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思考が時間に追いつくとき

SUCPは1秒間に何兆回も計算ができるそうです。 この場合、SUCPにおける内面時間は、ほぼ静止しているようにも思います。 スイッチを入れた瞬間に、思考が時間に追いついてしまう 有り得ますかね?

みんなの回答

  • miko-desi
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回答No.8

アインシュタインは「熱いストーブの上に一分間手を乗せると時間が長く感じるけれど 若くて美しい女性と五分間話をするのでは時間が短く感じるでしょう。 それが相対性理論です」と。 ある人が一秒間に何兆回といわずとも、何十回か計算出来たとして それが全く同じ経験を繰り返すばかりなら、ほとほとうんざりするのではないか?思います。 一秒間がどれほど自由とかけ離れた長い時間に感じるものでしょうか。 ある夢の実現のために一生かけても、それが実りつつある予感があれば 長期的な飢餓にいましめられようとも自己存在に一片の疑いを持たない。 原始時代の平均寿命は30代、江戸時代以前ぐらいで50代。 家事や子育て、体調管理や人間関係でも多くのリスクを覚悟の上で暮らし それなのに倍の寿命を得た文明人より少欲知足だったせいかのんびり暮らし 僅かな情報を何倍も増幅して(想像力豊か)に内面を獲得していった。 思考は時間に対しても自由ですからね。 退屈な時間の節約を発明発見したら 楽しい時間はその分増すものと思っていたら、逆で やりたいこと増えて、生きる(思考する)時間を止められ、 自由は奪われ不安と不満が募りゆくばかり 結局退屈(過去の時間)までも増すこととなったというオチです。

noname#189751
質問者

お礼

>若くて美しい女性と五分間話・・・ その間の時間はかなり長い しかし、終わってみれば短く感じるのでしょう。 五分という時間の中で 聞くことと 話すことがあります。 そこで費やされる情報処理量が通常より多くなれば、内面時間は遅くなります。 しかし、始めから五分という時間を設けていたのであれば 情報処理量を抑えようとする働きが生じて 内面時間の遅くなる程度が少なくなるように思います。 結果的に実時間とのズレが少なくて済むわけです。 また、自ら会話を打ち切った場合とそうでない場合とでは、違ってくると思います。 >一秒間がどれほど自由とかけ離れた長い時間に感じるものでしょうか。 SUCPには疲れもなければ、心のドラマもないのです。 心というソフトが入っていないのです。 悪く言えば、ただの機械に過ぎないものです。 SUCPを操作するオペレーターにのみ心があるのですが スイッチを入れた瞬間に、何兆回もの計算を行うという意識に伴って オペレーターの内面時間はほぼ静止しているのではないかと思います。 内面時間の静止が意識の喪失を招く、意味するのだとしたら皮肉な感じもします。 人間の能力の過度な拡張が、自己喪失を招く、といった解釈もできるからです。 まあ、計算と思考を取り違えなければ、そうした心配もないとは思いますが・・・ >ある夢の実現のために一生かけても、それが実りつつある予感があれば 長期的な飢餓にいましめられようとも自己存在に一片の疑いを持たない。 人間これでいいのでは 思考は時間に追いつけない いくら走っても、時間の方が早い 人生の時間は誰でも足りないもの と 思うのは 私の実時間が短く早くなってきたせいでしょう。

回答No.7

もし1サイクルの距離が酷く短くなりましたら、 短時間で其のサイクルを循環し得ますので、 たとえ異常に大きな値の周波数が提示されていましょうとも、 全く加速されてはいません。

noname#189751
質問者

お礼

>全く加速されてはいません。 極小の時間においても変わらない値は存在する のでしょう。 ですが、内面時間とは常に不確定のように思います。 それは、変わらない値との比較によってしか自覚できないように思います。 そうした不確定な感性的時間の仕組みを知りたいように思います。 また仮定ですが、外部時間の変容性についても それが全く一律である、という保証もないように思います。 ありがとうございました。

