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歴史学における南京事件
南京事件の真偽については歴史研究者の間ではもう決着がついている、とのことです。研究者の間では、どのような決着になっているのかご存じの方は教えて下さい。(歴史学研究者以外の人がどう主張しているか、という問題はここでは問うていません。)
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NO5の回答をしたものですが、この問題を「数字の問題ではない」という言い方はまずいということをもう一度書きます。 「数字の問題ではない」という人は、当然のことですが、質問者のような今どういう風な結論になっていますか?という質問に対しても、数字を挙げることはしません。 私は質問者の質問はきわめて普通の感覚で、これに答えないのは、普通の感覚ではありません。 数字の問題ではない、と言って、数字を挙げなければ、「ゼロ」の可能性も含む答えと理解されるからです。 もちろんこの種の問題に正確な数字は無いことを前提として、研究者としての全力を挙げて、数字(範囲を含んだ数字)で表現すべきだと考えます。 因みに私は日本人の関心が南京事件に集中しすぎることに違和感を持っています。 日中戦争の中国人被害は、2千万とか言われていますが、この数字についての議論がほとんど無いことについてです。 もし2千万だったとすれば、南京で何十万だったのか?と言う問題は、おのずからわかってくる、と思われるからです。
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- sync-mag
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No.6です。お礼をいただきありがとうございました。 >「何年か前にあった名誉毀損の裁判」とは、沖縄戦のことでは? 大江健三郎や岩波の勝訴の内容と似ていますね。 →これは南京大虐殺否定派の東中野修道氏を、その著作の中で偽証言者と決めつけられた夏淑琴氏が名誉毀損で訴えた裁判です。 調べてみたら、OK WAVEでも過去取り上げられてました。 http://okwave.jp/qa/q3494339.html わたし自身記憶があいまいだったのですが思い出しました。裁判そのものはあくまでも南京大虐殺の真贋を問うたものではありませんが、虐殺否定派が自説の証拠として夏淑琴氏の証言をウソとしていたことに対し、判決は本物だと認めたのですから、虐殺事件そのものを認めたことに等しいです。 大江健三郎さんの裁判と似ていると感じられるということは、要するに同じようなことをくり返してきたということでもありましょう。 歴史家(研究者)が固有の政治的価値観をもつこと自体は止められないし、なんら非難すべきことではありませんが、それを歴史研究に優先させてしまうならもはや「歴史家」とは名のるべきではなく、活動家でしかありません。
お礼
そうでしたか。大変ご無礼いたしました。 おっしゃるとおり、有ったことを無かったことにしたがる未練学派がいて、いろんな問題について珍説やら捏造やらを振りまいているのですね。 最後の数行を共感をもって読みました。ありがとうございました。
- TANUHACHI
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こんばんは。他の回答者様との遣り取りを横目で見させていただきました。 >あの事件を認定的に見る研究者、笠原十九司氏が10万人とおっしゃるなら、上限としての参考になります。ありがとうございました。 数が特定できないということは、「まぼろし」ではなく、逆に「数え切れないくらいに夥しく殺した」ということかもしれず、それで充分です。これが現時点での研究の到達点なのでしょう。 残念ながら質問者様は山田朗氏が書き下ろした著作の意図を誤解されているとも感じられます。表面的に非戦闘員の数がどうであろうとも「南京事件があったとの事実だけは動かせない」、これが歴史学者としての山田氏の意図です。少なくとも同じ歴史学に属する者の立場からは山田氏の見解を支持できますが、その意図を誤解されたのでは堪ったモノでもありません(お気に触ったらごめんなさい)。 