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天皇制
民主主義制度に反する天皇制を,明治維新政府の国内統治のために存置させるならまだしも、太平洋戦争の敗戦によって、良し悪しは別として、民主主義制度が導入されたのであるから、連合軍、特に米国の日本統治のための例外として残した制度を、天皇は文化的な存在だからなどの理由により,憲法改正が叫ばれる昨今、何故その廃止の議論がおきないのか。 憲法で,最も重要な基本理念である、人間は生まれながらにして自由、平等であるという理念を否定する制度を戦後五十数年たった今、何故、存在させなければならないのでしょうか。
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その問題について、名古屋大名誉教授で、憲法学者の長谷川正安先生のお話に感銘を受けたことがあります。 それはさておき、私の結論からすると、天皇制の意味するものと、天皇家の存在ということは、もはや別個の問題であると認識しています。 edamasaoさんがおっしゃっている、「憲法と矛盾する差別」という観点に立てば、まさに現実においては天皇家(皇族)は差別される側、被差別集団としての存在であると思います。皇族の生活や権利の上での制約はもとより、住んでいる家、皇居ですら法律上は番外地とされて、ある意味で、政府が”例外的”に庇護している無国籍難民という言い方もできるのではないでしょうか。 しかし、そのような旧帝国憲法の残りカスによって曖昧かつ不透明な存在に貶められている皇族の皆さん方には同情しつつも、明治以来、築きあげられて来た「天皇制」(明治以前のいわゆる天皇制は、以降のそれと別個の性格のものと考えています)が内包する封建主義的意識と制度、そして、アジアに対する蔑視と異常なまでの同一化を強いる「アジア主義」を今日まで生き長らえさせてきた明文化されない「天皇制」のもつ「差別」の側面こそが問題視されるべきと考えます。 後者の場合においては、その被差別の対象は、明らかに国民であり、国民にとどまらない人間そのものの尊厳が差別されているのだと思います。 いわば、「天皇制」の存在は、「皇族かそれ以外か」という相対化もままならない、まさに生きとし生ける全人類に対する「差別」の元凶にほかならない、そのように考えます。 論の飛躍と感じられる点、多々あると思われますが、私の今の思いを乱暴に書いてみました。他の方の意見も大変参考になります。
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- sdamau
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無権利者がいることは、民主主義国家において速やかに是正しなければならないはずである。しかし、もし天皇が在野になったとき必ず、右翼どもが担ぎ出す結果となるのは、火を見るより明らかだ。そしたら、内乱、テロが起こりかねないと考えるからかな。
お礼
私の質問に回答していただいてありがとうございます。 そこで、もう一つ付け加えさせてください。 私が、天皇制について議論しなければならないと思うのは、民主主義国家が国民を主人公としたものである以上、天皇制という、生まれながらにして、特殊な地位を与えられた、高貴な国民と差別化された存在を認めることは、主人公である国民の同意が、必ずしもなされているとはいえない現在において、其の同意が必要なのではないかということです。 たとえ、右翼が騒ぎ、内乱、テロが起きたとしても大多数の国民が天皇制に対して「ノー」といえば、其の制度は廃止されるべきであり、「イエス」といえば存置すべきなのです、そのためには、天皇制についての理解を深める必要があると思います。
- hozanna
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私は天皇制に賛成です。 なぜかというと天皇家は日本で分かっている限り、 一番古い家系ですし、行われている儀式も、古い伝統を受け継いでいる ものも多く、「文化財」として残すべきだと思います。 それに廃止しようにも右翼のこともありますし、ほとんどのひとは 「触らぬ神にたたりなし」という感じなのでは? ほとんどのひとに興味がないことです。 それに「廃止する必要あるのか?」ということ。 税金も「皇室用に別に二万」とかいわれてないんではらもたちません。 立憲君主国はイギリス等々多くあります。 それに天皇は明治維新政府の国内統治のためにうまれたんじゃありません。 それに天皇は「人間」じゃありません。基本的人権もありません。
