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松代大本営
について調べています。前にも同じ質問をしたのですけど私の知りたい答えでなかったもので・・・。 本土決戦計画における松代大本営の建設は、どのような意味を持ったのでしょうか。 教えてください。
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開戦直前のわが国は、ABCD包囲網によって石油などの資源の供給を絶たれたため、米英の要求を容れて明治維新当時の態勢に逆戻りするか、武力によって自存自栄の道を切り開くかの二者択一を迫られていました。当時の指導層は後者を選択したわけですが、この場合の戦争目的は (1)東南アジア方面の資源地帯の獲得 (2)アジア周辺の米英軍撃破による有利な講和条件獲得 でした。初めから、米英を全面的に屈服させることは考えていなかったのです(不可能だった)。 開戦当初は破竹の快進撃を続けた帝国陸海軍でしたが、ご承知のとおり、ミッドウェー海戦あたりから優劣が逆転し、あとは一方的に負けつづけて降伏に至りました。 この敗戦の過程において当時の指導層は、少しでもマシな条件で戦争を終わらせようとして様々な努力をしましたが、なにしろ戦争ですから、当面の敵(アメリカ太平洋艦隊など)にある程度大きな損害を与えなければ有利な交渉はできません。敵にある程度大きな損害を与えるためには、少なくとも局地的には敵より優勢な戦力を集中し、敵の主力を叩く必要があります。これを決戦といいます。 わが国は当初、連合艦隊の力を結集して米太平洋艦隊を叩くつもりでしたが、レイテ沖海戦で決戦に敗れ、連合艦隊は壊滅しました。 海軍がダメなら陸軍で米軍に打撃を与える必要がありますが、陸軍の主力は中国大陸に張り付いているので、この戦力の転用と太平洋正面での決戦準備には数ヶ月単位の時間が必要です。しかし、この準備の間にも米軍は長距離爆撃機による本土空襲など、攻撃の手を緩めません。 松代大本営は、陸軍によって米軍に大打撃を与え有利な交渉条件が整うまでの間、わが国の政治中枢が空襲から生き残るための地下要塞として準備された施設です。小生は内部を一部見たことがあります。国家の政治中枢を丸ごと収容する施設としては意外に小規模で簡素ですが、山をくり貫いたトンネル式の施設は一見して頑丈、当時の指導層の「本気」を感じさせるものでした。
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- SCNK
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本土決戦時において、連合軍のコロネット作戦が計画されていましたが、これについては我が国も概ね予想していたとおり内容であったとされています。 関東地方は茨城県沿岸と相模湾方面の2方向から東京を大きく包囲するように前進するというものでした。結局、早晩、関東平野は連合軍に包囲、占領されてしまうだろうと考えていたようです。 松本は盆地を形成し、周囲は山地、山脈、台地に囲まれ、東京方面から侵攻することを考えれば、中央線沿いに八王子を抜け甲府から上るか、秩父を抜け、佐久間方面から八ヶ岳の脇を抜けるか、あるいは上信越方面から入ることになります。 いずれのルートにせよ、山間隘路を抜ける道ですから、部隊は長く伸び、各所で各個撃破され易いわけです。日本側は地理に通じていますから、いくらでも連合軍を叩けるわけですね。 したがって東京が占領されても、松本に後退、または遅滞行動を行えば連合軍に抵抗できることになるわけですから、軍を長野に下げるつもりだったのでしょう。 その際、関東平野の飛行場は連合国が自由に使用できますので、ここを拠点に松本を空襲することは容易に予測できます。 そこで空襲から大本営を守るために坑道陣地を築いたのでしょう。
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- o24hi
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こんにちは。 第二次世界大戦末期,敗色濃厚だった日本は,当時実権を握っていた軍部が,本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え,「国体(天皇制)護持」などの,より良い和平条件を得ようと考えていました。 この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして,松代大本営が計画されたそうです。 http://www.matsushiro.org/daihonei/index.htm
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とても勉強になりました。 ありがとうございました。
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