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幸せになるのが怖い

幸せになるのが怖くて幸せになると幸せを拒否して幸せを手放してしまいます。 どうすればいいでしょうか?

みんなの回答

回答No.6

自身のではなしに、 世界の難民や 日本の被災難民を ハッピーにするように 私財や労力を使いませんか。 質問者さまが 一生かかっても 達成が無理な 仕事のボリュームですので 不幸せな気持ちを抱えて 暮らせますよ。 (実は、逆に、シアワセになりたいのであれば、 難民救済に勤しめていることをシアワセなことと 感じるようにすればOKでしょう)

回答No.5

「幸せになるのが怖い」のであれば、「幸せになると幸せを拒否して幸せを手放す」のは目的に適ったことでとても良いじゃないですか。 「どうすればいいでしょうか?」 = 現状ではまだ不満で、「手放すまでもないように、一切の幸せを未然に防止したい。絶対に幸せにならないようにしたい」のでしょうか。 宝くじやギャンブルをすると、何かの拍子に大当たりすることがあるから止めるといいです。異性や同性に親しい人をつくると、幸せの気分になってしまうこともあるから人との付き合いをやめるか、出来るだけ険悪な関係になるような行動や発言を繰り返すといいです。働いた結果収入などがあった場合には、カネを下ろして何となく好きだったものを購入し直ちに壊したり汚したりしてがっかりした気分になるようにしましょう。その他、自分が幸せに感じてしまいそうなことは幸せを感じてしまう前に壊すのが良いです。   お化け屋敷や絶叫マシンは、恐いけれど我慢して楽しむということが多いです。 「幸せになるのが怖く」ても、「幸せを適度に楽しみ」、とても恐くなってきたり、飽きてきたら手放すという方法もあります。その場合、極度に幸せだととても恐くなる可能性がありますから、ちょっとづつ慣れるように、「少し幸せを短期間楽しむ」を繰り返し、慣れて来たら「ほどほど幸せ・1~2週間楽しむ」というようにするのも方法です。 我慢する力がついて来る状況、恐い幸せの程度をうまくバランスをとることです。 あまり慣れすぎて、「幸せになるが怖くなくなってしまった」というのを認めるのであれば、このトレーニング方法で特に限界は設けなくても良いでしょう。   「幸せになるのが怖くなくなっても構わない」と最初から諦めるのであれば、もっと手近な方法もあるでしょう。 この場合、恐いポイントを明確にすることが大事です。「幸せになるのが恐い」という抽象的かつ一般的なことでなく、何が恐いのか、恐くなくなっても構わないことはどんなことかを明確にすることです。目標を明確にすることで対策を作れます。 色々あるとお思いかもしれませんが、具体的に2,3のポイントに絞ります。例えば、親密な友人がいる、月間●万円は自由に使える、いがみ合わない家庭生活をする、仕事で周囲から頼りになる人と思われる、、、などのように「目標」の状態とその状態になる日限、具体的な細部目標(一里塚・マイルストーン)を展開できるように大きな目標を2,3にします(1つでも良いです) そういう達成計画を自分で考えると、その細部計画(一里塚・マイルストーン)は恐くない状態になっているハズです。 恐いというのは、漠然とした状態のまま放置していることが最大の要因だからです。 お化け屋敷でも絶叫マシンでも、自分で設計し、仕様を固めると、視覚や体感で感じるものは急激には減少しませんが、怖さは非常に薄くなります。視覚や体感は慣れが重要です。 幸せの体感的恐怖は、具体的な細部目標(一里塚・マイルストーン)を実際に追求、達成することでクリアされていきます。   脱走、依存傾向、自己愛性向がどうしたこうしたと考えても、なにも対策にはなりません。

noname#183245
noname#183245
回答No.4

しあわせになっていいんだよって自分に言い聞かせることです。 納税額日本一の斎藤一人さんはおっしゃっていました。 しあわせになるのは義務 と。 自分がしあわせか不幸か。 それが周りにも影響を及ぼすからです。 あなたのためだけではなく、まわりのためにも しあわせになってください。

回答No.3

拝読させて頂きました。 >>幸せになるのが怖い と言われていますかが、それは分析をすれば、“幸せ”が怖いのではなく、その後に襲って(?)来るで あろう落差を恐れておられる様にも窺えますね・・・。 普通、誰もが(?)“幸せを願い生活(頑張って)をしている”ものと思われます。 “夢があり、目標があり、希望があり”といったふうに・・・。 >>・・・幸せを拒否して幸せを手放してしまいます。 ご自身の言われる“幸せ”とはどういったものかは知る由もないのですが、幸せにも幅広いものがあると思われます。 例えばはですが、念願であった事を成し遂げた幸せだったり・・・。 また、諦めていた結婚が出来たりと様々なものがありますよね・・・。 これは私見ですが、『幸せ』というものは心で感じ、“かみしめる”ものであり、“分かち合う”とした ものだと解釈しております。 繰り返しになりますが、“幸せ”というものも長くは続くものではないですよね。 “不幸”も同じだとおもいます・・・。 “幸せを拒否”する思考性はとても“勿体ない”と思われないですか。? (とても損なことをしていると・・・。) 『幸せ』=『恐怖感(観)』とした構図をされているのなら、何だか悲しくないてすかね。 (それに気づいたときに後悔されるとおもいますよ・・。)

noname#194289
noname#194289
回答No.2

昔から好事魔多しと言います。幸運はなかなか手に入らないし、また失う要因も多いということを言っているのだと思います。しかしあなたの場合にはその幸せというモノそのものが果たして本当の幸せかどうかはっきりしないということはないでしょうか。本当にそれが幸せだと確信できるのならば手に入れた後、失わないように努力することはそれほど無理なことではないと思います。

  • every2007
  • ベストアンサー率22% (24/106)
回答No.1

>幸せになるのが怖くて幸せになると幸せを拒否して幸せを手放してしまいます。 ⇒そもそもそれは、自分が不幸だと思っている証拠です。 >どうすればいいでしょうか? ⇒常に自分は十分幸せだと思えるようにすれば良いでしょう。

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