じですね。 日本の天皇家は他国のように単に権力や権威で存在しているわけではないのです。
- bougainvillea
- ベストアンサー率21% (185/853)
絶大な人気があったのは昭和天皇まで、それでも殉死者はいなかった。 平成の天皇に熱狂的なファンはいるか疑問(ただし美智子さんは大人気) 皇太子&雅子、愛子になるとアンチもかなり多いような。。 終戦時の日本ではアメリカが天皇を通じた間接統治を採用したこと、 民衆が疲弊しすぎて下からの革命どころではなかったこと、 すぐさま冷戦が始まったので共産革命の防波堤として 日米ともに天皇制を利用したことが大きい。 また、戦前に天皇と神道を混ぜた国家神道という宗教を作ったので その名残で今でも狂信的ともいえる天皇の信者がいる。 王室は「自由・平等・博愛」の近代国家の理念から、反しているので なくなっていくのはやむを得ない。ヨーロッパではWW1で王室は激減、 20世紀の超大国アメリカ、ソ連や、21世紀に成長してゆくと言われる 新興国BRICsで王族がいる国は1つもない。 東アジアで見ると、20世紀初めには各国に王族がいたが、 中国は清朝滅亡時に、韓国も太平洋戦争終了時に、モンゴルやベトナムでも 王族はいなくなっている。近年ではネパールの王室が廃止された。 今でも東アジアで王室があるのは、日本、タイ、カンボジア、ブータンくらいなもので、 時代の趨勢とともにそのうちなくなると思うが、 日本に中国人が浸透するのを防ぐために、ナショナリズムが血統を求め 天皇がその象徴とされる可能性は高いようにも思う。 ざっとこんなところでしょうか。
- taco8ch
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希薄になって彷徨い出した帰属意識のターミナルとしては お手頃なのではないでしょうか?貴族だけに。
小林よしのりの天皇論の影響で広まったんだと思う。
日本の国家というものについての根本的な問題がいろいろ議論されているので、私も質問者様含めて諸賢各位から教わり勉強させていただきました。 >もし、日本が勝っていたら、いまだにこの国は民主主義では ないかもしれない。小作人もいまだにいるかもしれない。 しかしついでに天皇制も終わらせてくれればよかったのに、 やはり、天皇の人気がそれをさせなかった。 このあたり真実も含まれているような気がします。質問者様の記述が簡単なので、なぜそのように考えられたのか、わからない面はありますが、私自身はやっぱり >しかしついでに天皇制も終わらせてくれればよかったのに、 とはどうしても思えないひとりなのです。あそこで天皇を廃位させ、共和制にしておれば、日本はどんな国になっていただろうかと考えると恐ろしい気分になるのですが、質問者様はどう思っておられるでしょうか。天皇家に関する経費が0になって税金が安くなっていただろう、そう思われるのでしょうか。それとも、もっと異なった倫理的な問題をお考えでしょうか。 国というのはおかしいものです。はやく世界がひとつになって世界連邦が出来たらいいなとも思いますが、手塚治虫氏がいくつかのマンガにそんなことをちらっと描いたのを見ていた子供の頃を思えば、その理想は今ではとても50年やそこらでは実現しそうもない困難なことだということが私には理解されてきました。 そうなれば、やはり当面はそれぞれの国をそれぞれの国民がそれぞれの方法でしっかり維持していくことが必要だということになります。国というのは本来人工的な、いわば架空のものなので、何か芯のようなものがあって求心力がないといずればらけてしまうのです。 イスラエルやイランなどのようにひとつの宗教でまとめるとか、北朝鮮のように強力な人間が強引にまとめるとかいろいろあると思います。以前ある評論家が「日本は日本教という宗教でまとまっているのだ」といったことがありました。その教主が天皇だというのです。 こういった考え方はありますが、なんとなく多数がひとつの人間を中心に国を作っている気になっているという伝統は国を形成するためには理想的なことだろうと私は思います。それはどこの国もひとつの理想とかんがえていることで、安定的でたいへんいいことなのです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 わがくにの記紀神話に従う限り・そしてそのように従うことが一般であると思われる限りで アマテラスは スサノヲの実の姉です。 つまり天皇家の祖先としてのアマテラスは 市民一般の祖先であるスサノヲとは――すでに母親のイザナミがなくなってから生まれているという特殊な事情ながら―― 明らかに実の姉と弟です。 人情に厚いスサノヲ庶民らは 親戚のおっちゃんに親しさを感じ敬意を表するのは ふつうのことです。それ以上の思いや思想は また別のことでしょう。 ちなみに血筋が万世一系だというのは 記憶が薄れ記録にいたっては庶民には残されていませんが 誰であってもいま存在する人は 万世一系として生まれて来ています。 たぶん男系の万世一系だということは めづらしいのかも知れません。