NATUREの記事20,Sep.,2012を読みました。
人間は熟慮してアクションを起こすよりも直観的に動いた方の結果が対人に対して協力的、協調的な結果を生むという結果が示されたことに対するNews&Viwsです。
直観だとか思慮だとかメンタル的な用語が多くどういうふうに的確に訳せばいいのかわからなくて今回はいつもより質問が多めです。ご迷惑おかけいたしますがお付き合いください。
(1)Intuitions can sometimes lead us astray, such as when it comes to processing statistical information, but our 'gut feelings' also serve us well in many common situations.
直観は統計的な情報が生じたときに時として迷いを生じさせる。しかしその直観は多くの場面において重要な役割を果たす。
カンマ文節が自信がありません。
(2)One interesting question to ask is how intuition influences social desisions that pit self-interest against collective benefit.
一つの興味深い問題は集合的な利益に対して私欲となる社会的判断に直観がいかに影響するかである。
pit の的確な訳が知りたいです。また社会的判断なのに私欲という言葉が修飾されいてこの社会的判断がどういうものなのかまったくわからなくなりました。
(3)Does intuition support cooperation, or do people need time to reflect before deciding to pull their weight?
直観は協調性を支援するものか?また人は決定的判断を決める前にそれを判断する時間が必要か?
カンマ以降の文章が訳に非常に困っていますここでのreflect はどういうものなのでしょうか。
(4)If evolution favours self-interest, then people should be equipped with intuitions that help them figure out how to maximize their individual gain.
もしも進化において私欲を望む傾向にあるならば、人は個人的な利益を最大化することを理解しようとする手助けをする直観を備えさせていなければならない。
でいいのでしょうか。意味的には 強欲さを欲するなら直観がそうさせる機能を持つはずであると解釈しました。
(5)Furthermore, psychological studies have suggested that moral judgements are often made intuitively, and because many people view 'freeloading' on other people's contributions as morally blameworthy, it is plausible that moral intuitions support cooperation.
更に、心理学のいくつかの研究では道徳的な判断が頻繁に直観的な判断を形成させ、その原因は多くの人がほかの人のコントリビューションが道徳的非難されるべきものとする居候生活のようなものであるとみなしてしまうためであることが示唆された。これは道徳的直観が協力性を支援している可能性の一つである。
この後頻繁にコントリビューションが出てくるのですがこの直観は協力的に働くという人の行動学的な意味合いでのcontributionsはどういうふうに訳すのがふさわしいのでしょうか?
とりあえずまずはここまでが分かりません。
>(1)Intuitions can sometimes lead us astray, such as when it comes to processing statistical information, but our 'gut feelings' also serve us well in many common situations.
>直観は統計的な情報が生じたときに時として迷いを生じさせる。しかしその直観は多くの場面において重要な役割を果たす。
「直感は、情報を統計的に処理するような場合だと、時として錯誤を生じる。しかし、よくあることの多くで『勘で分かる』ことは役に立ってもいるのである。」
>(2)One interesting question to ask is how intuition influences social desisions that pit self-interest against collective benefit.
>一つの興味深い問題は集合的な利益に対して私欲となる社会的判断に直観がいかに影響するかである。
「興味深い疑問の一つは、社会として為す決定で、個人の利益と共同体の権益が競合してしまうようなとき、直感がどのように、それに影響するかである。」
>pit の的確な訳が知りたいです。
A pit(s) C against C.で、「AがBをCに対して競わせる」といった意味です。
>また社会的判断なのに私欲という言葉が修飾されいてこの社会的判断がどういうものなのかまったくわからなくなりました。
個々人の利益と、その人々が属している共同体の利害は必ずしも一致しないわけで、それをどう折り合いをつけるかのルール作りなどが、社会としての意思決定ということでしょう。たとえば、福祉のために増税を受け入れるか、増税するなら誰からなのか、といったことは我々が直面しています。
>(3)Does intuition support cooperation, or do people need time to reflect before deciding to pull their weight?
>直観は協調性を支援するものか?また人は決定的判断を決める前にそれを判断する時間が必要か?
「直感に従ったら、(皆が自然に)協力的になるだろうか? もしくは、各人が己の力に応じて一致協力するためには、まず時間を掛けて考える必要があるだろうか?」
>ここでのreflect はどういうものなのでしょうか。
熟慮する、ですね。
>(4)If evolution favours self-interest, then people should be equipped with intuitions that help them figure out how to maximize their individual gain.
>もしも進化において私欲を望む傾向にあるならば、人は個人的な利益を最大化することを理解しようとする手助けをする直観を備えさせていなければならない。
「もし人間が、個人の利害を重要視するよう進化してきたのなら、各個人は己の利益を最大化する意思決定の志向を持っているはずだ。」
>(5)Furthermore, psychological studies have suggested that moral judgements are often made intuitively, and because many people view 'freeloading' on other people's contributions as morally blameworthy, it is plausible that moral intuitions support cooperation.
>更に、心理学のいくつかの研究では道徳的な判断が頻繁に直観的な判断を形成させ、その原因は多くの人がほかの人のコントリビューションが道徳的非難されるべきものとする居候生活のようなものであるとみなしてしまうためであることが示唆された。これは道徳的直観が協力性を支援している可能性の一つである。
「さらに心理学的な研究では、道徳的な判断が、しばしば直感的であることが示されており、他人の篤志に『たかる』のは道徳的に問題であると考える人が多いことから、直感(に基づく行動)が協力を生むということはもっともであるように見える。」
>この後頻繁にコントリビューションが出てくるのですがこの直観は協力的に働くという人の行動学的な意味合いでのcontributionsはどういうふうに訳すのがふさわしいのでしょうか?
その文脈次第ですね。もしキーワードだとしても、あらかじめ意味を特定しないほうがいいのではないかと思います。読了して、あらためて訳語を変えることもよくあります。
お礼
いつもご親切に丁寧な訳のご教授ありがとうございます。 またreflectの意味合いもダイレクトリンクの貼り付けなど細かな作業まで本当にありがとうございます。 最後の文章のまとめも丁寧な訳をお教え下さり本当に意味がようやく呑み込めました。 今後ともよろしくお願い申し上げます。