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1万年前の御先祖様は、三角関数などを理解していただ
我々人類の1万年前の御先祖様にお出ましを願います。 その方々に、必要な環境に生活して頂き、十分な教育を受けて頂きます。 そうすると、御先祖様は、たとえば三角関数などを理解して頂けますでしょうか?
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お礼、ありがとうございます。#2です。 ><何ら進化も変化もしていない>ということですね。 生まれたばかりの新生児では1万年前と今とで差はないということですね。 ヒトは他生物種より頭部が大きくなっており、それによる知能の高さが生存競争で生き残る決めてとなったわけですが、これ以上は大きくなれません。現状のヒトの骨格では、出産の限界になっているからです。 そのため、他生物種と比べて、非常な早産といえる状態で生まれてきます。ヒトと近い生物としてチンパンジーと比べると、たとえば危険回避能力は1歳のチンパンジーは学習を含めて基本的なことができます。ヒトがそのレベルに到達するのは9歳頃です。どうも、7歳頃のヒトと、生まれて間もないチンパンジーが、だいたい同じレベルのようです。 ヒトはそういう状態で生まれてくるため、母体から出産されても、社会の中で完全に保護されて育てられる必要があります。生物的に胎児でなくなっても、社会的には胎児の状態といった感じです。 そうしたことから、ヒトの知識ベースの知能は生育した社会と、不可分に深く結びついています。事実関係の確証はありませんが、新生児に物質的な世話は充分にして、しかし一切話しかけず、無表情で接すると、新生児はほどなく死んでしまうということが伝えられたり、記録に残ったりしています。 その社会というものを見ると、現在でも「1万年前の成人が、突然に現代に現われる」といったことが起こり続けています。「未開文明」と「先進文明」の接触です。それが起きたとき、しばしば「未開文明」の社会が崩壊するという現象が起きてきました。 ある社会にとって、それまで夢想程度であった「魔法」の類が現実化してしまうことが原因です。その社会に属する個人は、その社会ベースで知識と価値観、及びそれらに基づく判断力を持っています。それでは処理できない知識が実用を伴って入ってくると、個々人が判断できない状態が現出し、それが社会崩壊へつながって行きます。 たとえば、呪術師が昼夜を分かたず祈っても治らなかった病が、不思議な筒の先に付いた針で刺されると、たちどころに治ってしまったら、属していた社会に対して不信感を抱くこともあるでしょう。そして、注射と魔術とは見分けはつかないでしょう。 現在では、そうしたことが起らないよう、異文明・異文化への接触は慎重に行われるようになってきました。 そうしたことから、現代文明に存在している知識ベースの物事については、数万年前に出現した現生人類同士であれば、生物学的な個体差ではなく、個体が属する社会で考える必要があると思われます。 P.S. 4万年~1万年前にいたクロマニョン人は、現代人よりおおむね背が高く、頭部も平均的には大きかったようです。しかし、現代のような文明はおろか、簡単な農業も生み出せませんでした。 それでも彼らに現代に来てもらったら、オリンピックのメダルやノーベル賞の大半は、彼らのものになるかもしれませんね。
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- thegenus
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現在、三角関数を少しも扱えない(またはすっかり忘れた)人類は何十億人もいると思います。生きています。ガキを作ったりしています。 過去現在、三角関数であれなんであれその学問的理解力が劣る理由で子孫を残せなかったという人類史ではありません。勉強出来ないと子供作れないとかなんとか、格差社会を科学的批判している、つもりの、専門家やその口真似は、全く科学的ではありませんね。そういう馬鹿は思考力が低いし、そっちの考えが正当だと思うのもまた思考力がありません。馬鹿社会を食い物にする社会保障商人です。 一万年前という時間が絶対的に短いという面以上にその期間に知性的淘汰が行われた実例が分かりません。人類史において馬鹿集団から袋叩きにされた天才はいくらでもいたでしょうから一進一退ではないですかね。ご希望の進化が成立したといえる設定例がありますでしょうか。馬鹿の方の数が多いから人間社会が成立するとも聞きます。 つまり脳が進化したといえるものがないのです。道具は進歩しましたが。第二次大戦は民族の賢さの戦いでしたがそれ以上に栄養失調や病気で人類は淘汰されています。馬鹿は長生きするとも言いますし馬鹿は風邪ひかないとも言います。たいていの賢さとは体力に劣る者が補てんしようと努力した結果に過ぎないとすれば両者の生存力は総合的にトントンになります。
