- 締切済み
宮沢賢治の歌の意味
宮沢賢治の歌、「深み行きてはては底なき淵となる/ 夕ぐれぞらのふるひかなしも。」の意味を教えてください。 「ふるひ」→「顫ひ」という記述もありますが……。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kimari14
- ベストアンサー率17% (50/288)
今、直面する問題も目を凝らせば、 目渡せる限りのわが人生はもとよりなく、交わることのない二本の鉄路のように はるか彼方の原野?に果てる 如く あまりの途方に ふと見上げた空は 夜だったか 星も哀しい
- bluestorm666
- ベストアンサー率42% (81/189)
朝日が昇るときの空も、夕日が沈む時の空も、刻一刻と変化して、見ていて心が引き込まれるような思いがします。 日の出の空は、暗い空の一角からわずかに明るみ始め、それがにじむように広がっていき、見ているうちに何かしら明るく前向きな気分になれるのですが、それと反対に、日没の、スミレ色から濃紺に、次第に暗さが深まっていく(そしてついには必然的に暗い夜空になる)空を見ていると、美しさ・不思議さにうたれると同時に、何か決して還らないものが去っていくような悲しみに似た感慨を抱くことがあります。人によっては、いつか必ず滅びる運命にある「生」の在り方をそこに重ねてみるかもしれません。 夕ぐれぞらの「ふるひ」とは、空の様相の「一瞬たりともとどまることのない、おののくようなうつろい」と解釈して、それを見つめている自身の感慨を「かなしも」と表現しているのではないでしょうか。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
も 三〘終助〙文末で、活用語の終止形、助詞、接尾語「く」に付く。感動•詠嘆を表す。…ことよ。…なあ。→かも →ぞも →はも →やも かなしも=かなしいなあ、かなしいことよ
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
賢治の中学生の時の歌、とのことですね。 夕暮れの空を見続けていると色がどんどんと深くなって、最後は底なしの(底も見えない)深い淵の様な黒々とした色になった。夕暮れの空はこんなに顫えるほど悲しいのだな。(なぜ顫えるほど悲しいのだろう) 巨大な宇宙の中、はるかな時間の流れの中に、ほんの小さな孤独な存在としての自分を気付かされて感傷的な気分になっている、そんな自分自身・自我に気付いて驚いているように感じられます。
お礼
Postizos様 丁寧な解説、どうもありがとうございました。 参考にさせていただきます。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
もはや余光さえ蒼然として紺碧の大海の如く、その暗暗と深まり行く奥処はまた、海底を覗くが如き常闇の深淵を成している。 そんな火点し頃の天空では、大気の戦(そよ)ぎは微塵の散乱反射となっていたずらに顫動しているその様こそ、まさに修羅に他ならない。常闇の深淵を前に顫動する修羅とはまことに哀しいものではないか。 「岩手山 空の散乱反射のなかに 古ぼけて黒くえぐるもの ひしめく微塵の深みの底に きたなくしろく澱むもの」
お礼
kine-one様 格調の高い解説、どうもありがとうございました。 参考にさせていただきます。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
そうですね。彼は冬か秋の真っ赤っていうのをなにかに例えたかったと思います。悲しみはあの夕暮れにあるんだと。夕暮れって静かで残酷だって思いません?
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
うつ用語かな。うつってどーんてそこに沈む感覚がおそってきます。淵は、心のおちこみです。 何もかも悲しい。夕暮れ空がすべてを語っている。あの悲しみの中にすべてがある。そういう意味。うつにならないとわからないと思います。すべてが悲しい。それがうつです。
お礼
tsufujifuji様 早速のご回答、どうもありがとうございました。 歌にこめられた悲しみが伝わってきます。 「ふるいかなしも」の文法的な解釈はどうなるのでしょうね……?
お礼
bluestom666様 詩的で、哲学的な解説、どうもありがとうございました。 参考にさせていただきます。