お礼
有意義なご意見をありがとうございます。 私が、ここで、天皇制について論じる場合現在の憲法により成り立つ社会であるから、現在の憲法に即して考えるとどうかということを問うているのです。 各個人が、天皇について心情的にどのように考えようと、それは自由です。 しかし、それを憲法論的に考えると、たしかに、明治憲法の時代には,天皇は神様でありましたから人間ではありませんし、現在の憲法によって当然認められている人権もないと考えることも妥当であるといえるかもしれません。 しかし、現在の憲法に即して考えると、一応、天皇自身も「人間宣言」をしておりますし、人間として考えるのが妥当でしょう。 こういった点から考えて、現在の憲法は、人間は生まれながらにして自由であり、平等の存在であると考えているのですから、本来、天皇と国民は、同じ権利を持ち、同じ地位にあるべきです、しかし明治政府が天皇という存在を国内統治のために引っ張り出してきたように、戦後、連合軍〔米国)も天皇を占領政策のために生まれながらにして特別な地位を与えられた天皇という存在を残したのです。 そういった、特別な地位を残すということは、そこに、特別な地位をもたない存在も存在することになるのですから、そこに、差別の意識が芽生え、差別するものと、されるものが存在することになるのです。 差別されることに満足している人間はいいでしょうが、人間はみんな平等ではないかと考える人間にとっては、納得のいかないことなのです。 でありますから、イギリスその他の国々のように、王の存立の背景に国民が関与しているなら認めてよいのですが、現在の憲法における天皇制の存立に国民は関与していないのであるから、其の点を議論しようというのです。 最後に、天皇制は国家統治の制度でありますから、民主主義の制度をとる国家にとって一番よい制度はどれかという観点から考えるべきです。 私の質問に関心を持っていただきありがとうございました。あなたの見解に対して天皇制賛成論的見地に立った意見を述べてしまいましたが、其の点はどうかお許しください。
- kennedy2
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「自由で平等を詠う民主主義」という言葉そのものに矛盾があると思います。自由で有れば、結果として個人差が生じる。平等であるとすれば、制約や規制が必要となる。民主主義ということは大衆の意見を尊重するということで、思わぬ方向へ転落して行くことになる。と、過去は教えてくれています。 すなわち、憲法の基本理念そのものが、耳障りの良い言葉の羅列でしかなく、現在の憲法の誕生そのものもGHQから賜ったものである(少なくともアメリカ人の多くはそう認識しています)わけで、甘い幻想で日本国憲法を語るのは不毛だと思います。
補足
質問に対する回答をありがとうごさいます。 私は、当然、人間が社会生活をしていく上において個人差がある以上、全てを同質的に扱うことができないことは理解しています。しかし、それは、能力による差であり、個人を平等に扱おうとするところから生じるものであり、肯定されて然るべき差であるとおもいます。 しかし、憲法という、国家の最高規範において、たとえ敗戦により、米国から与えられたものであるにせよ、導入した以上,尊重するのは当然で、その理念の実現を追求していかねばならない、しからざる場合、現在は当然のことされている人権も踏みにじられてしまう。 そこで、天皇制についてみると、それは、人間を生まれによって差別を生じさせているもので、個人差による差別でも、能力による差別でもないのです、そのような制度を、例外として存置することは自由であり、平等でありたいと思う者にとっては、個人の存在価値を問うということであり、その意味で、天皇制を通して、日本国憲法を語ることに重要な意味があると思うのです。
- w-sato