お礼
度々お付き合いを願いましてありがとうございます。 守備範囲の広いthegenus様には、あちこちでお世話になっております。 thegenus様は、知性に関して、馬鹿と学問的理解力とに別けられているのでね。 興味深い示唆をいただきました。 <学問的理解力が劣る理由で子孫を残せなかったという人類史ではありません。> <その期間に知性的淘汰が行われた実例が分かりません。> <脳が進化したといえるものがないのです。道具は進歩しましたが。> これらの教えをもとに、いろいろ考えています。 大きな河が流れております。上から鳥瞰すると、学問的理解力という泡沫がところどころに派生しています。しかし、この河の下には、大量の馬鹿という水が、留まることなく、乱れることなく、泡沫に捕らわれることなく流れてゆきます。 100万年後に人類が眺められた際には、(人類はそれまで継続しているかどうかわかりませんが)、三角関数などは無視され、考えられることもなく、単に馬鹿の歴史として見られるのでしょうね。
- thegenus
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ご質問の納得を難しくする二つの原因があると思います。 火の使用については納得できますか。現代人の私にとっては簡単な数学よりも火起こしの知性の方が難しいです。圧倒的に難しいかもしれません。何をどうすればいいのか未知数が多いです。キーボードで書き込みする方が単純作業ではありませんか。 現代、とくに日本の教育の問題は、早く処理させすぎですね。相も変わらず急げ急げで馬鹿を量産しています。学歴信仰を得意げ吹聴してやまない教育関係者は急げ馬鹿教会の変態坊主です。 火起こしより知性的ではないと思いますよ。 一万年前というのが回答を退屈な常識論にしています。たとえば何万年前の脳ならで再質問して、挟み込みしたらどうです。
お礼
再三のご指摘ありがとうございました。 1、火の使用について。人類が火を使用できた、のは画期的なことですね。動物にとっては、火は単に避けるものです。しかし、火を制御できることにより、人類は大きな一歩を進めることができました。この後で、三角関数やコンピュータを理解することなど、大したことではないですね。 さおの意味で、人類のl進化などを考える際には、そのけいじゅが重要ですm、がわかりました、」 2、一万年前について。これは、進化を考える際には、短すぎるようですね。人為的でない、試行錯誤をしている進化では、その経過を見、評価をするには短すぎるようでした。
- thegenus
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安心しました。 手製の例えばなしですが先述したピストルの引き金のたとえが現時点における私の回答の軸です。 人差し指その他手指の形態が中立的な価値のまま淘汰されず維持されてそれは一万年後のピストルのために準備されていてピストルの発明と共に有利な形態になった、という観点が質問者さんの理屈ではありませんか。 その指が先にあったからピストルが発明されたのですよね。 一万年前の人類の知力は分かりません。分かりませんとは人類の脳の性能が文盲から三角関数まで進化した可能性が高いという意味ではありません。 賢い犬種と賢くない犬種がいます。馬鹿な犬も好まれるかも知れませんが賢い犬が数を増やしてきたと思われます。 ピストルがあれば一万年前の人類もピストルを利用できたと思います。三角関数も同様です。準備されていたというよりも一万年前の機能がそのまま数学を解くのに利用できた、利用できるからその数学が発明された、のです。脳の機能が進化して道具や数学が進歩したのではありません。指や脳の変化ではなく(そんな進化はしていないだろう)それとは無関係に道具が急速に進歩したのです。道具の進歩を脳の進化にすり替えたら誤解だとおもいます。