新撰組 水戸藩
こんばんは、早速質問させてください。
今歴史小説を読んでいるのですが時代考証や人間関係などがややこしくよく分かりません。
以下に記述しますのでどなたか分かる方がいらっしゃいましたらお教えください。
浪士組が上洛した日の夜、清河八郎が幕府を裏切り朝廷のために働くと言う感じの演説をしていますがその時京都に残ったのが後の新撰組ですよね?
ここでどうしても分からないのが、何故その時、芹沢鴨がその場に残ったかです。
芹沢は水戸藩の人間で、水戸藩は尊皇攘夷思想の中心的な藩だったはず。
芹沢も水戸時代から『朝廷第一』と言う教育を施されていたと聞きました。
と、言うことは芹沢は尊王・・・つまりは朝廷側の人間で幕府側ではないのでは?と言うことです。
清河と共に江戸に帰ると言うのならば水戸藩の教え(=
朝廷第一)の通りだと納得も出来るのですが。
それ以前に、何故御三家である水戸藩がそのような尊王攘夷論などと言うものを掲げていたのかも分かりません。一体水戸藩はどちら側の人間だったのでしょうか?
朝廷側と思っても幕末は最後まで幕軍として戦っているようですし、じゃあ幕軍かと思いきや、井伊大老を桜田門外の編で暗殺したのは水戸藩士のようですし。
この辺が良く分かりません。
質問自体がゴチャゴチャしていますが、どなたかお教えくださると幸いです。
よろしくお願いいたします。
お礼
おおそんなに細かく分かれていたことさえ知りませんでした。はずかし!本当にありがとうございました!