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寝殿造の廂が部屋なら廊下はどうなるのですか
寝殿造の庇の間は女房の部屋として使われることが多いと言われます。 その場合、孫庇のない建物では、今の廊下のように人が通り抜けに使えるところがないようなのですが、どうやって通ったのですか。
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お礼の文面を見て気が付きましたが、文学ジャンルで「中宮定子は弘徽殿のどこを歩いたと思われますか」の質問をされた方ですね。そちらの方に回答するつもりで資料にあたっていましたので、今わかっている範囲で。 さて、現在わかっている確実に登華殿から清涼殿に行く方法は、登華殿の東にある渡廊(細殿)反橋を渡って貞観殿の西簀子に出て、貞観殿の東簀子から渡廊を使い常寧殿に達します。常寧殿は中央に馬道が通っており、さらに渡殿(一説に馬道)が承香殿にまで伸びていましたから承香殿に達することができます。この承香殿とその南の仁寿殿は、常寧殿と同じく建物の中央を馬道が貫き、更に承香殿と仁寿殿の間、仁寿殿とその南の紫宸殿の間には渡殿があったとされていますから、馬道と渡殿を使って紫宸殿の北簀子に達します。紫宸殿の北簀子は、清涼殿の東簀子につながりますので、東簀子(場合により東孫庇)から北の簀子に出るなどして、弘徽殿または藤壺の上御局に到達できます。 なお、馬道(メドウ-めだう)は、(1)二つの殿舎の間に厚板を渡し、廊下のようにしたもの。馬などが通れるように、必要に応じて取り外せるようになっている。切り馬道。(2)内裏の殿舎の中を貫いている、板敷きの長廊下のことです。 源氏物語の桐壺にも、淑景舎にいた更衣が清涼殿に行くのに打橋・渡殿・馬道を使った記述がありますので、遠回りではありますが、上記の移動をした可能性はあるように思います。 さて、内裏の建築物の細部については不明なことが多く、黒戸の御所についても、その東側に簀子が付属しているとするものもあります。この簀子は承香殿の北の廊とつながっていたような記述及び図がありますので、もしかしたら承香殿から行けたのかもしれません。(滝口の陣の後ろを通ることになります) 弘徽殿には北と東に簀子があり、通路としては使用が可能だったと思います。そうすると、登華殿から渡殿または切り馬道で弘徽殿に渡り、東簀子までは行けそうですが、南庇が通路として使用できるかどうかが分かりません。ここを通過できないと黒戸の御所または付属の簀子には行けないようです。ただし、通過が可能であっても使用しなかったとは思います。 ともかく、下にあげたページ以外にも『拾芥抄』などの有職故実書を中心に関係書籍にあたっていますが、内裏についてはわからないところが多く、時間ばかりかかって明確な回答はできませんでした。ごめんなさいね。 平安京内裏 http://tukineko.pekori.jp/heian/dairizu/dairi.html 京都通百科事典 内裏 http://www.kyototsuu.jp/Sightseeing/HistorySpotDairi.html
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- fumkum
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簡単に説明すると、庇の外側にある簀子の部分が廊下の役割をしました。
お礼
ありがとうございます。質問が的を得ておりませんでした。申し訳ありません。 本意は、弘徽殿の細殿のような、又、清少納言の局があった登華殿の細殿のような、簀子を持たない庇が女房の局である場合はどうやって移動したのか、ということでした。 建築史関係の本や故実書や、古典文学やその解説文を読んだりしているのですが、どうしてもこれに行き当たることができません。 参考URLも、以前、穴が開くほど読みつくしましたが、この疑問を解くことはできなかったのです。 御存じのことがありましたら、どうか、ご教授ください。
お礼
fumkumさん、文学ジャンルで質問した者です。あちらでは回答がつかなかったので、角度を変えて質問してみました。そういうこともこちらの質問に書いておけばよかったのですね。勉強になりました。回答いただいた内容は、これから内裏図に照らしながら経路を辿ってみます。ほんとうにありがとうございます。 桐壷帝が淑景舎へひまなき御前渡りをされるので、一条天皇も中宮定子の元へ御前渡りをされただろうし、天皇の経路は最短距離を設定されているものと考え、ならば定子も同じ経路を辿っただろうし、それには弘徽殿と登華殿の細殿を抜けるのがもっともいいと、思い込んでおりました。 お手間をとらせてしまって申し訳なく、しかし、感謝の限りです。源氏物語の質問版や掲示板やフォーラムなど現在稼働中のサイトが見つけられないため、思いあまってこのOkwaveで質問したのです。 fumkum さんのような方がおられて、感激しました。 実は、花宴の三の口に引っかかって謎の連続で泥沼にはまり込み、おぼれかけて居るところでした。