指や脳の変化ではなく(そんな進化はしていないだろう)それとは無関係に道具が急速に進歩したのです。道具の進歩を脳の進化にすり替えたら誤解だとおもいます。 これは後件肯定の誤謬(誤解)かも知れません。逆は真になるか判らないという戒めです。 ○【脳が進化→道具が進歩】 ×【脳が進化←道具が進歩】 我々が三角関数に頭を使う羽目になったのは三角関数以降に生まれただけではありませんか。脳は一万年前の脳でしょう。準備ではなくその脳で利用できる道具が次々に発明された文明史です。パソコンのマウスのために手は準備されていなかったでしょう。三角関数の操作は一万年前の脳(同じ脳)にとっても同じ事だと思います。 ※大脳は記憶です。計算も数学も記憶のやり取りです。電卓もパソコンもすべて(数値の)記憶装置です。三角関数がなければ記憶できません。無い袖は振れません。あれば記憶できます。ですから一万年前から準備という事ではないでしょう。
お礼
再度の回答ありがとうございました。 ピストルの件は納得しております。 以下弁解調になります。 三角関数を挙げたのは、読み手にとって強く目に触れ、インパクトが強い、と安直にと思ったからです。今反省することは、三角関数という特殊なことでなく、一般的な能力あるいは知性などとすれば横道に入らなくてよかったですね。 1万年前に大脳は今の能力にできあがっており、その後道具が発展し、使うようになった、ということですね。おそらく、そのような気がします。私の理性もそれに強く異論をとなえません。 しかし、私の感情では、蒸し返すようで堂々巡りをしているのですが、大脳は1万年の間、無駄な部分を抱えていたのだな、と釈然としないのです。この気持ちがなかなか解消しないのです。 今後も、指摘して頂いたされたことを、折に触れて考えてみたい、と思います。
- thegenus
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私は質問者いびりの卑屈会員ではないので指摘がましくなったとしてもご理解ください。ご質問に質問者同様、関心があるからであり全く無いのに回答者になる輩ではありません。 ご質問、ご疑問の要はこうであろうと思いました。1万年前の時点で不要な能力は無駄でありその無駄を自然淘汰が許したというのか。三角関数とは懐かしい死語的な比喩ですね。 これはパラドックスとして認定しても面白いかもしれませんが、種明かしは面白くもありません。 猿回しの猿が玉乗りをしたり眼鏡をかけたりするのを自然のどこで求められたのというのだ、です。求めたのは人間です。ヒト、ホモサピエンスではなくて、人間が要求したのです。イルカやアシカの曲芸も同じです。芸を覚えるのが人の場合も教育者と芸を独立させたら同じ関係です。三角関数の発明自体が人によるものですがそれは火起こしの発明と同じノウハウです。不器用は数学にも家事にもあり、歌踊りのように対象がなくても練習しだいです。もちろん個人差があります。その個人差も後天的なものかもしれません。 確かに猿人、原人、とヒトの頭顔面の形態・機能は進化しましたが、さすがに1万年前とは大きく変わらない?ような??そこでケータイ電話を1万年前の人が使えるかとなりますが使えるでしょう。では何故ケータイの無い時代の人の形態がケータイに合うものだったのか。ケータイが出来てからでいいではないかとなりましょうや。ピストルが発明される前になぜ人の指はピストルの引き金を引ける寸法だったのでしょうか。 三角関数は我々にとっては過去、1万年前の人にとっては未来に出来たものです。それは発明と教育の歴史です。ヒトの歴史を反映していない進歩だと思います。 農業が余剰を生んだというのもありますがそれ以前に大脳が発達した動物は遊びをします。イルカや類人猿では見られますね。犬猫でも子供は無駄にふざけています。ヒトは類人猿よりも大脳が発達したせいでふざけやすいのです。学問と悪巧み、道楽とイジメ、評価次第のふざけ事です。 幼児のまま成長するネオテニーで検索されるとまた視野が広がるかも知れません。 妄想すればちょっとズレるだけ化けるカラクリとも語れます。 このご質問があなどれないのは知的に劣った種族がいたかという事ですね。アステカなどの人らは本質的に馬鹿が多かったか逆かは不明です。文明から離れた種族の子供でとりあえず実験してみれば気休めの結果は得られますね。
お礼
