- ベストアンサー
なぜ南無妙法蓮華経は太鼓の音に合うのであろーか
なぜ南無阿弥陀仏は静けさに合い、 南無妙法蓮華経は太鼓の音に合うのであろーか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
人の道さん、今回は何とか持ちこたえていますね。 この調子で頑張ってください。 くれぐれも“質問者”であることを忘れないように! 「南無阿弥陀仏」は木魚を叩いて“念仏、称名”しますよ。 人の道さんも知っているとは思いますが、昔「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」とどっちが優れているかということで言い争いとなり“老人同士”が殺し合うと云う事件が起きて、マスコミが取り上げた事が有ります。 ばかげたことです。 念仏とは“思い”なのです。口にすればそれが念仏、と思うのは大間違いです。 例えれば、まだ言葉を持たない幼子は泣き声で「母」を求めますが、念仏の根本もこの“幼子”の求め心と同じなんです。 太鼓の音に合うとか、静けさに合うとか、そんな些細なことにこだわらないでほしい。 まあ、でも、・・・・・ 独り言(木魚かぁ、最近聞いてないなぁ。なんとなくだけど、頷けるような気もする)
その他の回答 (2)
- おみみ こみみ(@dreamhope-ok)
- ベストアンサー率26% (147/561)
回答No.2
逆に、ほかで合いそうなものが浮かばない。
質問者
お礼
それはどーかな、 もしかすると太鼓の音よりラッパの音のほーが良く合うかも知れんよ。
noname#184314
回答No.1
そうなるように作られているからです。 最初の音が、太鼓のキー音と同じ音です。
質問者
お礼
とゆーことはつまり、南無妙法蓮華経ゆーのは大音響向けに作られているゆーことなのかな。 しかもこれを大勢の人間が一同に集まって一斉に始めるから大音響を発するのでしょう。 一度公布の広場の大勤行会を見るとよい。
お礼
>念仏とは“思い”なのです。口にすればそれが念仏、と思うのは大間違いです。 南無阿弥陀仏は思いを内に念ずればそれで良いのです。 しかし南無妙法蓮華経は念じてもダメで、大声を張り上げて唱えるゆーのが決まりです。
補足
>人の道さん、今回は何とか持ちこたえていますね。 これはつまり辛うじて持ちこたえているゆーておるんやね。 何故今回は持ちこたえられたのかな。 今までと何か違うのかな。