• ベストアンサー

江戸時代でストリップ、大人のお店

江戸時代でストリップ、大人の(おもちゃ)お店のようなお店はあったのでしょうか。 小説、シナリオを書いており、もしあったなら、使ってみたいと思っています。 江戸後期(1800~)でお願いします。 現在の(演劇の)小劇場、マンションヘルスのような隠れ風俗など のようなものもあったかどうか知りたいです。 よろしお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 ストリップ小屋はありませんでした。 寛政3年(1971)1月に松平定信が「混浴禁止令」を出すまでは、江戸の風呂屋は混浴でした。 従って、女性の裸を見るのは当たり前になっていたようですので、ストリップには興味が湧かなかったのかもしれませんね。 これは、実際にあった話(イギリスの医学書に出ていました)ですが、 アフリカのある原住民の一部の部族で年々人口が減少して、いずれは絶滅してしまうかもしれない、と言われていましたが、イギリス人医師が、色々調査をしたところ、その部族では、男女とも素っ裸が日常だったとか。 そこで、医師は、一計を案じ、女性にだけ「腰ミノ」を着けさせたところ、男性の、いわゆる、「あそこを見たい」という欲望が湧いて、子供の数が次第に増加していった・・・とありました。 江戸時代も、中期頃まで風呂屋が男女混浴でしたので、「見たい」という性欲が湧かなかったのかもしれませんね。 風俗営業としては、ご存じかも知れませんが、 ★岡場所(私娼) 幕府の許可を受けていない私娼(ししょう=売女「ばいた」とも呼ばれた)のこと。集団娼(しゅうだんしょう)と散娼(さんしょう)に分けられた。 集団娼・・・水茶屋や出会い茶屋などに抱えられて春を売った。 また湯女(ゆな)・・・・・湯屋(銭湯)にも私娼がおり、西神田の堀丹後守の屋敷前にあった「丹前風呂では「勝山」という湯女(ゆな)は人気NO1だったと言われている。 散娼・・・・・蹴転(けころ)・・・・・・・上野のお山を中心に出没した。        提げ重(さげじゅう)・・・明和~安永年間(1764~1781)頃流行した、提げた重箱に餅や饅頭を売り歩きながら春も売った。        船饅頭(ふねまんじゅう)・・・天明(1781~1789)頃流行。饅頭を売ることを表向きとして「大川(隅田川)」の船の中で春を売った。        夜鷹(よたか)・・・元禄年間(1688~)から出没するようになった。下記参照。        比丘尼(びくに・・・天和~貞享(1681~1687)頃から出没し始めた。下記参照。 なぜ「岡場所」と呼ばれたかは、「岡」に登れば四方が見渡せる。つまり、「岡目八目」や「岡惚れ」と同じく横合い(本筋ではなく)から手を出すからきている。 ★夜鷹(よたか) 京都では「辻君」(つじぎみ)・・・何となく風情がある。 大阪では「惣嫁」(そうか)・・・・・何でも喰らい付くの意。 江戸では「夜鷹」・・・・・・・・・・・これは、夜になると鷹のように目を凝らして相手を見つけた。 「凡(おしなべ)て鮫ケ橋、本所、浅草堂前、此三ケ所より出て色を売り、此徒凡て四千に及ぶと云ふ」(武野俗談)とあるから、江戸の女五十人に一人の割合であったとか。夜鷹の出没するのはほかにも両国、柳橋、呉服橋、鎌倉河岸など柳のある土手が多かった。彼女たちは柳の陰からす~っと出てきて、往来の男の袖を引っ張って土手を降り、川端に積んである材木の間などで事をすませた。持参のゴザが唯一の商売道具であった。もちろん、隠れ「売女」(ばいた)であった。 ★比丘尼(びくに)への憧れ? 「比丘尼」とは諸国勧進に回っていた「尼さん」が「娼婦」に落ちた者をさした。天和年間(1681~)頃から出没し始めた。 尼僧姿で娼婦とは変なものだが、坊主頭に色気を感じる変体男もいて、江戸ではなかなかの人気があったという。狂歌で、 「三ケ日(さんがにち)待たず比丘尼は見世を張り」 というのがある。つまり、正月の三ケ日も休めないほど繁盛した、というものである。 主に、「中宿」にたむろして商売を行ったが、寛保2年(1742)、比丘尼と武士の心中事件が起こり、中宿の一斉摘発が行われたのを機に比丘尼は姿を消した。 大人のおもちゃ・・・については、No1.の方がおっしゃるようにも「四目屋」が有名です。 大奥女中などでは、上級お女中になると、御宰(ごさい)という個人的に雇った下男がいましたので、チップをはずんで買いに行かせたりしました。 また、下級お女中で、そのような物を買えない者は、濡れた手拭いを絞って「あそこ」へ・・・。

ken-ken-k
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • aran62
  • ベストアンサー率16% (485/2911)
回答No.3

行商が有りました。 四ツ目道具の普及の役割を果たしたのが、小間物屋である。 行商人である彼らは、紅や白粉、爪楊枝などの細々とした物と一緒に性具を売り歩いた。 小物問屋が扱っていた性具には、張形、琳の玉、なまこの輪、肥後芋茎(ずいき)と多種多様に渡っていた。

ken-ken-k
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • jasko
  • ベストアンサー率24% (478/1966)
回答No.1

大人の(おもちゃ)お店が「もしあったなら」という点から あなたが全く調べていないことがわかります。 小説、シナリオを自分で書いているなら、まず自分で調べてみることですね。 ネットから得た情報も、書物から得た情報も違いはないにしても、 「いい記事は足で書け」です。 図書館に通うくらいの情熱は持ち合わせるべきです。 それがたとえ素人の筆すさびにしてもです。 ストリップ小屋はなかったと思いますが、同様の見世物には「それつけやれつけというのがあったようです。 風呂屋で男女が同じ風呂に使っていた時代ですから、ストリップだけの小屋ってのはなかったのでしょうね。 大人のおもちゃの店はありました。四つ目屋ですね。 男性用女性用けっこうなお値段で売り買いされていた模様です。 隠れ風俗といえば出合い茶屋、水茶屋、陰間茶屋。 旅館に飯盛り女はつきもので、現在同様多種多様にあったようです。 調べるだけでも楽しいものですが、 ぶらりと図書館に行くだけでも以上のような情報は得られますよ。

ken-ken-k
質問者

補足

一応調べましたが、ありませんでした。 私の調査能力がないと言われれば、それまでですが…