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外国人の日本語を直してあげたい?変な使い方の「が」 vs 「を」
- 会社の中国人同僚が最近、「~が、~してある。」という言い方を覚えたようですが、変な感じがします。例えば、「壁にカレンダーが貼ってあります」は正しいのでしょうか?普通は「車を停めてある」と言いますよね?彼は「が」を使うようになっているので、正しい使い方を教えてあげたいのです。
- 外国人の日本語を直してあげたい場合、変な使い方の「が」と「を」について気になることがあります。例えば、「壁にカレンダーが貼ってあります」と言うとき、「を」の方が自然だと思いませんか?また、「車を停めてある」という表現も一般的ですよね。誰か詳しい方に教えてもらえると助かります。
- 会社の中国人同僚が最近、「~が、~してある。」という言い方を使い始めましたが、自分には違和感があります。例えば、「壁にカレンダーが貼ってあります」という表現は正しいのでしょうか?普通は「車を停めてある」と言いますよね?彼に正しい使い方を教えたいのですが、自分ではうまく説明できません。詳しい方に助けていただきたいです。
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こんにちは。丁寧な折り返しありがとうございます。少しばかり誤解を与えてしまったようですので、その辺りをお詫びしながら、補足的なお話しをさせていただきますが、よろしいでしょうか。 前回お話ししましたのは、文章として「ものがあるという事象」をどの様に描写する(あるいは説明しているか)とのテーマに関しての問題でした。 このため、僕が抽出した要素は、その対象の状態を示す場合は(1)「助詞の“が”を使い」 、その文章に主語が省略されている場合は、誰かがその対象に働きかけることで、その様な状態になったとの意味で(2)「助詞の“を”を使う」ことで文意を明確にすることができる、とのことから >「壁にカレンダーが貼ってあります」は不自然ではない(壁にカレンダーが貼られているとの状態を示している) >「車が停めてある」も不自然ではない(車が停められているという状態を説明している・車を停めているという状態でも同じです) となりました。 英語的な発想で説明するならば、動詞にはbe動詞が作る文章とも言い換えることができます。be動詞の作る文章は「○○は××である」「○○がある」で文章として「○○が××であるという状態」を叙述しています。これは日本語の文法でも同様です。 >もし誰かに「ほら、あそこに車が停めてあるでしょう」と言われたら、「えっ、今何を言ったの???」という感じを受けるように思うのですが、私の日本語の方がおかしいのでしょうか? この文章も「ほら、あそこに車が停めてあるでしょう」は「ほら、あそこに車が停めて(いる状態で『存在している』)でしょう」との意味ならば、不自然ではありません。それは「誰かが、あそこに車を停めている状態」であり、その「車」を「停まっている」と説明している文章です。 >鍋にシチューがあるから温めて食べてください。この文章を書いた人の意図は「シチューを作っておきましたので温めて食べて下さい」と同じ意味です。シチューは食べ物であり「対象」ですから、「誰かが作らねば」存在することはできません。つまり「シチューがある」という文章には「シチューを作った」との前提が働いていることになります。 そのご友人の方は「日本語を勉強する」との意識が強く働きすぎて、この場合にはこの構文を使わねばならないとのツメコミ教育を頭から信用してしまったのでしょう。そうしたトレーニングを受けさせた「教える側」が「日本語の文法と構文および語彙の関係」を論理的に理解していないことが背景にあると感じます。「助詞の使い方」一つで日本語の文章が変わってしまう。だから慎重丁寧に説明する必要がある、との好意と見識の高さには多分に共感を憶えます。 でも、その前向きな姿勢が反って「これが正しい語法」として文章のあり方を一つの枠に縛り付けてしまうことにはいささかの危惧も感じます。文章は文意を相手に伝えることに意味があるのであって、文法や語法に意味があるのとは少し異なる気がします。
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- CC_T