南京をデッチ上げとする勢力の根拠が「殺害された非戦闘員の数」にあることは明白ですから、それを数値データとして否定したことには意味がありますが、それだけで南京事件の全貌を明らかにしたとは言えないでしょう。むしろ相手の挑発に乗ってしまった形です。 この問題は少なくとも僕の認識する限りでは80年代の前半から半ばに掛けての自民党内閣時代の閣僚の発言を受けてのことに起因するものと考えられます(「侵略を進出と書き換えさせられた検定意見」や「南京事件を死傷者の数比べに矮小化させた否定説」)。何れも歴史教育で重要な位置を占める教科書に関わる問題ですのでそれだけ歴史学に携わる者としても敏感になっています。 そうした「数比べ」に終始してはこの問題が語る本質を理解しているとは言えません。それは前回も申しましたように、あの戦争の評価に結び付く問題でもあるからであり、その一つの成果が他の回答者様がご指摘の『日中歴史共同研究報告書』ですが、これも評価に値するとはいえません。その会議に出席している日本側のメンバーが歴史学の専門家であるとはいえない点ともう一つ彼らがひも付き(国立大学やら防衛省の関係者)であるとの点で「公平性」が担保されていないのです(もしここに歴史学それも近代史を専門に研究する人物が一人でも入っていたならば、もう少し内容は変わっていた可能性もあります)。 >歴史学でも原子力学会でも、各階各層に、権力から金を貰って良心を放棄する「御用学者」はいるようです。 それが「日中歴史共同研究」のメンバーです。北岡・坂元の両氏は小泉・安倍両政権当時の理論的支柱を果たした人物です。 >なお、前に回答された方は、「真実などは無い」と主張されたわけではなく、「絶対的真理は把握しがたいと」おっしゃったのだろうと思います。これも研究者の良心の声かと思います。 ありがとうございます。ご指摘の通りです。 >『東京裁判-第二次大戦後の法と正義の追求』に関しましては別途ご紹介させていただきます。
お礼
私が何を誤解していると言うのだろう、と思ってもう一度、山田朗編『歴史教育と歴史研究をつなぐ』(岩波ブックレット712)を読み直しました。そして私の二つの欠点を見つけました。1,紹介の不正確さと、2,問題の中心の把握です。 1について 正確に紹介すると、本書の対談部分で、山田氏ではなく渡辺賢二氏が発言している部分でした。曰く「たとえば南京事件の真偽についていえば、歴史研究者の間ではもう決着がついているということになっていますね。それはその通りだと私も思います。しかし一般の書店へ行き、そこに並べられた本を眺めてみれば、いまだに決着はついてないわけです。やはり歴史研究者も決着がついている、と言うだけではいけないのではないか。国民の歴史認識の問題として決着をつけるためには、歴史叙述のところまで研究して、そこで勝負しなくてはいけないのではないか。映像やマンガやゲームや歴史小説、あらゆるメディアが流す歴史認識のあり方を、我々自身が広くフォローし、分析した上で、その領域に呼びかけることが出来るような歴史研究や歴史教育を確立していく必要があるのではないかと、改めて思います。」(P45の後半) 2について 決着、決着という言葉がよく出てくるので、私はてっきり殺害された人数の論争の決着だと思ってしまいました。そして、あんなに困難な作業の結末が学術的にどうなったのだろうと、そちらに関心が行ってしまいました。しかし、回答者様の仰るとおり、数は付随的な問題で、正確な結論が出るはずもないことです。歴史修正主義者の難癖の土俵に乗ってしまった隘路でした。(本質は、事件自体の存否と歴史的文脈での意義です。) 例えて言えば、子供のケンカの「俺がいつ何時何分にそんなことを言った。ほら言えないだろう、だから俺は言っていない。」という詭弁のような物です。何時何分に言ったかを相手が正確に答えられなくても、言ったことと内容は事実だ、ということは充分にあり得るからです。 政権与党から出た詭弁と、論争に持ち込めば係争中として教科書から外せるという悪知恵にはめられた理解の仕方をしていました。 数は保留にしても、歴史教科書にしっかり明記し次世代に伝えることや、分かりやすく世間に対して叙述することが大事だと、改めて痛感しました。 蒙を啓いていただき、どうもありがとうございました。
- sudacyu
