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源氏物語の翻訳について
- 藤壺と光源氏は似ていたのでしょうか?
- ハッシュ壺女御は光源氏の義母に(あたる存在に)なりますが、年の差があまりないですね?
- 「he would like to have been her great friend」の意味について
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今晩は。週末に紅葉を見てきました。もう少しの感じでしたので、今週末再挑戦です。 punctuation がとてもきれいになりましたね。 1)『He could not remember his mother, but the Dame of the Household had told him how very like to her the girl was, and this interested his childish fancy, and he would like to have been her great friend and lived with her always.』 >彼は彼の母親を思い出すことができなかった。しかし内典が彼女(藤壺)がどんなにとても彼女(母親)に似ているか彼に話し、そしてこれは彼の子供のような想像に興味を持たせ、そして彼は彼女の偉大な友だちになりたかったと思い、そしていつも彼女と一緒に暮らしたかったと思った。・・・・・? ●完璧だと思います。 >he would like to have been her great friend~・・・・would like toが「~をしたいと思う」で、have beenが完了形になっているので、ここは「彼女の偉大な友だちになりたかった」という訳になるのでしょうか? ● 完了不定詞が使われると、原則として、主節の動詞よりも時制が古いことを表します。he would like to be her great friend and live with her always. なら、今友だちになってずっといっしょに暮したいですが、he would like to have been her great friend and lived with her always. だと、前から友だちでいて、いっしょに暮していたらよかったのに、と思ったということです。要するに、こんなに母に似ている人なら、もっと早く入内していてくれればなあ、という感情です。この言葉によって、彼の深い孤独感と「母恋い」が窺えますね。 2)『One day the Emperor said to her, ”Do not be unkind to him. He is interested because he has heard that you are so like his mother. Do not think him impertinent, but behave nicely to him. You are indeed so like him in look and features that you might well be his mother.”』 >ある日帝は彼女に言った。「彼に不親切にしないで下さい。彼はあなたがとても彼の母親のようだということを聞いたので興味を持っているのです。彼を無作法だと思わないでください、そうではなく彼にうまく(申し分なく?)振舞ってください。あなたは実に姿と形において彼のようなので、あなたは彼の母になるのももっともかもしれない」・・・・・・? ●最後を除き完璧です。 might well ですが、辞書を引かれますと「~するのももっともだ」の訳語が出ているかと思いますが、それは後に一般動詞が来る場合で、be動詞が来ると、大体「おそらく~だろう」の意味になります。(may well についても同様です。)この2つの意味を覚えておけば 99%大丈夫なのですが、この場合は少し訳を調整して「~してもおかしくない」がぴったりだと思います。 http://eow.alc.co.jp/search?q=might+well の might well be called の項をご覧下さい。 したがって、訳は 「あなたは実に姿と形において彼のようなので、あなたは彼の母といってもおかしくないだろう」 という感じになります。 >藤壺と光源氏は似ていたのでしょうか? ●桐壷更衣∝光源氏、藤壷∝桐壷更衣という設定ですので、藤壷∝光源氏となる道理ですね。 >藤壺女御は光源氏の義母に(あたる存在に)なりますが、年の差があまりないですね? ●そうですね、姉と弟くらいの年の差に思えますね。先に行くと、それについてもう少しはっきりするのでしょうか?藤壷の年齢が分かりませんが、10代だとすれば、姉と弟くらいの年の差になりますね。ちょっと不案内ですみません。 **************** 《余談》1922年にいくまであと少しご辛抱下さい。1920年代の西洋にこだわって、『国語便覧』を凌駕したい(?)のです。 1920年代の西洋美術で特筆すべきものに、シュールレアリスム(超現実主義)があります。(日本だとダリ、キリコ、タンギー、マルグリット等の画家で有名です。)西洋が19世紀に獲得した芸術の本道であると思われていた写実主義に対する反措定として、さまざまに出て来た流派の中の1つです。第一次大戦中に登場したダダイスムを継承発展させたものという位置づけがなされているようです。 20世紀の初頭辺りから、人間の《無意識》に注目がいくようになりました。フロイトが最も有名ですが、「自分」といっても、自分の知らない「自分」が潜んでいるというふうに心を重層的な世界と見るようになったわけです。ジキルとハイドなどその典型的な例です。 シュールレアリスムはこの心の深層部に芸術の泉を見出そうとするわけです。「泉」といえば、マルセル・デュシャンの、便器を逆しまに置いた作品を思い出しますが、便器も美術展に出すと、深層が出てくるというのでしょうかね。(笑ってはいけませんね。) いずれにせよ、第一次大戦を境に、人間観や芸術観が大きく変革していることに気づかれるかと思います。文学もやはり同じ衝動を感じていたはずです。(つづく)
お礼
今晩は。そろそろ紅葉が見られる時期になりましたね。今日は月がとてもきれいでした。 いつも大変丁寧に回答を下さってありがとうございます。 might well be called の頁、拝見致しました。might well の後にくる単語で意味がいろいろ変わってくるのですね。 (藤壺は国語便覧によると16歳で入内されたようです。) ************************************* タンギーについては知りませんでしたが、ダリ、キリコ、マルグリットについては不思議な精神世界を描いていますね。 フロイトは深層心理を説いていますね。夢の分析とか・・・・心理学の分野はまだまだ研究が始まったばかりかもしれません。心の探求は終わることがないように思います。 ちょうど最近買った「西洋美術を知りたい」という小雑誌に「泉」が載っていました。美への挑戦のような気がします。 戦争は人の観念を大きく変えるのでしょうね。 ところで、ヴァージニア・ウルフの「MRS DALLOWAY」を読む機会を持ちました。 『ちょうど人魚が、よく晴れた夕方、鏡の中に、波上に傾く斜陽を見るであろうように』 という表現に見られるようにとてもきめ細やかな描写で、それが源氏物語に通じるように感じました。 そして一番印象深かったのは「死」への言及です。 『死の中にこそ抱擁があるのだ』 と書かれていましたが彼女の信念を感じました。