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<幸せ下手><幸せ拒否><幸せ嫌悪>の原因
<幸せ下手><幸せ拒否><幸せ嫌悪>が生じるプロセスか原因をお教えください。
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- harrywithers
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臨床心理学では、生育歴が原因だと考えられています。 育てられた環境、親の性格、自分の受け取り方、 それらが全て生育歴に係わって来ます。 幼い頃の生育段階で、求めた愛情を拒絶されることが続いたり、 常に愛情に交換条件が付けられたりしていると、 「自分は幸せになる資格のない人間だ」とか、 「愛情には必ず、裏に(自分を操作しようとする)意図がある」 との観念が出来上がります。 成長してからはその観念を相手に投影した結果(※)、強化して行きます。 ※「他人は信用できない」と言う観念は、 実は自分自身が他人を信用していないことに、元々の 原因がありトラブルを生みだしていることが在ります。 要は、成長期の養育者(主に母親)との信頼関係の質が 他人の幸せを(自分の手に入らないものだと)羨む性質や、 すぐそこある幸せを(資格がないと)拒絶しつかみ切れない、 人間を育てる原因になると言われています。 ぶっちゃけた話で誤解を恐れずに言うなら 、 幼児期の親との関係で、自分の要求がほとんど親に伝えられ 親が(自分の)欲求を感じ取り、適切な対処をして来た・・・ そういった体験で育って来た人間は、甘え上手で、 自分と他人を信じることができる人間に成ります。 その親子関係が上手く行かずに、養育者によって自分の欲求が 拒否され無視されたり、何回も繰り返し要求しないと叶わなかったりすると <幸せ下手><幸せ拒否><幸せ嫌悪>な人間が出来上がります。
- genki-mama
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基本的に元気を失っていて『後ろ向き』だからじゃないかな。 人は誰でも幸せを追い求める権利がある。自分自身でそれを放棄しているのだから、悲劇のヒロイン・・がやりたいのか。要するに逆に『目立ちたがり』? ともいえないかな。自分が目立てないなら、不幸になってやれ。というような深層心理が働いていないかなあ・・。 極端な考えの人にも多い気がする。幸せか、不幸か、世の中にはどちらかしか存在しないと思っているような。今の自分は、あの人よりは幸せと言えるかも、でもこの人よりは不幸せかも。そんな、『どちらでもない』or『どちらともいえる』ような感覚が薄い人。 満腹か空腹か。どちらでもない感覚の時もあるはず。だけど肥満の我が夫などを見ていると、満腹でなければ、何かを食べたがる。そのどちらでもない『ちょうどいい』あたりを楽しむことを忘れている気がする。 自分を愛すること。人を愛すること。自分を大切に、人も大切に。無理せず、自然体で。そのバランス感覚を失ったら転んでしまうかも。もっとわがままになったらいいんじゃないかな。きっと本性は人一倍わがままなのでは。それを不自然に抑えようとするから、じゃないのかなあ・・。
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ありがとうございます。
Q、<幸せ下手><幸せ拒否><幸せ嫌悪>が生じるプロセスか原因をお教えください。 A、プロセスってことでは説明は出来ないと思いますよ。 <幸せ下手><幸せ拒否><幸せ嫌悪>って、要は<イジイジ性格>でしょう。 まあ、誰しも<イジイジ性格>と<ハツラツ性格>との2つを有しています。 <イジイジ性格>を黒だとします。 <ハツラツ性格>を赤だとします。 で、今まで生きて来て赤一色の真っ赤人間にお目にかかったことはないです。 で、今まで生きて来て黒一色の真っ黒人間にお目にかかったこともないです。 みんな、それぞれのそれぞれの赤と黒のバランスを持っている人間ばかり。 これは、存在そのものが幸福一色ではないから当然。 これは、存在そのものが不幸一色ではないから当然。 と、いう考え方を前提にすれば、<黒が優位になった原因は何か?>という問いでしょう。 と、いう考え方を前提にすれば、<赤が劣勢になった原因は何か?>という問いでしょう。 抽象的に言えば、黒を優位に立たせる存在のあり方の量の蓄積の程度が問題。 抽象的に言えば、赤を劣勢に立たせる存在のあり方の量の蓄積の程度が問題。 このように考えれば、一つは、不幸という存在の量の蓄積が必要条件ですね。 さて、意識は存在の反映であるのは確か。 だが、意識をもって存在のあり方を能動的の変革することが出来るのも確かです。 だとするならば、黒を優位に立たせる存在のあり方の量の蓄積傾向を押し留める意思力も大事。 だとするならば、赤を劣勢に立たせる存在のあり方の量の蓄積傾向を押し留める意思力も大事。 こういう意識力ってのは幼少時、そして少年・少女期、成人期の実践を通じて養われるもの。 このように考えれば、二つは、不幸という存在の量の蓄積傾向に抗する意思力の弱さが十分条件ですね。 平たく言えば、「存在と意思とのこれまでの積み重ね」ということ。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございました。