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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:受動性があるかないかどうかを教えて下さい。)

自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりしたということは受動性なのか?

このQ&Aのポイント
  • 「~られる」「~れる」以外でも自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした。能動性が感じられないので受動性かどうかは回答者にはわからない。
  • 質問者は質問文章で具体的な行動を示しておらず、能動性が見受けられない。回答者には受動性かどうかを判断する根拠がない。
  • 質問者が感じている行動の背後にある主体が明示されていないため、受動性の解釈かどうかを判断することは難しい。回答者は具体的な情報がないため、回答を控えている。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#168383
noname#168383
回答No.3

 辞書的には 受動性=他からの働きかけを受け入れる性質。 なので受動的に見えるかもしれませんが受動のみではないということになると思います。その根拠を申しますと 「意思に反している」+「無意識では体を動かそうとしたり止まろうとすしたいり命令している」 ということですから 確かに受動性という表現は的確な表現ではないかもしれません。ただ客観的には 「受動的性質で働いたという見方もできなくもなさそうだ」 ということを言わんとしているのではないかと思います。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 補足にて返答・質問を書こうと思います。

noname#181272
質問者

補足

“自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした” このことは無意識に起きていたこともあったと思うのです。 高校時代に、学校から歩いて10分かかる駅まで歩いて1時間くらいかかったのも自分の意思に反して動作が止まってしまったからです。 たぶん無意識に起きていたと思うのです。 毎日行く男子校を休学してから通信制の高校に変わってから、動作が止まるのも多かったです。 きっかけは幻聴と耳鳴りなどでやはり無意識に起きていたのもあったと思うのです。 でも決して操られた感じがしたから、体の動きを止められた感じがしたから動作が止まったからではないと思うのです。 >辞書的には 受動性=他からの働きかけを受け入れる性質。 なので受動的に見えるかもしれませんが受動のみではないということになると思います。 : 受動的に見えるのは何が受動的に見えるか、受動のみではないということはどういう解釈かを知りたいです。 再度回答下さい。 なるべくわかりやすい回答が欲しいです。

その他の回答 (12)

