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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アリソン殴打事件……南京事件より重要だった?)
アリソン殴打事件……南京事件より重要だった?
このQ&Aのポイント
- 1938年1月26日、中国南京市で、アメリカ領事のアリソンを、日本兵が、殴った事件のことです。
- ニューヨーク・タイムズも、ロンドン・タイムズも、南京大虐殺については、報道しないのに、米領事が殴られた事件は、大々的に、報道しています。
- アメリカ人や、イギリス人にとっては、中国人が、30万人殺されても、記事にする価値も、ないんでしょうか?
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.1
お礼
当時は、たくさんの欧米人が、南京に住んでいたので、南京大虐殺なんかなかったことは、周知の事実でした。 蒋介石は、焦土作戦を取っていました。 日本軍に追われて、奥地へ奥地へ、と逃げていったんですが、「日本軍に渡すくらいなら、焼いてしまえ」と、上海も、南京も、町中、焼き討ちしてしまったんです。 焼く前に、略奪し、強姦し、虐殺をして、放火して、日本軍が来ても、雨宿りもできないように、町中、すべてを焼いてしまったんです。 日本軍が、上海や南京に入ると、「秩序が戻った」と、中国人たちは、喜んだそうです。(日本軍は、規律が厳しく、信頼できたそうです) 日本軍が、南京に入ると、蒋介石軍兵士に殺された中国人の死体が、何万体もあって、その後始末が大変だったそうです。 蒋介石は、日本軍と戦っても、負け続けました。 なのに、なぜ、戦争を続行したか、というと、日本と戦争しているあいだは、アメリカが援助してくれたからです。 アメリカからの援助(金)の何割かを、蒋介石は、懐(ふところ)に入れて、私服を肥やしたんです。 宋財閥が、蒋介石のバックにいましたが、宋財閥も、蒋介石と一緒に、私服を肥やして、巨万の富を築いたんです。 日本との戦争の後、蒋介石は、毛沢東軍と内戦に入りますが、アメリカは、いくら援助しても、蒋介石が勝たないので、愛想を尽かして、援助を打ち切ります。 蒋介石と宋財閥の腐敗は、アメリカでも有名だったそうです。