回答ありがとうございます。 私こそ、回答者の皆様にからみついてているようです。 <1万年前の時点で不要な能力は無駄でありその無駄を自然淘汰が許したというのか。> そうです、そうです、質問者が言いたいことを、明確にしていただきました。 1万年後に使うかどうかわからぬ能力を、持っていることは、無駄ではないか、場合によっては、危険にならないのか、ということです。 三角関数は、不適切な表現でした。一般的な能力あるいは知性などとすればよかったですね。 「遊び」と「ネオテニー」を気ずかせていただきました。両者とも、その時点で特に役立つわけではないない、しかし、その後に、真価が発揮されている、ということですね。それが、自然淘汰の中で現実に許されている、ということですね。 いろいろ指摘を頂きましたことを、考えて行こうと思います。
お礼、ありがとうございます。#5他です。 おおむね、お考えの通りだと思います。「おおむね」と断ったのは、私から何か言いたいということではなく、現時点でも分からないことが多いからという理由だけのことです。分からないことを多く含むことについての見解を、その通りと断言はできません。 進化という変化も、仰る通り、生存にとって有利・不利があり、環境が厳しいと淘汰が起きます。たとえば、アジアではヨーロッパと比較して低身長が多く、顔が扁平気味で目が細めということがあります。 これは、アジア全域で厳しい冬があることが関係しています。たとえば目は、常に開けておく必要がある器官ですが、その特性上、常に蒸発があります。それは、熱を失うことを意味します。体躯も低身長気味の方が体熱を保持しやすい(球は体積に対して面積が最も少ないですね)。 寒冷で食糧も少ない期間を生き延びるには、体熱の放散はできるだけ避けなければなりません。そうでない人は死にやすく、結果として今のアジアに住む人の特徴があります。 もちろん、環境の悪化がなかったり、遺伝の発現や突然変異が生存にとって有利でも不利でもないと、多様化が顕わになります。 以下はさらに余談的に、定説でも何でもないトピック的なものから。 人類が火と道具を使い始めてから、基本的には進化が停まっています。進化を起こす淘汰圧となる環境に対して、進化で生存するのではなく、環境を変えてしまうようになったからです。 寒ければ衣服を工夫し、さらに火を暖房に使うと、寒さは淘汰圧になりません。採集できる食糧が少なくても、農業が起り、食糧の保存技術もできてくれば、年間を通じた食糧採取の増減は淘汰圧になりません。 このことは、大昔だけではなく、現代の日本でも起っています。たとえば、女性のプロポーションです。男性は成長しても、あまり体型変化しませんが、女性は特徴的な変化があります。 ある調査で、平均として見た場合には、男性が好む女性の体型について、その体型の女性は妊娠率が高く、かつ疾病率が低いという相関関係が出ています。推測としてですが、子孫を多く残せそうな女性を、男性は無意識に選ぶ傾向があると考えることもできます。 それは、曲線的な体型であるわけですが、しかし寒冷と食糧不足ということについては不利です。体熱の放散が多くなりますので。日本の80年代辺りまででは、豊かな欧米と比べて、日本女性の体型は直線的でした。それでもさらに昔を調べると、貧富の差が固定的だった江戸時代の遺骨を調べると、身分差による多少の相違は見られるそうです。 その後、大規模に変化が起こってきます。医学的、生物学的な研究はないようですが、美術の世界では認識されていました。たとえば、裸婦画ですね。日本人モデルの裸婦画での変化は顕著で、現在では日本人モデルの体型は欧米と変わらないという評言が見られます。 美術用ののポーズ写真集をいくつか見たことがありますが、80年代に出版されたものと、近年の出版を見ると、相当に違います。 80年代出版で今も売れているものは、当時の水準で美術向けでは最高のモデルだったと思われます。モデルの出演料も高かったのでしょうか、本の価格は高価でした(今はインフレの影響もあり、実質的に価格低下している)。 近年の出版のものでは、おそらく費用を抑えて作ったらしい、普及価格の本で活躍するモデルは、80年代最高水準に引けを取りません。モデルの出演料は高くはないはずです。誰でも、美術用のモデルの体型くらいなら持てるということになります。 そうしたことについて、環境の変化を考えると、豊かな食糧事情、寒暖に対応できる衣服、暖房やエアコンの進歩・普及等々があります。 そういう環境にいつづけた今の結果を見てみると、一説には欧米とは異なると言われてきた、固定的な遺伝的影響が実はなかったことが、実証により分かってきたわけです。