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No.5です。No.6でも回答されていますが、「車が停めてある」という表現も使いますね。 「車が停めてある」 車が(停めて)ある という、車-あるという客観的状態を表した文章。 「車が停まっている」 車が-停まっている という、車がそこに「停まっている」という状態を表した文章。 確かに微妙ですけど、「停めてある」と「停まっている」というのは表す事が違うように感じますね。 「ほら、あそこに車が停めてあるでしょう? ・・・あれ、実は彼の車なの」 「ほら、あそこに車が停まっているでしょう? ・・・あれ、実は彼の車なの」 「ほら、あそこに停まっている車があるでしょう? ・・・あれ、実は彼の車なの」 「ほら、あそこに停まっている車がいるから、乗せて貰えるか頼んでみようよ」 「ほら、あそこに車が停めてあるから、すぐ乗せて行ってあげるよ」 「ほら、あそこに車を停めてあるから、すぐ乗せて行ってあげるよ」 最後の2つはがとをの違いだけですが、どれも自然な言い回しと思います。 更に口語では「向こうに車停めてあるから…」など「が」や「を」を省略することもままありますし、なおのこと他国の人に教えにくいですね~(^^; ちなみに、方言など幼少から馴染んだ言葉があれば言い替えてみるのも面白いと思います。 例えば大阪のあたりの言葉だと 「ほれ、あそこに車が停まっとる」 「ほれ、あそこに車を停めよる」 なんて、「が」と「を」の違いによる表現の変化がイメージしやすくなる・・・かも(^^;
お礼
CC T様、何度もお答え頂いて、感謝します。 そして、事情があってお礼が遅くなり、本当に申し訳ありません。 また何か質問させていただくかも知れませんが、宜しくお願いします 有難うございました。
- TANUHACHI
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こんばんは、少しばかり失礼します。 文章には日本語・外国語の違いを問わず、「主語と述語」の関係があり、これを「文章の骨格」「文章の骨組み」などと呼んでいます。 「壁にカレンダーが貼ってあります」との文章ならば「カレンダーがあります」、これが文章の骨格にあたり、それが何処にあるのかを「壁に」、どの様な状態でを「貼られている状態」として説明している形です。文法的な説明をするならば、「が」は格助詞であり「主体の動作や状態」を示す機能がありますから、問題はありません。同時に「が」にも別な機能があり、その一つが「現象文を作る」働きです。 「現象文」とは「対象として」話題を説明する文章のことで、何かを描写説明する文章です。質問に見られる僅か15文字の文章だけで判断することはケース的にとても困難ですが、「が」の持つ二つの性質を手掛かりとした場合、どちらかといえば後者の「説明描写の『が』」であるとの理解を持っています。 これを「壁にカレンダーを貼ってあります」としたらどうか。「壁にカレンダーが貼ってあります」の文章で筆者が最も言い表したい文意は「カレンダーがある」との「事実」であり、それを貼った人間が誰でもよくさしたる問題でもない、との意図があります。 これに対し「壁にカレンダーを貼ってあります」では話し手と聞き手の関係がある程度限定され、その部分を補って全体の文章を復原してみますと「(僕が)壁にカレンダーを貼っておきました」くらいになります。そうすれば文章の骨格は「僕は貼っておきました」となり「を」は文章の中でカレンダーが対象であることを明示することと理解できます。 こうしたことから「壁にカレンダーが貼ってあります」と「壁にカレンダーを貼ってあります」では全く文意も異なり、日本語の文章としては「壁にカレンダーを貼ってあります」はオカシナ文章といえます。 >(1)「車が停めてある」と(2)「車を停めてある」の違い (1)は車が駐められているという「状態」が説明されている文章で、格別にオカシナ点はありません。(2)は「車を停めてある」として、駐車している人物が「話し手である」との印象を受けます。何れも状況によって使うことが可能です。 ですから、そのご友人に日本語の文章を話したり書いたりする時の留意点として「助詞の使い分け」を文法的にも学ぶことが大切とアドバイスされることをお勧めします。同時に質問者様も「状況によって助詞を適宜使い分ける必要」をもう一度勉強し直されることをお勧めします。日本人だから、日本語ネイティブだから「日本語を理解している」とは限りません、灯台もと暗しです。
お礼
TANUHACHI 様、有難うございました。 何とか理解できました。要は、「誰が」という部分を強調するのか、単に今ある状態を言っているのかの違いなのですね。 ところで「車が停めてある」という表現ですが、いくら考えても普通に言うときは「車が停まっている」という風に言うように思うのですが・・・ カレンダーも、「カレンダーが壁にかかっている(ある、ではなく)でしょう」と普通は言っているように思うのですが。 もし誰かに「ほら、あそこに車が停めてあるでしょう」と言われたら、「えっ、今何を言ったの???」という感じを受けるように思うのですが、私の日本語の方がおかしいのでしょうか?
