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シャカの空とダライ・ラマの転生との矛盾
シャカは魂とその生まれ変わり(輪廻・転生)は、無い(無常のとおり)か、無記と見なした? かもしれないですが チベット仏教(ダライラマら)や仏教各宗派では魂があり輪廻転生すると見なしているらしいなら 教祖と後の信者たちとの間で思想内容が別個、間逆になっていると思いますがべつにかまわないのですか なにも教祖が何か言ったからってそれに従うこともなく、独自に世界観をつくればいいのですか シャカは詩人や俳人みたいに積極的に独りになり感じ考えより孤独になり、より新しいよりふさわしい世界観を見いだす方法を見いだしたかもしれないですが 信者とかよく群れる人たちは既存の世界観を共有し継承し、すると思考の自由度や新しさや世界観の独創性が少なくなってくると思いますが、そういうのはべつにかまわないのですか
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- mmky
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>チベット仏教(ダライラマら)や仏教各宗派では魂があり輪廻転生すると見なしているらしいなら 教祖と後の信者たちとの間で思想内容が別個、間逆になっていると思いますがべつにかまわないのですか. ○当時のインドでも現在のインド仏教でも転生輪廻は普通に信じられていますね。だから釈尊が転生輪廻を否定していたら広まらなかったでしょうね。インド仏教やチベット仏教の方が釈迦仏教に近いのですからそちらが本当なのですよ。インドから中国を経て伝わった日本仏教が転生輪廻を否定するのなら、日本仏教の方が誤りですね。難しいこといっても間違っていたらなんにもなりませんね。空や無は転生輪廻を含んでいると考えるのが正しい見解ですね。中国語の言葉、単なる訳語にとらわれると、真理から外れるだけですね。。
原始仏教は近代になって ヨーロッパから輸入した新しい宗教というか 学問だと考えたほうがいいと思います。 日本の仏教学者がヨーロッパに留学して サンスクリットやらパーリ語やら学んだのです。 大乗仏教とは違います。 今の時代は、原始仏教とそれぞれの宗派の 整合性をなんとかとろうといろいろ努力しているのでしょう。 それに私は最近、モデルになった釈迦族の聖者はいたかもしれないが ゴータマ・シッダッタは実在しなかったのではないか? とすら考えています。
お礼
いま原始仏教(シャカの考え)だと思っていることは、さいきん作られた情報によるものだから、大昔に実際のシャカが考えていたこととは別なのかも知れず、シャカの考えが分からないとなると、それとチベット仏教が矛盾するかどうかも不明だということですね。 シャカも、老子とかイエスとかのように実在しなかったかも知れない人物だ と、すら、独自に思うのですか。どうしてそんなふうに思いさえするのですか。
補足
回答ありがとうございました。 お礼欄で変な言い回ししてすみませんでした。 探求がんばってください
お礼
シャカには反骨精神というか独行者の気概を見ていました。輪廻転生が流行っているところにシャカが一人でそれを覆すような意見を持ち込んだから、はじめバッシングを恐れてか控えめだったものの、新しい考えなので目立ち、少しずつ広まっていったのかと思いました 輪廻転生や魂も空に含まれるんですか。死んでも残る魂というのは、しぶといので無常や空とは相容れなさそうですが、だんだん輪廻するうち消滅するなら空にぎりぎり含まれるということですか。 死後のことは、地獄天国のあるかないかのように分からないことなら、シャカは無記といいそうですが、そういわなかったのですか。この世の生物や人々になにかサイクルがひそんでいるように見て、それを輪廻転生だといったのですか
補足
回答ありがとうございました。 シャカが輪廻転生を否定しなかったというのは意外でした。