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マッカーサーは神武天皇の再来と呼ばれたのでしょうか

1946年9月28日、「ニッポン・タイムズ」紙(現在の「ジャパン・タイムズ」)は、日本人の中に、マッカーサーを「神武天皇の再来」と崇めている者が多数いると報じたのである! http://sciencebook.blog110.fc2.com/blog-entry-2271.html 本当に「マッカーサーは神武天皇の再来」と呼ばれたのでしょうか? また、そう呼ばれたのだとしたら それはなぜでしょうか?

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  • SPS700
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回答No.1

 僕はその頃日本にいましたが、そんな話は聞きませんし、ただ「XはYだと信じている者が多数いる」と当時読む人がほとんどいなかった英字新聞に書いてあったのならそれだけの話だと思います。  1946年1月1日、下記によると昭和天皇は人間宣言をされたとなっています。これは単独な宣言ではなく、神とされてきた神武以来の歴史の否定です。  http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056shoshi.html  もちろん天皇とマッカーサーの比較はあり、朕の上にあるから「ヘソ天」(下記と混同なさいませんよう)と占領軍司令官を呼んだことはあります。  https://matome.naver.jp/odai/2134305308773993301

shpfive
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 >当時読む人がほとんどいなかった英字新聞に書いてあったのならそれだけの話だと思います。 →結局、そういうことなんでしょうね。 ごく一部でしかない些細な話を大袈裟に取り上げる マッカーサーに感謝状が殺到したという与太話にも通じるものがあります。 (研究者である川島高峰氏によると、その「感謝状」の大半はGHQに寄せられた様々な内容の手紙であり、そのまた多くが復員関係)

その他の回答 (2)

  • D-Gabacho
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回答No.3

「神武天皇の再来」と呼ばれたかどうかはわかりませんが、Ciniiで公開されている川島高峰「マッカーサーへの投書に見る敗戦直後の民衆意識」https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10464/1/shakaikagakukiyo_31_2_19.pdf に紹介されている以下のような投書の内容を見ると、あり得る話だとは思います。 神武天皇といえば、九州の日向からはるばる舟に乗って大和にやって来て、そこの旧勢力を倒し即位した征服者ですから、海を渡って来た征服者というところが似てるといえば似てますし…。 あゝ我等国民愛す君主マッカーサー大元帥陛下を君としたことこそ国民の一糸みだれぬ明るい清らかな身体となり生れ変って米国民と日本国民と手結して行く来たそく(ママ)平和米日建設を心底より国民一人々々マッカーサー元帥に只々念願するのみです 私共は日本の古い官吏現在の官吏の基(ママ)に働く事は嫌いです 元帥さん日本をアメリカの國にしてよく治めて下さい 天皇もいりません。アメリカ人の手で日本の國が治められたら私共は幸福です 日本國民は最早自国政府の官僚共のやることにはつくづく飽き飽きして居ります 大体國民の八五%以上は貴國政府の支配下に入ることをどれほど待望してゐるか判りません 若し夫れが叶ひませんならぼ即時軍政を施き国力の回復を促進さして下さい 既デニ崩壊消滅セル日本國ヲ今尚ホ存在セルガ如ク心得居ルノガ大井ナル錯誤カト考エラレマス聯合軍米國占領後ハ即チ之レ准米國々民カト存ゼラレマス准米國民タル以上バー切ヲ挙ゲテ米國化スルガロ當タル事ト存ゼラレマス

  • eroero4649
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回答No.2

神武の再来といわれたかどうかは存じませんが、GHQが日本にやってきて一番驚いたのは、日本中からマッカーサー宛の日本人からの手紙(ほとんどが日本語によるものですが)が殺到したらしいのですが、その内容のほとんどがマッカーサーを歓迎する内容だったそうですよ。 だからその様子を傍から見ていたイギリスのチャーチル卿は、一流の皮肉のセンスを利かせて「日本人はのどぶえに噛みつくか、ひれ伏すかのどちらかだ」という言葉を残しています。 日本人てね、そのへんのアレっていうのは非常になんというかその、柔軟なんですよ。民族のプライドに凝り固まって変化を拒絶するってことはないのです。そこが日本の「強み」であると私は思っているのですけどね。 例えば幕末の志士って、ほとんどが最初は攘夷派なんですよ。「夷敵は討て!」とかいってたのです。だけど高杉晋作なんて上海に行って西洋の力を見てくるともうあっさり「あのさ。攘夷、無理!あんなん勝てない!」と変節しています。伊藤博文だってその高杉晋作と一緒に公邸焼き討ちテロなんて攘夷運動してるのに、明治になったらイギリスに留学して西洋文明の吸収に一生懸命になっているわけです。しかもその幕末の志士が明治の元勲になるにあたって思想的に葛藤した様子が全くありません。そらどっち側も同じで、死ぬほど武士になりたかったはずの土方歳三が函館で撮影した最後の写真の姿は、洋服にブーツ!姿でちょんまげも切っているという当時ではとてつもなく文明開化なお姿でした。鉄砲を使った近代戦術については無敵の野戦指揮官で、その実の姿は武士と刀にこだわった頑迷な保守主義者ではなく、柔軟に新兵器を取り入れる進歩的な現実主義者だったのです。 だから我々はチャーチル卿にこういってやればいいんですよ。「そうですよ。我々がひれ伏しているからといって甘く見ていると、そののどぶえに喰らいついてやりますからね」って。

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