側室からの生まれがどのくらいの比率であるのかは知りませんが そのような芸当は 市民一般には無理なんでしょう。けれども みな人は 万世一系です。 姉の家系やそれを支えるアマテラス公民圏について 弟の家筋つまりスサノヲ市民圏の人びとは 敬意を表しますが その逆は どうなんでしょう? 人間として どうなんでしょう? またじつは スサノヲのイヅモのくに――その子孫のオホクニヌシの時代にですが――に向けて アマテラスのタカマノハラ国は そこはおれたちの領土だから おれたちに服属せよという要求をつきつけて来ました。 初めは何度か交渉がおこなわれていましたが 最後となる使いがやって来たときには つるぎを船に突き立てて交渉にやって来ました。ころしあいを嫌ったオホクニヌシは ついにほとんど無条件で《くにゆづり》をしました。 この行動が いかなる内容を持つか? 人間としてどうなのか? これについて おそらくオホクニヌシつまりスサノヲ市民らは アマテラス族の人びとに反省をせまっている。沈黙のうちに 人間としての声を発している。ゆえに いちいち―― 一揆はときどき起こしましたが・そして難波大助の事件はありましたが―― 《革命》は起こさないのです。そういう考えすらないのです。 どこまでも哲学でうったえつづけるのが スサノヲ流儀であるようです。 (この態度を ルサンチマンと称してそれは弱い人間のすることだとなじる人間も出ましたね。戦争をおこなって決着を見ようということが 弱虫で知恵のない人間のすることでなくて何でしょう?)
- o-sai
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この国の王様、国王だからです。 国民としては国王には 『人格者であって欲しい、国民を誰より想い、その幸せを願う存在であって欲しい』と願います。 国を平和に治める為にはそういう国王を演じる必用があり、 メディアもそれを知っているので協力します。 あなたは敗戦直後の先人達に、完璧な国家像を構築する責任があったとお考えですか。 それは甘えすぎです。 より正しいと思われる未来の国家像について議論しアイデアを出し、作り変えていくのは現代の私たちの責任です。 子供たちに向けての国家の提案は、アニメでも盛んに行われています。 一昔前の「悪いやつらをぶっ飛ばすぜ!」という単純危険な話はもうありません。 ナルトもワンピースもマギも、全世界の子供たちに向けて未来政治を考えさせる内容です。 世界中で宗教が殺戮の原動力になっていますが、ジャパンアニメが解決策を探っています。 ノーベル平和賞ものだと、私は評価しています。
- phj
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「日本人」だからです。まあ、あまり答えになっていませんが・・ そもそも「王室」というのは、現代にあって非常に微妙な立場になっています。日本の皇室も必ずしも国民全員の支持を受けているとはいえませんし、タイやイギリスの王室も不敬罪で取締りをする程度には不人気な部分があります。 しかし、反面、「国」とか「国家」という人間の集団には必ず「正当性」が必要で、それは「この国はこういう理由で、こういう場所や人種や言語を利用して成り立っている」という理由が必要であり、その理由を分かりやすく見せてくれる何かが重要になってくるのです。 分かりやすい例を挙げればアメリカ合衆国です。アメリカ国籍を取得してアメリカ人になる人は、日本に先祖代々住んでいる日本人とか、イギリスに先祖代々住んでいるイギリス人などとは違います。 アメリカ人=アメリカ国籍になるには、アメリカの理想に賛同しアメリカの国旗に忠誠を誓う人がなれるのです。つまり誰でも移民としてアメリカ人になれるということです(もちろん審査はあります) このアメリカの理念を象徴しているのが、アメリカ大統領です。 アメリカ大統領はアメリカ人であり、そしてアメリカの理念を実現できる(と選挙民が考える)人が当選するのです。こういうのをアイデンティティー(存在意義) だからアメリカ人は大統領が攻撃されれば、それはアメリカが攻撃されたことであり、アメリカの理念を否定する人がいることであり、その理念に沿った社会を作ろうとがんばっている「アメリカ国民」を愚弄するもの、と考えるわけです。 ですからそういう場合は徹底的に反撃する、コテンパンにやっつける、ということになります。 これは大陸で国境を接している多くの国が同じような考え方を持っています。なぜなら、隣の国のほうがいいなら、隣の国に占領したもらったほうがましだからです。しかし「独立した自分たちの国を持ちたい」として戦争や紛争があちこちでいまだに起きているのです。 日本の場合、日本人の場合、国境を接している国はありませんし、ずっとひとつの島国ですから「国が存在し、自分がその国に在籍している理由」ということを考える人はあまりいません。外国で暮らして、外から日本を見た人はけっこう「日本人であること」の意味を考えますので、海外経験があるひとほど「日本はいい国だ」というのです。 (しかし、この主題は本当に日本がいい国かどうかは関係ないので無視します) 普通に考えて、日本の国土はあまりより国土ではありません。火山があり川が険しく農作地が少なく、雪も降る地域が多い上に、地震や台風などの自然災害も多いからです。 しかし、そういう国土であっても、日本人は縄文時代からこの場所に住み続け、しかも大和朝廷成立後は1500年ぐらいずっと同じ国のままの姿でいます。世界でひとつの国がこれだけ長く続いているのは、過去にも現在でも日本だけです。 しかも、戦国時代など天皇制を廃止して新しい政治体制を作ることが可能だった時期も何度かあったのに、結局天皇を常に国王として戴く体制のまま、ずっと来ているのです。 ここの「王制」の面白さがあります。 ちょっと視点を変えて世界の王制を見てみます。 世界で一番、有名な国王はたぶんイギリス国王(現在はエリザベス女王)でしょう。そしてイギリス国王は、イギリスだけの国王ではないんです。 「英連邦王国」といい、カナダyオーストラリアなど16ヶ国がイギリス王室を自分たちの王室として、連邦を組んでいるのです。この国々は昔の植民地だったところですが、独立しても王様を戴いているのです。それが、自分たちの歴史であり、アイデンティティーがそこに象徴される、と思っているからです。 また現代でも王国に戻る国もあります。長い内線が最近終わったカンボジアはシアヌーク氏が王に復古し、カンボジア王国に戻りました。長い内線の間、特にポルポト派が人のつながりそのものを破壊したため「もう一度、カンボジアの正当を取り戻そう」という考えで、正統性のあるカンボジアの元首に王制を選んだといえます。同じような例はスペインでもあります。 日本という「国家」を見た場合、天皇制ほど分かりやすいアイデンティティーはありません。これを象徴と言っているのが現在の日本ですが、王でも元首でも、結局外国から見ればその地位はまったく同じです。 そしてこの王室が1500年も同じ役割を果たし続けている国は、日本以外にありません。 逆を言えば日本国民は1500年も同じようにずっと先祖代々、自分たちの国を守り続けてきた、ということです。 アメリカ人はそれを理解できず本国では「天皇制廃止」という意見が強かったようですが、現実を見たマッカーサーは、天皇制=日本の国家のあり方、であることを見抜いたのでしょう。非常に慧眼だったと思います。 日本人が天皇を見るときそこに「人物」を見ているわけではありません。昭和天皇の時代も現陛下の時もそこには「日本の歴史と誇り」があるのです。 アメリカ人は大統領を見るときに、アメリカの誇りと栄光をそこに感じます。北朝鮮の軍人も金正恩を見て、同じようなものを感じるから暴走していないのでしょう。 逆に、韓国の大統領が退官後つねにひどい目にあうのは、大統領に正当性と正統性がまだ認められていないからです。韓国の大統領制は、無理やり軍事政権から引き継いだ仕組みだということを韓国国民が暗黙に意識しているからでしょう。 それぐらい元首というのは国にとって重要なのです。 日本の天皇制は、日本の象徴であり日本人が「なぜわれわれがこの国に住んでいるのか」ということのひとつの答えです。 ですから、国民から敬愛されるのです。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3506/7251)
私は 「日本国憲法」 第1条に書かれている、天皇は 「日本国民統合の象徴である」 というのは、うまいこと表現したものだとつくづく思うことがあります。 自分が日本人であることのアイデンティティーを、天皇という象徴によって自己確認しているところがある。好きとか嫌いとは違った次元の話だと思います。 日本人は生まれながらに神道の信者であるといえるという宗教学者だったかがおられますが、自覚せずとも日本の文化の中に生まれ育つと、意識してないのに日本人的な心性が身についています。表向きは仏教徒であったりキリスト教徒であったりしても、根っこはやっぱり日本人なのです。イデオロギーにしてもそうです。自分は無神論者だの唯物論者だのと言う人でも、それは後天的に自分はそうなんだと理屈で納得させている部分であって、それとは別に意識しない部分では、問答無用に日本人であるわけです。 天皇は、これも 「日本国憲法」 にあるように、日本という国の象徴です。国民のひとりひとりも日本の一部です。日本人は日本という国とある意味で一体感を有しています。ご先祖さまから受け継いできた国であり、我々もその一部です。ただ日本の国というと地図の上の存在みたいですが、実際には我々は日本の空気を呼吸しており、地球の一部に浮遊する空気を呼吸しているという感覚はないです。日本人には日本という国との一体感が根っこにあります。それを具体的な形で象徴しているのが天皇の存在です。地図の上のテリトリーではなく、具体的に人格として存在するものに、日本の象徴、日本国民の象徴、ひいては自分もその一部である日本という国、日本人というものの根っこにつながるものを感じる。それが日本人の心性でもあります。 天皇という存在が無いとします。日本人は、自分が日本人であるというアイデンティティーを、かなりの割合で喪失してしまうことも考えられます。 好き嫌いとか、まして人気という次元のものではないように私には思えます。