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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:三軒茶屋とお花茶屋)
三軒茶屋とお花茶屋のいわれや伝説
このQ&Aのポイント
- 三軒茶屋とお花茶屋は、昭和時代に北区で隅田川を分流させ、太平洋に流れる荒川放水路の一級河川になった地域です。隅田川や荒川の周辺は広大な湿地帯であり、将軍家のお狩場として利用されていました。隅田川を渡り、荒川を越えると松戸まで続く広大な平野が広がっています。
- 隅田川の蛇行する地点に位置する小菅には、お花さんの御茶屋と町名駅名があります。また、他にも三軒茶屋という名称のお茶屋があったことがわかっています。
- 三軒茶屋は世田谷にも存在しています。この共通する三軒のお茶屋には、共通のいわれや伝説が存在するのか研究が進められています。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 bungetsuです。 葛飾区の曳舟川(葛西用水路)が流れていた岸部には、曳舟人足がタムロする茶屋は二軒~三軒位あったようですが、一般的には、「三軒茶屋」とは呼ばないと思いますが・・・。 もし、三軒茶屋と呼ばれていたとすれば、世田谷区の三軒茶屋との関係は全くありません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:100_views_edo_033.jpg 八代将軍吉宗が鷹狩りに興じていた際に、腹痛を起こし、その時、それらの茶屋の中で、名を「お花」という茶屋の娘の看病により快気しました。この出来事により、「お花茶屋」という地名を賜ったとされています。 世田谷区の三軒茶屋は、江戸中期以降、社寺参詣ブームで賑わった大山道と登戸道の分岐(追分)付近に信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたことに由来します。この呼び名は文化文政の時代には既に一般的なものとなっていたようです。
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- tanuki4u
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回答No.2
道路ってのは 三叉路になる。 江戸の中心から放射状に道路を作っていけば(自然に作られていけば)どこかで分岐する必要があり、環状線を計画的に作っていない限り、その分岐は 三叉路になります。 とうことで、茶屋が作られてその場所が盛んになると、まずは三軒立ちます。三叉路ですから。 ちょっとした盛んなところ それが三軒茶屋であろうかと
質問者
お礼
有り難う御座います。 三叉路、にぎやかなところが三軒茶屋となるのですね。
お礼
葛飾区のお花茶屋という町名、そして駅名にはまさに吉宗のお狩りの時のエピソードが伝わっています。 確かに三軒茶屋とは呼びません。 でも三軒のお茶屋があったという事です。 世田谷の三軒茶屋も或いは吉宗かどなたかのエピソードがあるのかと思ったのですが、単ににぎやかな道に三軒のお茶屋があったということだったのですね。 有り難う御座いました。