回答No.6

No.1, 5です No.5の稚拙ブログには続きがありました。(随分前に書いたので、忘れていました) 知には限界が無いゆえ限界がある。。。 http://jinen.exblog.jp/593874 >>> ゼノンが「アキレスと亀」、「飛んでいる矢」にて示そうとしたであろうパラドックス。。。 それは、知には限界が無いゆえ限界があるであろう。。。 知は対象物を離れて「自由」に想像の世界を彷徨うことが出来る(と思っている)。 「無限」という対象(対象であって対象物ではない)についても考えることが出来る(と思っている)。 ゼノンのパラドックスは、まさにそこをつこうとしているのであろう。 知は、対象物の表相を超えて先を見ようとする傾向を有している。その先が「無い」にもかかわらず、「超えて越えて」しまいうるが故、矛盾が生じることがある。(2004/10/29 02:40修正) すなわち、対象物を越えて、その先を「想像」し過ぎるが故、矛盾が生じる。 で、逆に言えば、その立ち現れる「矛盾」に着目し、矛盾を矛盾のまま放置することなく、「なぜ?」ということを追求することで、さまざまな学問が成立しているともいえる。 たとえば、時空間の無限分割が可能。。。この方向性の先には、「数学」があるが、すでに「物理学的対象物」を素通りしてしまうが故に矛盾が生じ、逆に、その矛盾を見据えることで「量子力学」が生まれたといえる。 そして、「知」のみであらゆるものを作り出すことが可能。。。たとえば「数学や(量子力学を含む)物理学であらゆる物事の記述が可能」という方向性は、「私の心」を素通りしていく。。。 知は、ありとあらゆる対象を捉えて記述できるという「想像」、すなわち「知には限界が無い」という想像が出来る、という段階で「限界がある」ということを、ゼノンのパラドックスは示しているのだろうと思う。 <<< SUCPからみた外部は、ブラックホールの「事象の地平面」での時間経過(静止)に近づくのと同じでしょうね。 ブラックホールでの特異点は、無限分割可能な時空連続体という概念(たとえば一般相対性理論)で扱うのか、量子力学的な概念(たとえば量子重力理論)を含んで扱うのかで解釈が違ってくるようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB 既にNO.3,4の方が記述しておられますが、1秒という時間を無限に分割しようとすると、量子力学的な世界(プランク時間相当)にぶつかります。ループ量子重力理論といった概念も提唱されており、時空間は無限分割不可能で、最小単位があるという考えがあるようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E9%87%8F%E5%AD%90%E9%87%8D%E5%8A%9B%E7%90%86%E8%AB%96 なお、SUCPを擬人化したときに発生する仮想的な「こころ」についての問題も派生しうるでしょうが、これについては割愛させていただきます。

noname#189751
質問者

お礼

>SUCPからみた外部は、ブラックホールの「事象の地平面」での時間経過(静止)に近づくのと同じでしょうね。 面白いですね。 たとえばですが ボルトが100mを走っている時には 外界の時間は止まっているように見えるかもしれません。 走っているボルト自身には、早い遅いの時間感覚はあっても 外界の時間は消滅してしまっているのかもしれません。 つまり 感覚外の時間性の把握は出来ない という事になるのでしょうか。 もっと考えてみたい気がします。 >知には限界が無いゆえ限界がある 知に対する概念の自己矛盾でしょうか 迷路に入ってしまうようです。 ありがとうございました。

回答No.5

No.1です >>>No.1 補足欄 人はそれぞれに 1計算、1思考における時間の感覚を持っていると考えられます。 一種の自己標準時間です。 それより少しでも短時間であれば、早いという感覚が生じ、同時に時間の経過は遅く感じられます。 また、その逆に、少しでも長時間であれば、遅いといういう感覚が生じ、同時に時間の経過は早く感じられます。 SUCPには、いまだ自己標準時間の設定がなされていないようです。 人間臭いSUCPにそれを与えた時にどうなるか を知りたいのです。 <<< ゾウの時間ネズミの時間 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%82%A6%E3%81%AE%E6%99%82%E9%96%93%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%81%AE%E6%99%82%E9%96%93 ですね。 SUCPから見れば、計算時間が早くなればなるほど、外部での時間進行が遅く感じられることでしょう。 そうして、1秒間あたりの計算回数が無限大に近づいたとき、1/∞(無限大)、無限大分の1。。。 外部からみれば 「スイッチを入れた瞬間に、思考が時間に追いついてしまう」 ように見えるかも知れませんが、SUCP内部から見れば、外部が「止まって」いる様に見えるでしょう。 でも、やはり「無限大に近づいた」という可能無限の世界の話になります。 実無限の世界での話にはなり得ない。 このあたりは、現実を凌駕する仮想的・幻想的な知的想像の話になるでしょう。 現実にはNo.3, No.4の方々が答えておられるように、無限大になる前に「限界」が発生すると言うことです。 上述の無限大と知的幻想の限界については、No.1の最後の稚拙ブログに記述しています。 >>>「知の境界」と「アキレスと亀」 http://jinen.exblog.jp/569997/ ゼノンの「アキレスと亀」は、有名な話です。 この問題がパラドキシカルに扱われる理由は、 (1).時間・距離を無限分割可能としたこと (2).境界を設定したこと の2点にあります。 通常、この問題を論破するために、「時間・距離の無限分割」といった数学的な概念(数列・無限級数)が用いられたりします。 すなわち、ゼノンは「境界」を「アキレスが亀に追いつく地点」としたため、数学の領域で格好の餌食にされてしまうわけです。 しかしながら、この問題の根本的な問いかけは、(1)の「時間・空間は無限分割可能か」ということにあり、その問題を考える人間の「思考(知的側面)の限界」(2)を、ほんとうの「境界」に設定したかったはずです。 すなわち、(1)は、 (1').「時間・空間が無限分割可能」であるならば、距離や速度や時間が、すべて「仮想的な大きさ・方向を持たない点」に収縮してしまうのでは? という問いかけに等しいわけです。 (中略) (2)との関係は、まさに、そういう「無限分割に対する仮想的な点」を取り巻く「無限の思考」を含めた「知」という概念に対し、 (2').「知には限界があるのではないのか?」 という問いかけに等しいわけです。 <<<