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日中歴史共同研究により、日中双方の認識が明らかになっています。 日本側の見解は、日本の研究者の定説と見ていいのではないでしょうか。 <参考> 日中歴史共同研究:外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html 日本政府・中国政府双方による研究結果で、日本側の公式な事実認定の性格を有します。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 近現代史 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/jc_rekishi_04d.pdf <現在の状況> 近現代史においては、日中双方が自国の認識を相手方に提示。見解の摺り合わせは行われなかった。 日本側は、 ・旧日本軍資料を中心に分析し、南京において、日本軍によって、武器を持たない民間人・捕虜に対して、最大20万人を上限として、4万・2万等の説があることを提示した。 ⇒ つまり、30万人という中国側の数字は、荒唐無稽であることを暗に示した。 ・それに対して、中国側学者からの反論は基本的にはなかった。 ⇒ 日本側の見解は、中国国内においては、一般公開されていない。
お礼
公文書の典拠を明示して下さり、ありがとうございました。 私の記憶では、民間で三国共通歴史教科書を作り始めたのに尻を叩かれるように、政府が重い腰を上げたと思います。高文研から後で修正版も出ました。 政府の文書は慎重で玉虫色ですね。
- sync-mag
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真贋論争については、わたしの知るかぎりNo.5様の言われるとおりです。三笠宮親王だって大量虐殺について認めているのに「なかった」と言い張るのは不敬きわまりない! という冗談は置いておいて、三笠宮が認めているのはほんとうです。軍の高官だったので事態の収拾にたずさわったのだそうです。 真贋論争そのものは双方の言い分を読み比べてみればどちらに説得力があるのか一目瞭然です。歴史家はみな自虐的で信じられんという人もいますが、裁判などに持ちこまれて虐殺否定派が勝った事例はひとつもないことからもわかります。裁判所は虐殺肯定派を勝たせなければならない義理も義務もありませんから。 印象的だったのは、何年か前にあった名誉毀損の裁判で、「(虐殺否定派は)史料の解釈は妥当ではなく、学問研究の成果にも値しない。真実や真実と信ずべき相当な理由は認められない」との判決が下されたことです。じつに印象的な一文でした。 研究の成果としては、実数についてはいまもって確証が得られないが、南京攻略の過程および占領時に軍が捕虜の処分を命じたこと、兵士たちによる組織的および個別の虐殺行為が頻出したこと、大量の避難民敗残兵が流入していた南京市では民間人と便衣兵の区別なく凶行にさらされたこと、その結果「大虐殺」としか言いようのない蛮行があったこと、これらについて意見の相違はありません。 被害者の数は保守派の秦郁彦さんが4万人説を唱え、上限は洞富雄の20万人で、10~15万人というのが多数派のようです。この辺はアンケート調査などあるわけではないので、わたしの印象です。いちおう中国では30万人以上が公式見解と理解しています。 事件の原因や背景、その具体的な経過などはわたしが書いているより、面倒でも研究者の著作にあたってみたほうがよろしいかと存じます。 さて、このような学術研究が教科書などの一般的な知識、世の中の常識となるのにはかならず時間差があります。ものにもよりますが、南京事件のような政治的な論争になるものはどうしても時間がかかります。 ちょっと外れる例かもしれませんが、二年ほど前新聞で、古代の日本は二回王朝の交替があった、という学説が新説として紹介されていた記事を見ておどろいたおぼえがあります。というのも、これは水野佑さんが終戦直後に唱えたものだったからです。半世紀経ちましたが、教科書に載るのはまだ時間がかかりそうですね。 あと、アメリカの進化論のあつかいも似ていると感じることがあります。 1968年にチェコスロヴァキアの自由化・民主化を求めて出された『二千語宣言」というものがあります。そのなかでこんな一節がありました。 「真実は勝つのではない。ただ真実ならざるものが消え去ったあとでなお生き残る唯一のものなのだ」。 少なからざる研究者が真実を知るために真剣な努力を重ねた成果であるなら、その結果が真実にたどり着いたと信じることはできなくても、より真実に近づいたと信じることができると考えています。