回答No.2

哲学として考えるのであれば、自分で言葉の定義や意味を固定する・絞り込むことが大事でしょう。 日常用語である能動・受動を、次のような思考で捉えるのは無理です。 “「~られる」「~れる」以外でも自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした”に関して、‘やはり能動かどうかが知りたいです’ 走行している電車の中で立っていて、電車が加速減速したときに、倒れないようにバランスをとるのが普通です。この動作は通常なら無意識になされます。意識していない場合は受動で、意識してバランスをとる場合は能動と識別するようなことはしません。野球でキャッチャーや野手が捕球する場合、ほとんど無意識の自動反応です。特に捕球しようなどとの思考はしません。学生が試験で問題を解き始めるのを能動と識別もしません。[あっち向いてホイ]のような遊びで自分の意思や思考では反対方向に向こうとしているのに、相手に引っかかってしまったときの自分の状態を「受動」ということも日常的にはしません。   「“自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした”は、能動でも受動でもないと家族は言ってました」 日常用語では、ご家族のいわれるとおりです。   日常用語で「能動」も「受動」も【取り組み姿勢】のことです。 意思に反して、あるいは無意識に、体が動いた、言葉が口をついて出た、つい眠ってしまった、笑ってしまった、泣いてしまったなどは、能動にも受動にも関係がないです。 比較的大きな流れとみえるような取り組み姿勢がポイントです。「片付けなさい」「さあトレーニングだ」といわれて開始し、常に一緒にその方と共にやっていても、気が乗らずにただやっていると受動的とみなされ、気を入れて取り組んでいれば能動的とみなされます。命令され、トレーナーの指導の下でやっていても、本人が気を入れ主体的に取り組んでいれば能動的とみなします。そういう状態のときは「やらされている」とはいわないことが多いです。学生の勉強、社会人の仕事、家庭内での色々な仕事でも、きっかけ、枠組み、契約、ルール、命令、マニュアルなどの有無とは、能動的/受動的を見分ける重要な事柄ではないです。刑務所での命令監視監督される労役作業でも、能動的にやることは可能です。   モチベーションは(日本語の場合)「自分の目標に向かって、自分の行動を始発させ、自分がやり続け、なんとか目標に近い状態に“しよう”としている気持ち・気分」のことです。目標ややり方、掛ける時間などについて、他人から示されているものが最初にあったか、頻繁に他人からチェック、指導されているとしても、本人がこれを自分の目標と考え、時間や方法などについても自分のノーム(規準)にしているのであれば、モチベーションを持っていると言います。強く意識しているのであればモチベーションは高いとみなされます。「示されている私の目標は………で、その方法とスケジュールは………となっています」と説明できても、本人がその気になっていなければモチベーションが低いとかモチベーションがないとかいわれます。ポイントは、本人が自意識の中に組み込んでいるか、自意識の中にはないかです。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 潜在的衝動や無意識の判断、他律的要因、本能的衝動とは例えば何か、いくつか知りたいです。   これらは日常用語ではないです。哲学の概念といえないものもあり、ほとんど心理学関連で「使われることもある」という程度の用語です。用語を単独で抜き出しては意味が不明になることが多いです。どういうことを説明するために使っているのかで、用語の意味が違ってきます。 心理学の理論を調べているのではなければ、こうした用語を気にする必要もないです。辞書で意味や例を抜き出しても、それを理解して使う場面もありません。   例えば、潜在的衝動には次のような例があります。どの例も潜在的衝動です。 1)いつも欲しい欲しいと思っていた服を店で見かけた。パッと買ってしまった。 2)体調が悪くいらいらしていた。まじめにやれといわれた瞬間に、キレてしまった。 3)女の蠱惑的なポーズを見たら、ムラムラしてしまった。 4)道幅一杯で立ち話をしてい四人をみて、こいつら、ぶっ飛ばしてやりたいと感じた。 5)突然、何もかも放り出して、外に出たくなった。 6)赤ん坊が、突然泣き出したり、遊んでいたおもちゃをポイと放り出したりというのも、潜在的衝動の結果ともいえます。   例えば、他律的要因にも色々あります。 1)道徳や習慣、親の言いつけ、法律やルールなどに縛られたり、気にしてしまう面 2)嬉しいとか、頭に来たとか、嫌いだなどの感情や感覚に影響されてしまう面 3)景気が悪い、円高で、取引先が倒産して、省エネの風潮が強くてなど環境などに影響される面 4)これは自分で決めた計画だから、これはあの人との約束だからなどに影響される面 5)これは私に決められた役割だから、みんながそう期待しているからなどに影響される面   具体的に何かを考えたりしているのでなければ、よくわからない単語だけを調べても得ることはほとんどないです。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 精神科の主治医の先生から「~られる、~れる以外でも、自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりしたと感じる体験を作為体験といいます」と説明されたのでしょう。   自分の考えや行動が他人や天の声などに操られていると感ずる体験には、「いわれた」「命じられた」「やらされた」「操られている」と感じるような経験が多いです。しかし、その他にも「自分がやっているようには思えない」「自分がやっているというより、自分が機械にでもなったような感じになる」などの自分自身が自分と別のような感覚になる体験も作為体験の中に含ませているのでしょう。   「考えようともしなかった邪悪なこと思った」「行こうと思っていないのに、突然こっちの道へ歩きだしてしまった」「欲しいとも思っていないのに盗んでしまった」などのようなことを、潜在的衝動が現れたと考えることも可能です。しかし、本人としては思っていないことをやらされたようにも考えることが出来るので、作為体験ともいえるかもしれません。   主治医の先生は、色々の状況を総合して症状を判断します。その言葉の中に出てきた用語だけを取り出して、心理学や哲学、日常用語として意味を調べてもあまり役に立たないと思います。 学問研究をするのであれば、専門書を基礎からしっかり調べていくのが良いでしょう。 そうではなくて、自分のことについて気になっているのであれば、主治医や解説書の中に出て来る言葉の意味がわからない場合には、「分かり易くいってください」と主治医に聞いた報が良いです。単語や用語の意味ではなくて、どうすれば良いのか、何を気にしないようにしたら良いのか、そうしたことを、分かり易く教えてもらってください。