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これはあくまでも個人的な意見ですが 果たして戦後50年以上経った今、「天皇制」(戦前の意味ではなく)は 民主主義を否定するものとして残っているのでしょうか? 天皇は日本国の「象徴」と政経では習いましたが 21世紀新世紀になる中、色々なものが日本の文化でも変わってきたと思います 男女平等に近づいたのも変化ですし(完璧ではないですが) 子供が切れる世の中になったのも変化です。 そうした変化の中、皇室だけが昔のままの「天皇制」として 残っていると思いますか? 私は別に右翼でも何でもないただの大学生ですが 天皇家も時代の並と共に良い意味で大きく変わっていると思います。 世界の子供に英語で話しかける美智子様は素晴らしいと思うし そんな方が日本の象徴の皇后ということは 国民として誇らしいことと思います。 敗北直後、GHQがどのような意図で天皇を「象徴」として 残したかは賛否両論色々あると思いますが 今そうした戦前の「天皇制」として 皇室をとらえるのは時代錯誤ではないでしょうか 話はそれますが、国家斉唱や国旗の問題についても 果たして今それが戦争理論だの何だのと唱える人は いったい誰なのでしょうか? 21世紀を担う子供たちが本気で訴えているのでしょうか? 戦争を繰り返してはならないという理論ならば もっと他に大切な問題があるのではないでしょうか 私の個人的な意見です
お礼
質問に対する有意義な意見に感謝します。 色々な意見を聞き、そこで感じた点を少し述べさせていただきたいと思います。 皆さんが天皇制に対する理解が不十分ではないかと思うのです。つまり、天皇制は人間(日本人)の差別前提とする、人間個人の価値に関わる制度であるということです。 その差別の存在を国民自身が認めたものであるなら、其の存置は肯定されて然るべきですが、ご承知のように、戦後、民主主義の導入過程で、米国の占領政策のための例外として残されたものなのです。 従って、天皇制が、差別するものとされるものを生じさせる点において、いくら、皇族の一員が立派であり、人柄がよいとしても制度とは別問題であり、制度の根本が変わらない限り、いくら皇室が変わろうと今の天皇制は旧態依然のままなのです。ですから、人間(日本人)みんな平等であると思うものにとっては、議論する価値のある問題なのです。
- Atalia
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> 何故、存在させなければならないのでしょうか。 それは私にも理解できません。 戦後すぐには色々な(国民感情面の)事情もあったでしょうが、 もういらないだろうと言うのが私の考えです。 > 何故その廃止の議論がおきないのか。 起きないわけではありません。 改憲問題を論じるときには第9条に次ぐぐらいの頻度で 天皇制存続の是非についても論じられています。 一般に左派として知られるメディアに目を通していれば良く出てきますよ。 右派のメディアはその論の存在自体無視するかも知れませんが...。 実の所、改憲を叫んでいるのは極一部の人達です。 一般大衆は改憲の必要性は理解していても、それが出来るとは考えていません。 ですから改憲論自体が一般的なテーマではないのです。 某右派政治家も、憲法改定を国会に上げた事すら無いくせに、 「外国に憲法を押しつけられて変えることも出来ない」と言っています。 やってもみないで出来ないと決めつけているのが現状の主流だと思います。
お礼
有意義な意見に感謝します。 色々な意見を聞き、何故天皇制に対する議論が表立って盛り上がらないかについての私の感想ですが。 皆さんは、天皇制に関する理解が不十分だなと思いました。 天皇制は、人間(日本人)の差別を前提とする個人の価値に関わる問題なのです。つまり、差別するものとされるものの存在を前提としているのです、差別されることに満足している人はそれでいいでしょうが、民主主義というものをしらしめられ、憲法の基本理念として謳われる、人間は生まれながらにして自由平等である、という文言を知ってしまった以上、誰が、差別される人間(日本人〕に成りたいと思うでしょうか、其の可能性をもつ天皇制に、否、と唱えるものは多数いるはずです、其のことを知らないから、少数派の勢いに負けて、活発な議論がなされないのかと感じました。
お礼
質問に対する、大変有意義な意見をありがとうございます。 私も全く同感であります、事が、人間の尊厳に関わる事柄であるからこそ、本来は何はさておき一番議論されなければならない筈でありますが,マスメデイアの美化された報道等によって沈黙させられているというのが実情のような気がします。 日本国憲法は与えられた憲法でありますが、其の不明確な部分の一つである天皇制についての存廃をはっきりさせることで、憲法に一つの区切りをつけることができるのではないかと考えます。 最後に、あなたにとって貴重なお時間を私の質問のために割いていただき感謝の気持ちでいっぱいです。