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
「私は」、「誰かが」など、「当人」を表す主語を省略している場合、「を」でないとおかしいです。 「(私は)壁にカレンダーを貼ってあります」 「(彼が)車を停めてある」 「(誰かが)タクシーを待たせてある」 一方、状態を客観的に表す文章の場合は「が」になります。 「壁にカレンダーが貼ってあります」 「車が停めてある」 「タクシーが待たせてある」(タクシーの場合、自由意志を持っていますから「タクシーが待っている」の方が自然) だから文意で使い分けですね。 「(誰かが)この壁にカレンダーを掛けてありますが、誰の仕業ですか?」 「この壁にカレンダーが掛けてありますが、誰の仕業ですか?」 どっちもアリでしょう。
お礼
有難うございました。 やっぱり、「を」の場合は、「誰かが~をした」というニュアンスがありそうですね。 すみません、車の場合なのですが、「車が停めてある」って実際に使うでしょうか? 普通は、「ほら、あそこに車が停まっているよね」という感じで言うようなイメージがあるのですが・・・ あーっ! 日本語って難しいです。
- WindFaller
- ベストアンサー率57% (465/803)
とても、興味深い質問だと思いました。 「壁にカレンダーが貼ってあります」 「車が停めてある」 というのは、不自然ではありません。しかし、これは、現在までの時間的な経緯が含まれていますから、いわゆる[現在完了形]です。 「誰かは知らないけれども、壁にカレンダーを掲げて、そのまま現在まで存在している」ということだと、私は、解釈できます。 「壁にカレンダーを貼ってあります」 「車を停めてある」 とはいうのは、不完全なセンテンスですが、暗黙的な主語(私)が行ったように解釈できます。 おそらく、ご質問者さんが不自然と感ずるのは、その行為の主体の問題ではないかと思います。「~が、~してある。」というのは、行為の主体をはぐらかすような印象を与えているのではないでしょうか。端的に言えば、「無責任」な印象を与えます。 これは、日本語の習いたての中国人に限らず、入社したての若い新人さんも同様の言い方をすることがあります。文法的な説明しても、これは解決しないのではないか、と思います。 大人の日本語ネイティブには、それを繰り返されると、それに注意を与えたくなるのは、ごく自然の感情だと思います。どういう使い方が正しいとか、間違いだと明確に分かるものなら、掲示板には聞いていないと思います。さて、どう言うかが、問題でしょうけれども。 言わなければ、ずっと続くものだと思いますから、その言い方が不快感を与えることと、それがどう受け取られるかぐらいは伝えるべきではないかと思います。概して、一般のアジア人全体が、そういう部分があるような気がします。
お礼
有難うございました。 詳しく解説して頂いて、感謝しています。 やっぱり、「を」の場合は「〇〇が~した」という意味合いが強そうですね。 で、「が」だと、「誰かはしらないけど、~になっている」という感じがします。 でも、両方を考えているうちに、自分でも「あれっ?」と迷うようになりました。 一度、自分で整理してからアドバイスしてあげることにしました。
- ゆのじ(@u-jk49)
- ベストアンサー率30% (1233/4073)
>壁にカレンダーが貼ってあります。 >車が停めてある。 これは、「カレンダーが」、「車が」が、主語・主体として働いています。 一方、「~を」を用いますと、「を」が付されますと、本来、これは目的語なのですから、何らかの目的があって、「カレンダー」とか「車」が、そこにあるということになります。月間スケジュールが書き込まれていて、全員がそれを見て、日々スケジュール確認する為にカレンダーが貼られている、または、お客様の送迎の為、今、車が止まっていることになります。 「~が」であれば、目的とは関係なく、単に視界の中心の主体として、「カレンダー」なり、「車」なりが眼前に存在しているということになります。
お礼
有難うございました。 なるほど、「を」の場合は、「誰かが」という意味が隠されているような感じがしますね。 で、「が」の場合は、単に今の状態を言っているという事になるのでしょうね。 とても参考になりました。
- tsubuyuki
- ベストアンサー率45% (699/1545)
その中国の方は、英語は出来る方でしょうか。 英語に直すと、なんとなく理解が早そうな気がします。 例えば、カレンダーと壁の関係。 A calendar is hanging on the wall. →カレンダーが壁に掛かっている。 (I am) hanging a calendar on the wall. →(私は)カレンダーを壁にかけている。 たぶんですが、どちらも自然です。 例えば、車。 (I) stop a car on the road. →(私は)車を道に停めている。 A car stops at the road. →車が道に停まっている。 どちらも自然に通じるような気がしますが、意味合いが少々違います。 人を主語、車を目的語とみるか、車が主語とみるかの違いでしょう。 きっと、どちらも間違いとは言い切れません。 例えば、タクシー。 (I) keep a taxi waiting. →(私は)タクシーを待たせてある。 A taxi keeps (someone) waiting. →タクシーが(誰かを)待たせてある。 これの後者は違和感がありますね。 まるで、タクシーの運転手が道を間違えて、客を待たせている・・という状況でしょうか。 現実に有り得ないとは言い切りませんが、やはりちょっと違うような気がします。 「タクシーが~」としたいのであれば、 タクシーが(誰かを)待っている。 →A taxi is waiting (for someone). とすると、きっと自然に聞こえるはずです。 主語に成り得るか?述語をどうとるか?目的語は? この辺りから教えてみると、うまく伝わるかもしれませんね。
お礼
有難うございました。 彼は英語はかなり上手いです。私よりはるかに。 おっしゃるように、英語で説明すると分かりやすいかも知れませんね。 でも、日本語って難しい!です。
「壁にカレンダーが貼ってあります」 はOKです。 「壁にカレンダーを貼ってあります」では違和感があります。というか、なにか足らない気がします。 「車が停めてある」もOKです。 「車を停めてある」では違和感があります。なにか足らない・・・ 「タクシーが待たせてる」 はこれは違和感があります。 「タクシーを待たせてある」がすんなりします。
お礼
有難うございます。 車が停めてある 〇 タクシーが待たせてある × すみません、なぜ違ってくるのかまだ分かりません。
お礼
TANUHACHI 様、何度もお教え願って、本当に有難うございました。 そして、事情があってお礼が遅くなり、お詫びいたします。 今回感じたのは、日本人でも日本語をキチンと理解していないなあということでした。 さらに勉強を重ねます。 有難うございました。