公職に付くことができる ~実際の人口のうち0.5%
_公職に付くことができるのは、生まれながらの知性が平均よりも50パーセント以上優れた者にかぎるべきであり _
『 普通選挙も世論調査も、世界統治には有効ではない。統治することは先を見通すことであり、羊の群れのような民衆の反応に従うことではない。彼らの中には人々を指導し得るほど十分に覚醒されている者は、ごく一部しかいないからである。覚醒された人というのはきわめて少ないので、普通選挙や世論調査に基ずく決定は、大多数の民衆の、蒙昧主義的潜在意識による本能的反応の選択にしかいきつかないものである。
選択的民主主義である天才政治のみが、価値あるものなのだ。そして、公職に付くことができるのは、生まれながらの知性が平均よりも50パーセント以上優れた者にかぎるべきであり、それを選出できるのは、生来の知性が平均より10パーセント以上優れた者にかぎるべきである。
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現在、人が民主主義と呼んでいるものは、実際は平均政治にすぎない。というのは、最も人数が多いのは、平均的知性を持った人びとであり、したがって、かれらの決定が投票のさいに勝利を得るからである。
非常に良く作られたテストのおかげで、ガウス曲線(1)を見てもらえばわかるように(注・無い)、実際の人口のうち、わずか0.5パーセントがきわめて優秀、すなわち天才である。しかし、こうした天才たちの声は、同じく0.5パーセントを占める白痴的な人たちの声によって、投票の際に相殺されてしまうのだ!
優秀な人たちはわずか二パーセントしかおらず、かれらの声も、同じく二パーセントを占める知恵遅れの人たちの声によって相殺されてしまうのだ!
平均より十~三十パーセント高い知性を持つ人たち、つまり「平均以上」の人たちは、人口の二十五パーセントを占めているが、かれらの意見もやはり、同じく人口の二十五パーセントを占め、平均より十~三十パーセント低い知性を持つ人たち、つまり「平均以下」の人たちの意見によって相殺されてしまう。
結局、平均的知性を持つ人たち、つまり平均的な人たちが、投票の際に決定を下すことになる。なにしろ、かれらは四十五パーセントもいるのだから。以上、民主主義のこのような形態が、実際は平均政治にすぎないことの理由である。 (ラエル著)』
_実際の人口のうち、わずか0.5パーセントがきわめて優秀 _
“公職に付くことができる者”
<総人口> 1億2763万人【平成23年9月1日現在(概算値)】 の 0.5 % = 63万8千人
公 務 員 の 種 類 と 数 ―平成20年度末
公 務 員(約3,614,000人)_国家公務員(約662,000人)_地方公務員(約2,951,000人)
http://www.gyoukaku.go.jp/siryou/koumuin/shurui.pdf#search='公務員の数'
約 361万4千人 ⇔ 63万8千人 現状に問題が有りとしたならば、4/5以上削減できる(63万8千人まで)、
所見などありましたら?
お礼
そうですよね.どこに言っても,告別式々場や入学式々場と書かれており,それを書くのは学校であったり業者であったりするわけで,それが正しいのかなと思っていましたが,間違いだとわかってすっきりしました.見てて気持ち悪いんです.