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急ぎです!哲学の授業の課題「真理とは何か?」について煮詰まってしまいました…!(>□<)ご意見ください!!
よろしくお願いします、哲学の授業の課題でかなり困っているのでご意見を頂けないでしょうか?(><) 授業で「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」を考えて(哲学して)レポートにまとめよう!という課題です。レポートは2500字以上で、先生が求めているのは授業の確認(授業で習った真理説について改めてまとめるとか)ではなく私たちに「真理」について自分なりに考える事で「哲学」をして欲しいって事らしいです…(それが難しい!!)課題自体は私は結構面白そうだと思うし、2500字なのでなんとか書けるかな~と思ってたんですが・・・いざ書き始めるとどう展開して書いていけばいいのか全然分からなくて、まったく進められなくなってしまいました!!(>□<)もともと文章書くのは苦手ですし・・・ 一応私が考えている「真理」は ・「真理」はあると思う、でも言葉で表すのは少し難しい ・真(本当の事、整合説とか)と「真理」は違うと思う ・存在の真理(ありのまま)説が一番近い気がする という感じなのですが(大雑把でスイマセン・・・)、これをつまりどういうことか、とまとめていくのが難しくて…しかも「真理」の意味(?)について「でもこうとらえる事も出来るかなぁ・・・またこうも・・・」と考えてくとなんかキリがなくなっていっててなかなか結論を書けません! どういう展開で書いていけば2500字分くらい論じられるのか・・・自分でもすごく考えたんですがなんか煮詰まってしまって質問させて頂きました・・・。どんな事でも良いので沢山ご意見頂ければ嬉しいです!よろしくお願いします!(><)
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2500字も必要でしょうか? 私なら簡潔に一言書いて提出します。 「真理とは自然であると私は感じます。」 自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw じゃあもとい! もう少し補足しましょう。 「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが ずっとそこに在るもの。 つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のものでもない。 人によっては真理という人もあれば、神と呼ぶ人もあり、その呼称は 信じる表現(宗教)によって様々である。 我こそ真理を見たり!!と叫ぶものあれば、あれは邪教だと誹る声もあり。しかしながら、真理とは異端の能力を持った人間のみに理解できるものではなく、また、それを信じる者と信じないものとを分け隔てるものでもない。 生きとし生けるもの、存在する全ての物に至るまで完全なる平等によって包むもの。 つまり真理である自然がそれである。 何人たりとも、またどんな僻地の些細な出来事においても自然の法則を逸脱して活動することはなく、完全なる数学的な正確さでもって絶え間なく営まれているのである。 完璧とはわれわれ人間が永久に到達し得ない概念としてある地点であるが、自然は完璧を備えている。 不完全である我々が、はたして完全を理解できるのであろうか? 自然が未だ神秘に包まれているのは、その所以だと私は思う。」 こんな感じ? 短いか^^;;
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- hikaru0705
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まづこのレポートを書くには真理がどういうものかを整理する必要がありますね。真理とは色々な意味で使われますが一般的にそれを聞く(読む)時期、場所、人種、老若男女を問わず、だれがいかなる場所で聞いても確かだと納得しうる事だと思います。 しかし、このような例を出すことは非常に難しい事です。例えば現在では地球は丸いと言う事は普遍の真理として知られていますが古代ではそうではありませんでした。ラクダの上に亀が乗っており、その甲羅が地球だなどと本気で信じられた時代もありました。また宗教によっては私たちが本物の真理を教えていますと言っている宗教がありますが、宗教を一歩はなれた人から見ると荒唐無稽な事を言っている場合もしばしばです。 この意味で真理とは、限りなく個人的な主観に由来するもので。客観的、普遍的真理の例を挙げることは私には出来ません。よくよく考えて書いたほうがいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます! >真理を整この意味で真理とは、限りなく個人的な主観に由来するもので 確かにそう言われればそんな考え方もありますね!(゜0゜)真理する…難しいけど頑張ってみます!(^^)ありがとうございました!
- yayuh
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いわゆる真理は物理学で言う大統一理論と同じもののはずですし、全てはひとつというせかいとも同じはずです。 それを追求した世界として、物理論や認識論、存在論、唯心論、唯物論、色即是空、神仏、神道などが参考となると思います。 これらは、この世(自分や心、考えなども全て含め)は何で出来ているのかを追求している世界といえます。 それらを歴史的は背景も含めて紹介するだけで、次数は稼げるかもしれませんね。 もうひとつポイントとしてあげるとすれば、真理は相対世界ではなく絶対世界です。絶対世界といえる条件とは何か?そして、その絶対世界からどうやって相対世界が生まれているのか?これを説明できれば、真理とは何かを論じることができるのではないでしょうか。 より明確に分かれば、あなたは教祖か仙人になれますよ。なんてね♪
お礼
回答ありがとうございます!なるほど、そういう順序だてが出来れば書いていけるかもしれないですね(^^) 仙人に近づけるように(←笑)頑張ります!(>∀<)
「でもこうとらえる事も出来るかなぁ・・・またこうも・・・」 これが真理なのではないでしょうか。 しん‐り【真理】 yahoo 辞典より ★思惟と存在あるいは認識と対象との一致。この一致については、いくつかの説がある。 ★プラグマティズムでは、人間生活において有用な結果をもたらす観念をいう。 わたしが考えるに、真理というものはつかみとれない空気のように 状態、状況に応じて目には見えずして形を変化させるもの。
お礼
回答ありがとうございます!お礼が遅くなってすいません(><) なるほど、つかみとれない空気のように変化していくもの…そういう考え方もありますね!(゜▽゜)参考になりました☆ありがとうございました!(^^)
このカテに訪れる質問で哲学の授業の無理難題というのは一貫していまして、答えの無い又は現時点の人間には持ち合わせていないそんな課題を先生方は好んで出しているようです。 この問題は何かを信仰して、それが真理であると強く思い込んでいない限り自分自身の理解力では答えが出せません。 提出するレポートは支離滅裂なマジ切れレポートが一番喜ばれます。 とにかく自分で考えを進めて果敢に知性の根源を探ることが重要です。
お礼
回答ありがとうございます!お礼が遅くなってすいません(><) そうなんですよね~強く思い込んでる人なら「私はこう思う!」って色々書けると思うんですが私はなかなかまとまらなくて…(×△×)でもとにかく書けるだけ書いてみようと思います、ありがとうございました!(^^)
- Us-Timoo
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あの、「煮詰まった」って言葉は、本来は 物事が進んで完成に近くなってきた状態のことを言いますが、 (煮物を炊き始めて出汁や煮汁の水分が少なくなってくると 煮物が炊き上がりに近づいてきたことを比喩してこういう言い方をする) もしかして、そういう意味ですか? そうでなければ「行き詰る」ですよね? もしも、行き詰っているのであれば、まずは自分があげた項目に対する 自分の考えを、それぞれ大雑把に書き上げていくべきでしょうね それを書上げたら、一度自分で通して読んでみる。 必要のない言葉や文章を削除していく そうして話の論点を絞り込んでいくことです。 また、「真理」というものが世間一般では、もしくはネット上の 情報では、どういう論じ方をされているかを、自分で確認しておくべきでは? これらを総合して、 「自分のいいたいこと」を 「客観的に、論理的に」 「自分なりの論点」 をまとめるべきではとおもいますよ。 具体的なお役に立てなくてすみません。
お礼
回答ありがとうございます(^^)そうですね「行き詰る」のが正しいですね!なんか頭がいっぱいいっぱいになっててそんなニュアンスになってしまいました・・・(××)ご指摘ありがとうございます(^^) 自分のあげた項目に対して書き上げていく・・・まずはそれですよね!取り合えず落ち着いて取り組んでいこうと思います!回答ありがとうございました☆
論文は足で書くものでOKWaveで聞いて行数を水増しするもんじゃーありませんよ。 物質とは何か? 宇宙とは何か? 生命とは何か? こういう疑問に応えるために人類は自然科学と哲学を発展させてきました。 そういう中で、絶対的真理と相対的真理との問題も重要なテーマとして取り扱われてきました。 とこでで、「物質とは何か?」と絶対的真理と相対的真理との関連では、今、話題沸騰でしょう。 ですから、その手の材料収集には絶好の環境かと思いますよ。 ご承知のように、かっては、原子が分割できない究極の物質と考えられていました。 が素粒子理論とその検証で究極の物質論はより正確で完全な方向で修正されました。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/08/news012.html >物質は原子が集まってできている。 >原子は中心部に原子核、 >その周囲に電子がある。 >原子核は陽子と中性子に分けられ、 >これらはさらに小さい「クオーク」という複数の粒子でできている。 私が思うに、この素粒子論も終局の理論ではないでしょうね。 正に、某哲学者が次のように言い放ったように相対的でしょうね。 >科学の発展におけるおのおのの段階は、 >絶対的真理というこの総和に、 >新しい粒をつけくわえる。 >しかし、おのおのの科学的命題の真理の限界は、相対的である。 ともかく、この引用が誰の文献からのものであるかを含めて足で調査されるべきですよ。 PCの前に座って回答を待つ暇があれば図書館に出向いて文献を片っ端から読破。 で、「取材ノート」をしこたまと書き溜めることですよ。 絶対的真理と相対的真理との問題は、頭で考えるとドツボに嵌ります。 が、具体的に湯川理論から小林・益川理論への発展を辿れば生き生きと語ることも可能。 水増ししたければギリシャ時代の物質論も紐解けば良いと思いますよ。
お礼
早速の回答ありがとうございます!(^^)論文は足で書くもの・・・そうですよね~(><)「哲学」ていざ自分で考え出すとなんか考えすぎて頭がシューってなってしまって・・・ほんとにドツボって感じです(><) でも哲学の授業自体は結構好きなので頑張ってみます!(^^)回答ありがとうございました☆
お礼
回答ありがとうございます! >「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが ずっとそこに在るもの…。」 私もすごくそう思います!!真理=自然ってわけではないかもしれませんが、「真理」に対する考え方はほとんど同じ考えです!(^^)参考にさせて頂きます!☆