遺伝的には、そういう形質の要素はずっと持っていたわけですね。ただ、大規模に発現するチャンスに恵まれていなかっただけのようです。 生物学的な決定要素が大きいものでもそうなわけです。素地としては失われていないようです。これが非常に人工的なもの、たとえば学問的な能力については、進化の淘汰圧はなさそうで(三角関数が生存には働きそうにない)、特に進化も退化もなく、1万年前に持っていたものと同じでしょうね。 それは、たとえば前頭葉の発達であったりするわけですが、思考力が増大した結果、負の面もありますね。金銭欲から殺人を犯したりするのは、他の生物種からすれば、異常なことと言わざるを得ません。冷戦時代、核戦争、生物兵器等々で人類が人類を絶滅させることは、真剣に危惧されていました。 進化は、必ずしも最適な方向だけを向くのではないようです。
お礼
再三再四お付き合い願いまして、ありがとうございます。 毎回、はっとするような教えをうけています。 今回は、環境を変えることなどによって、 <進化の淘汰圧> を低下させてきた、ということです。今までは、環境に支配され、生存競争が発生し、それが進化の要因、として重要視されてきました。受け身だったのですが、これからは、それを単純に肯定するわけにいかなくなりましたね。 そして、cozycube1様の説得力は、一般のものとちがいますね。説明の後半についていえば、例えば大学教師の書いた著作には見られない、新鮮な・ユニークな事例を挙げて論証されております。納得せざるをえません。 <進化は、必ずしも最適な方向だけを向くのではないようです。>
お礼、ありがとうございます。#4他です。 >1万年前の御先祖様は、現在の我々と同じような生物的なレベルであるが、なぜ1万年後に役立つような進化を遂げていたのか、ということです。 脳がそれを為せる素地は1万年前にもあったのです。その後、特に近代から急激に進展したのは、おそらく三つの理由からでしょうね。 一つは、生きていく上で、余裕があるかどうか。生きていくのに精いっぱいであれば、食うものを探して、得て、食ったら、疲れて寝てしまう毎日でしょう。知識や知恵としても、食べられる植物を暗記するとか、それが多い場所を見分けるとか、獲物になる動物の生態や捕え方を誰もが身に着ける必要があったはずです。 そうしたことが分業になり、道具の改良などで効率化もされて余裕が出てくると、暇な時間が出てきます。すると、いろいろ生活に直結しないことも考えることができるようになります。生産性が上がると、社会に属して生きていける人数も増えてきます。生活に直結しない価値も持てる余裕が生まれます。 もう一つは、必要性です。生きていくための道具や住まい作りでも発生しますが、生きていくのに余裕が出てくれば、より役立つもの、立派なもの(宗教的な動機が古くからあります)を作りたくなり、そうするために工夫していく中から、実用の学問的なものが生まれてきます。 三つめは、偶然に起こります。一次的な知恵から、発展させたり組み合わせたりして、より高度な二次的な知恵を生み出すことを覚えると、どんどん知恵は相乗効果で発展するようになります。これには、学問が実用のためのものから、学問が学問として独立した価値を認められたことも、大いに影響したでしょう。その萌芽は古代ギリシアですでにあったようです。 それが目に見える物として現れた例として、産業革命があります。蒸気機関が寄与したといったことは副次的で、爆発的に産業が発展したのは、最終生産物を作る機械を作るための機械を作るようになったことが大きく作用しています。すると、その機械を作るための機械も発明されるようになります。それに付随するように進んだ、純粋学問と技術の連携、互いにプラスに働くサイクルも見逃せません。 それが、急激とはいえ、連続的に変化したから、ほとんどの人はついて行けたと思われます。もちろん、時代に取り残される人は出ますが、相対的な範囲に留まるはずです。 1万年前と言わず、100年前の世界に我々が行ったら、生きて行けるかどうか危ういでしょう。我々は今ある道具で暮らせるような知識と知恵しか持っていません。100年前の人が現代に来ても、今の道具は使えないし、100年前の道具のかなりのものは無くなっています。1万年隔たると、その差は想像を絶するでしょうね。
お礼