お礼
「何年か前にあった名誉毀損の裁判」とは、沖縄戦のことでは? 大江健三郎や岩波の勝訴の内容と似ていますね。 『二千語宣言』という、印象的な文書を教えていただき、ありがとうございます。勉強になりました。 真実が教育に生かされ広く周知されるまでに時間がかかるのですね。ありがとうございました。
- 小林 哲夫(@kobatetu01)
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まじめな質問だと思いました。 真実などは無い、という言う人がいますが、やはりごまかしだと思います。 岩波新書「南京事件」の著者、笠原十九司氏から直接聞いた話です。 一般に言われている30万人説を主張する学者は日中双方に居ないそうです。 学者によって細かい点は違いますが、おおむね10万人前後というところに落ち着いているようです。 因みに、南京事件が無かった、という学者は双方に居ないそうです。 学問(科学)というものは、確実な証拠があるものだけをいうべきだ、という考えがあって、虐殺の総数をいうのは、学問の仕事ではない、という人も居ますが、私はそれは学問という言葉の間違った使い方だと思います。 虐殺総数についての仮説を提示できないような学問は意味が無い、と思います。 日本の学界はこういう無責任な人が多いように思われます。
お礼
あの事件を認定的に見る研究者、笠原十九司氏が10万人とおっしゃるなら、上限としての参考になります。ありがとうございました。 数が特定できないということは、「まぼろし」ではなく、逆に「数え切れないくらいに夥しく殺した」ということかもしれず、それで充分です。これが現時点での研究の到達点なのでしょう。 歴史学でも原子力学会でも、各階各層に、権力から金を貰って良心を放棄する「御用学者」はいるようです。 なお、前に回答された方は、「真実などは無い」と主張されたわけではなく、「絶対的真理は把握しがたいと」おっしゃったのだろうと思います。これも研究者の良心の声かと思います。
- TANUHACHI
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早々の折り返しありがとうございました。 しかしながら質問者様にも一般の方々と同様の誤認とも呼びうる問題点があると感じられます。 >一つ、歴史学として結論が出ているのに、歴史教育としてはずいぶんニュートラルになったままであるズレも、何とかしなくてはと思った。 歴史学にかかわらず、「科学」と呼ばれる学問領域に属する「結論」や「認識」はあくまでも「現在での到達点を示している」にすぎません。歴史学に例を求めるならば、それは「歴史評価」あるいは「歴史叙述」として実を結びますが、それが必ずしも「その史実の“全体”を示している」とは限らないのです。同じ史料を読むにしても、そこから「どの様な問題点を指摘できるか」は研究者それぞれの立場によって異なります。その実例の一つが「南京事件と“その評価”の関係」です。 質問者様は「この問題には結論が出ている」と仰いますが、それでは「南京事件」を巡って現在でも「肯定派」と「否定派」の2つのグループが対峙し、なおかつその両者の内部でも温度差があることも確かです。事は南京事件という一つの歴史事象を日中戦争もしくはアジア太平洋戦争の中で「どの様に位置付けるか」「あの戦争をどう考えるか」との問題と置き換えることもできる問題です。 毎年の八月や十二月になりますと、必ずこの問題が新聞の読者投稿欄に顔を覗かせることもご存知でしょう。表面的な構図としてはタカ派とハト派の争いの様相を呈していますが、歴史学に連なる者としてはこうした争いが如何に不毛な物であるか、との感も否めないことも事実です。歴史学が対峙するべきは「史実(あるいは事実)」であって、それを示す史料とどこまで誠実に向き合うことができるかとの一点だけです。そのためには周辺科学である政治学や社会学などの手助けを借りることも自然です。 現時点での到達点をお知りになりたければ、みすず書房から刊行されている『東京裁判-第二次大戦後の法と正義の追求』に詳細な考察がなされていますので、そちらを一読されることをお勧めします。 なお繰り返すようですが「学問には絶対的な答などない」ことはガリレオの地動説やウェーゲナーの大陸漂移説などの実例からも明らかです。