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 この質問のきっかけになった事をお話しておきます。 今までにずっと感じてきた実際の事です。 書類の作成を集中的に行って、終わってみると さほど時間が経っていないことに驚いた事が度々ありました。 自分では大分時間が経っていたと思っていたのに、実際の時間は少ししか経っていなかったのです。 神経を集中して、計算や文章を作成している時の時間感覚と、実際の時間とにはズレが生じてしまうようです。 なぜか? それは、様々な行為における時間感覚と実際の時間には明らかな違いがある、というものでした。 その事を拡大して考えてみたかったのです。 また、別な身近な事例もあげておきましょう。 コンビニでお金を支払うとき、レジの表示金額を見て 出したお金のお釣りはいくらになるのか、という計算ですが 今の私には数秒かかってしまいます。 若い頃でしたら、たぶん1秒以内には出来たかもしれません。 また、若くて計算の早い人でしたら、見た瞬間にできてしまうでしょう。 計算や思考という 行為における時間感覚が早い、という若い頃には、実際の時間が経つのが遅かったように思います。 逆に、時間感覚が遅くなってしまった年寄には、実際の時間が経つのが早くなってしまったようです。 勿論、個人差はあると思います。 内面時間の相対性とでもいうのでしょうか 感性と時間との関係のようにも思います。 SUCPに人間の時間感覚を持ち込むことは、仮想的だとは思いますが SUCPに人間らしさを加味する実験のような気もします。 いずれ将来には、現在のSUCPがノートクラスのCPになってしまうかもしれません。 そうなった時には、CPが大きく変貌をとげるような気もします。 SUCPのオペレーションルームや、SUCPのトランクルームの両方に行って 時間とは何なのかを考えてみたいような気もします。 人と時間との関係について、私にはまだ答えが出ていません。 またお願いします。

回答No.4

1周の距離が酷く短いサイクルの時計で電子の移動距離を計っていますので、 極端に大きな値が出ていますが、それは自然な値です。 http://allabout.co.jp/gm/gc/52414/ 従いまして、もし更に其のクロックの円周が短くなりましたら、 其の場合には、当該周波数が増えますが、 CPUのダウンサイジングの限界には漸近していますので、 其の周波数の飛躍的な増加は期待され難いでしょう。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.3

どんなに演算速度が速くても、その「演算」の相互作用は、 電磁相互作用であり、光速を超える事はありません。 その電磁相互作用の担い手=電磁場は、量子に依存しており、 他の皆さんも触れておられるように、量子こそがエネルギーの 最小単位&長さ(空間)の最小単位&時間の最小単位である 以上、いかなる相互作用も時間に追いつく事はできません。 (究極の理論と呼ばれる「超弦理論」において、全ての素粒子 は量子の定常波の励起状態として得られる=全ての存在は 量子から成る、とされており、そこから逸脱した現象は起き得ません)

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.2

速い演算サイクルの回数は、電子の移動速度を示していますので、 其の値は光速度不変則そのものを象徴しているのでしょう。 つまり、狭い範囲の中での循環なので、数値が異常に大きくなっていますが、 基本的な物理現象の通りに、其の機器さえもが機能しているのです。

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.1

1秒間に何兆回も計算できたとしても、一回の計算時間は「ある」わけで、何兆倍すれば、1秒という単位で見えてくるわけです。 設問の本質は、ゼノンのパラドックス「飛んでいる矢は止まっている」と類似の疑問になるでしょう。。。 でも、原理的には「アキレスと亀」と同等だと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 「何回も」という極限状態、すなわち、無限分割という概念における「無限」が「可能無限」なのか「実無限」なのかが問題になるでしょうね。。。 数学屋のメガネ http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50464188.html >>> 実無限というのは、無限の対象の全体性を把握して、無限が実際に存在しているとする立場だ。可能無限というのは、無限を把握出来るのは、限りがないということを確認する操作が存在していることだけで、無限全体というのは認識出来ないとする立場だ。 <<< 稚拙ブログ 「知の境界」と「アキレスと亀」 http://jinen.exblog.jp/569997/

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >1秒間に何兆回も計算できたとしても、一回の計算時間は「ある」わけで・・・ 当然ですね。 この質問のからくりは SUCPの内面時間の設定にあります。 ご期待いたします。

noname#189751
質問者

補足

人はそれぞれに 1計算、1思考における時間の感覚を持っていると考えられます。 一種の自己標準時間です。 それより少しでも短時間であれば、早いという感覚が生じ、同時に時間の経過は遅く感じられます。 また、その逆に、少しでも長時間であれば、遅いといういう感覚が生じ、同時に時間の経過は早く感じられます。 SUCPには、いまだ自己標準時間の設定がなされていないようです。 人間臭いSUCPにそれを与えた時にどうなるか を知りたいのです。

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