愚問について、再三お付き合いを頂き、感謝いたします。 <脳がそれを為せる素地は1万年前にもあったのです。> <一つは、生きていく上で、余裕があるかどうか。> <もう一つは、必要性です。> <三つめは、偶然に起こります。> 以上の要因により、1万年前に既に用意されていた素地が顕在化し、今の我々になった、ということですね。 以下、ご回答を誤解したり無視しているかもしれませんが、今の時点での私の戯言を羅列します。 次に疑問は、なぜその素地が用意されていたのか、です。 1万年前までに、進化して(ここでは、この進化は、良い方ばかりでなく、悪い方にも、使っています。進化というより変化の方が、正確な表現かもしれません)いて、それが、上記の3条件などの助けを受けて、花が咲いた、ということでしょう。 そして、進化は、目的も無く・方向性も無く、常時発生しています。その進化が、その時点で、 (1)もし役に立つことであれば、進化は加速し、 (2)もし悪いことであれば、進化は消滅します。 その時では、(3)良くも悪くもないことは(中立のものは),内蔵され隠されてしまい、環境などが変化した時に、たとえば1万年後に、初めて顕在化して目が出、良い悪いの評価に曝される。 と考えています。
- titlk
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彼らは、今の人よりも、過酷な環境で生活していましたので、 脳や身体的な働きは現代人よりも寧ろ優秀であり、 三角関数など現代人よりも素早く理解してしまう可能性はないのでしょうかね? 人類の知性はいつが最もピークなのか気になるところですね。
お礼
早急な回答ありがとうございます。 <過酷な環境で生活していましたので> <寧ろ優秀> ですね。
1万年前の人類の生まれたばかりの赤ん坊を、親からも切り離して(これは意外に重要)、現代社会で普通に育てれば、何の違いも見いだせないでしょうね。 要は、1万年前と比べて、生まれたばかりの脳は、何ら進化も変化もしていないということです。 ただし、生育環境で脳の成長は異なってきます。そのため、1万年前の成人を現代社会に連れてきたら、馴染むことができるかどうかすら危ういです。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 <何ら進化も変化もしていない> ということですね。
- sorakana
- ベストアンサー率26% (21/79)
1万年前に人間いるのかな・・・とか思って調べてみたら、余裕でいたようですね。 http://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F ここによると、大体50万~30万年前くらいの旧人は、すでに現代の人間と同じ脳の大きさを持っているどころか、今より大きかったそうです。 なので、1万年前のおそらく新人ならば、実験対象の新人が実験に協力的だという前提だとすると、まず言語を教え三角関数を理解していただくことも可能なのではないでしょうか。 単純な脳の大きさで、知能に比例するのかまでは調べきれなかったので参考までに。
お礼
早急な回答ありがとうございました。 現在の我々も御先祖様も、3角関数やコンピュータを理解できる能力があるのですね。 しかし、御先祖様は、時代がたまたま1万年前だったから、知らなかっただけですね。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 1.まず,単純な生物(ハードウェア)としては、御先祖様は今の我々と異なっていない。 2、早熟に生まれてきた人類は、そのままでは不完全である。 2.そこで、知識(ソフトウェア)・単なる知識でなく、周囲の社会と関連した知識が、特に必要になる。 4、場合によっては、周囲の社会とうまく関係をも持たない場合、支障が派生する。 以上、お粗末ですが、私が理解できた分を、自分なりに羅列しました。 ダイナミックな分析により、納得できました。 ところで、今気になっていることがあります。 1万年前の御先祖様は、現在の我々と同じような生物的なレベルであるが、なぜ1万年後に役立つような進化を遂げていたのか、ということです。必要な時すなわち1万年後にそのレベルに達していれば充分である、と思います。ダーウィンの進化論を、私が粗雑に理解した点では、生存競争に役立つように進化する、ということでしょうから、必要な時に進化し得るだけで、1万年後に必要になるかもしれない三角関数を使えるように、なぜ前もって進化していたのか、が疑問です。 これらについては、よく考えてから、後日またこのカテで質問するかも知れません。