絶対真理はヘーゲルの時代にピリオドが打たれました。 また「歴史学の研究成果」を「歴史教育に反映させること」はとても大切な志向ですが、それも中々に適わず、日本史の教科書でも鎌倉幕府の成立年代に幾つかの見解があることを並記させるまでには相当の時間がかかったとの現実もあります。質問者様がお使いの「ニュートラル」の意味内容ですが、一般的に「中立」と訳した場合、「何に対して」そして「何から見て」の「ニュートラルである」のかが問題となります。世間で「正しい~」と称される表現と全く同一の問題です。この問題に関しても、歴史学の立場としては「事実および事実を語るモノ」に正面から向き合うとしかいえない無力感もありますが、それでも「歴史学と歴史学徒」はそうした事実を歪曲する如何なる力にも抗って生きていかねばならない宿命を背負っているとしかいえません。
お礼
私も学問に絶対はないと思いますが、「現時点での到達点」を尋ねたに過ぎません。歴史学と歴史教育の関係性、ニュートラルの語法などは、山田朗編『歴史教育と歴史研究をつなぐ』(岩波ブックレット712)を踏まえています。 また、歴史学観は、すでにE・H・カーが述べている「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」(『歴史とは何か』P400)を私は支持しています。明治6年政変の研究(とその経緯)などでもその好例をみます。 家永三郎『戦争責任』ではこの問題について明快に結論づけていますが、その10年後の今の歴史学でどうなったかは、当方は不明にして知りません。 『東京裁判-第二次大戦後の法と正義の追求』などの概要をご教示願うわけにはいきませんか。 あるいは、率直に教えて下さる方は他におられませんか。
補足
「お礼」に、数字の誤記が二カ所ありました。お詫びして訂正します。 1,(『歴史とは何か』P400)は、P40です。0がなぜか一つ多く付きました。 2,家永三郎『戦争責任』(中略)その10年後 → 初版から見ればもっと後です。 私がいま持っている文庫版から見て10年後です。
- TANUHACHI
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で質問者様の立場としては「肯定派」と「否定派」の何れですか?。もし否定派であるならば、それに与する補説などの意味で論拠を提示する意思など一介の歴史学徒である私には毛頭ありません。
お礼
強いて言えばどちらでもありません。現代歴史学の到達点としてはどちらなのかということが知りたかったのです。もう一つ、歴史学として結論が出ているのに、歴史教育としてはずいぶんニュートラルになったままであるズレも、何とかしなくてはと思った次第です。
- mekuriya
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南京事件 (1913年) - 1913年に袁世凱配下の張勲の軍隊が南京で在留日本人3名を殺害し、居留民の家屋が略奪された事件。 南京事件 (1927年) - 1927年3月24日、蒋介石の北伐軍が南京で起こした外国領事館への襲撃を理由に、アメリカ合衆国・イギリスの軍艦が南京を砲撃した事件。 南京事件 (1937年) - 1937年12月から1938年初めにかけて日本軍が南京で行ったと東京裁判で判決が下された、多数の中国軍民に対する虐殺等の事件。「南京大虐殺」ともよばれる。事実存否や殺害人数などを巡って議論がある。 どれのことですか?
お礼
真偽とか決着とかと言っているのですから、無論、1937年の事件です。
- 佐藤 志緒(@g4330)
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お礼
こういう本があったのですね。 ただし、読者のレビューによれば、「この本の主題は、南京事件自体の研究ではなく、南京事件をめぐる言説(論じられ方)の歴史だそうです。 ありがとうございました。
お礼
> 数字の問題ではない、と言って、数字を挙げなければ、「ゼロ」の可能性も含む答えと理解されるからです。 なるほど、その通りですね。○~○というような書き方は出来るはずです。これも歴史叙述の問題です。象牙の塔にこもって自ら得たりとするだけでは不十分と思われます。私のような早とちりを生まないために、国民の歴史認識を向上させるために。 ありがとうございました。