noname#181272
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 moto_koukouseiさんがおっしゃるように、「自分がやっているようには思えない」=“自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりしたと感じる体験”も作為体験と言うことは妥当だと思いました。 主治医の先生とmoto_koukouseiさんから同意見の回答を得て胸のつかえがおりました。 まさに主治医の先生は色々の状況を総合して症状を判断するということ、これは頭痛には頭のてっぺん・こめかみなどが痛くなることを総合して頭痛と呼ぶということと同じようなことを言っているということに思いました。 潜在的衝動、他律的要因についても教えていただき、ありがとうございました。 しかしこのことに関しては新たに質問を立て、#1氏の回答を求めようと思いました。

回答No.1

能動・受動の最終的な区別は、結果を予測して その行動をとったか否か、です。 あらゆる行動には、潜在的衝動や無意識の判断、 他律的要因が大なり小なり介在しており、その プロセスだけで能動・受動を完全に分別する事は できません。 ただ、モチベーションに本能的衝動があろうと、 結果を予測した上で、その衝動の発露を許容した ならば、それは能動的行動だと言えるでしょう。 (全ての行動の究極的動機は本能であり、本能は 進化の産物であって、意識の外からの強制=受動 であるとも言えるし、それこそが自律性の源泉= 能動の本質だとも言える)

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 後ほど補足にて返答・質問があればするつもりです。

noname#181272
質問者

補足

補足します。 まず、プロセスの意味ですけど、「(1)~(4)のうちのどれが該当するか」が知りたいです。   (1)過程(2)工程(3)手順(4)手続き 次にモチベーションの意味は以下の解釈で合っているかどうかも知りたいです。   “ある行動をしようという意欲を起こさせるための条件。動機付け。また、行動の動機となる刺激。 モチベーションの意味で、上記の意味の場合、ここでの回答の解釈としては、前者の「ある行動をしようという意欲を起こさせるための条件。」か、後者の「行動の動機となる刺激。」のどちらになるかも知りたいです。 >能動・受動の最終的な区別は、結果を予測してその行動をとったか否か、です。 : これに関しては、例えば「ごはんを食べろ」という命令に対して、ごはんを食べる意志がないまま、その命令のままにごはんを食べてしまった場合、受動。 「ごはんを食べろ」という命令をきっかけにして、自分でごはん食べる意志を持ってごはんを食べた場合、能動。 こういう解釈で合っているかどうかも知りたいです。 >あらゆる行動には、潜在的衝動や無意識の判断、他律的要因が大なり小なり介在しており、そのプロセスだけで能動・受動を完全に分別する事はできません。 ただ、モチベーションに本能的衝動があろうと、結果を予測した上で、その衝動の発露を許容したならば、それは能動的行動だと言えるでしょう。 : 潜在的衝動や無意識の判断、他律的要因、本能的衝動とは例えば何か、いくつか知りたいです。 またここでの意味も知りたいです。 家族にここでの遣り取り内容をプリントアウトした紙を見てもらいました。 “自分の意思に反して体が動いてしまったり、動作が止まったりした。”の解釈は、どちらかと言えば能動で実際何もされてないとのことでした。 しかし能動でも受動でもないと家族は言ってました。 このことについて異論はあるかどうかも回答下さい。 #1に対してお礼・補足しました。 それに対するご回答を再度下さい。

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