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感情表現について
アメリカ人の友人によく言われる言葉なのですが、(日本語で言うとかなり照れくさいような言葉になるのかもしれませんが)、”君には幸せになって欲しい””君が幸せになる事を望んでいる”...のような。 以前どなたかもおっしゃられていたかもしれませんが、アメリカ人の方は日本人に比べて、感情表現が豊かなのかもしれませんが、このような言葉は日常生活で頻繁に利用するのですか? 日本人の私には恥ずかしくて言えないような気がします。 感情表現について、どなたか詳しい方がいらしたら、お願い致します。
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アメリカに35年ちょっと住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 本当に恥ずかしいからなんでしょうか. 恥ずかしいんですね. でも,その理由をよく考えると,じゃ,なぜ,ストリッパーやAV女優は恥ずかしがらないの? 仕事だからでしょうか. 私は違うと思います. 英語は習うのではなく慣れだ、と言う「慣れ」の一言になると思います. アメリカでは子供の頃から,周りの人が,恥ずかしがらずに言っているのを見ているからでしょう. 文化だと言ってしまえば其のとおりなのですが,今の若い日本人は結構中年の男性が言わない事でも平気で異性に言っていますね. おい・あなたではなく,中年になっても,お互いにチャン付けで呼び合っている日本にいる日本人も知っています。 何事も始めは違和感を感じるものです. しかし,それを乗り越える環境にいるなり,自分で作っていけば,また、自分の感情を相手に分かってもらわなくてはならない、と言う状況であれば,言うのではないでしょうか。 ただ、それが,今の日本では始まったばかりだと言う事だと思います. 男女間のコミュニケーションが必要だと感じ始めたのは、長い日本のコミュニケーションの歴史の中で,ほんの最近ですね. このフィーリングを伝える、と言う事が,英語を使うと言う事にも直接的な影響を与えています。 日本人が作った英語にはどうしてもフィーリングがこもっていない、と言う事になってしまうわけです. 日本語のフィーリングの表し方がこの直接的ではなかった、と言うことも影響していると思います. だからこそ,I want you to be happy.と言う文章を日本語に訳すと今度は「日本語文」になってしまうわけですね. だから「言うのは恥ずかしい」と感じる事にもなっていると思います. 日常生活で,「愛しているよ」と直接的な表現をする人が増えていると思います。 これは,30年前の日本では殆んど考えられなかった事ではないでしょうか。 でも、他のご主人が言っている,とご主人に言えば,ご主人も「俺も言ってもいいか」「俺も言わないといけないか」と感じるようになるわけですね. 奥さんも奥さんで,友達がご主人に言われる事を「羨ましい」と思ってもいい時代になってきている、と言う事でもあると思います. 曖昧に言う日本語が美徳とされてきた時代は終わりかけているのではないでしょうか. ビジネスでの,契約書、なんて必要としませんでした。しかし、白黒はっきり書面に書いて誤解を無くす事は今では普通になってきていますね。 これが始まる頃は,人を信用しないのか!と怒られたようです. 感情表現が豊か,というよりも、それを要求する社会がアメリカにはあるし,日本にも生まれてきているということではないでしょうか。 これは言葉だけではなく,体での表現にも影響を及ぼしていますね. 私が日本に行くと必ず,カップルがみんなの前で抱き合ったりキスしているところを見ます. はっきり言って,脇を歩いている女性を見ると,「なんて事を!」と言う表情ではなく,「ああ,いいな」と言う表情をしているのを見るようになりました.少なくともそう私には感じ取れます. 後数年で,こう言う場面は普通になってくるのではないでしょうか. 私が住んできた35年で,アメリカはこのことについては殆んど変わりがありません. だから余計に,日本が急速に変化しているのが見えるのかもしれません. また,日本には年に多くて2回しか行きませんし. ある日本人が言ってました. 英語で愛のささやきを言うのはスムーズに行くけど,日本語で言おうとするとちょっとね,と.もしかしたら私もそうかもしれません. また、私は私なりに日本語は感情表現がすばらしく、またそれをうまく相手に通じさせる「語学力」と言うものの高さを感じます. 気をつけてね,の一言が、英語ではI love youの意味と私は取ります。其の人を愛しているから,何も悪い事が起らないように,と祈る,また,注意して事故にあわないでほしいと言う愛情の表れだと私は感じます. やさしい甘い言葉で,気をつけてね、と言われた男性は,確実にそれを感じる事ができると思います. アメリカではI Love youと言われてはじめて運転に気をつけます. 早く帰ってきてね,もそうではないでしょうか. 新紺さんだけの特技にしていてはもったいないです. つまり、英語の表現はフィーリングをそのまま単語に置き換えて表現すればいいだけのことです. 日本が表現の仕方が変わってきていると言う事はそれだけ,人によって表現の仕方が違うわけですし,言葉の裏に意味を持たせているのか,単に表現しているのかを判断しなくてはならないわけですね. この表現力と言うものは大変なものだと感じるわけです. よって、若い人たちがより直接的な表現を求めると言う事は理解できる事だと思います. そして,これが,恥ずかしくても求められているなら仕方ない、と言う事になり,更に,恥ずかしいと感じていた表現に慣れて来るわけですね. ある表現を恥ずかしくて言えない、というのは、その環境で育っていない、慣れてなれていない,と言う事であって,この壁を壊す事によって,「一線を超える」事によって,2度目は思ったよりスムーズに言えるという事ではないでしょうか. 最後に,(ごめんなさい,長くなってしまって)日本の男性のほうが恥ずかしがり屋と感じます. そして,女性は言ってもらいたいと感じている,と私は感じます. だから恥ずかしがる男性には言う機会をあげてやる事によって,男性も言う事に慣れるのではないでしょうか. 忘れていました,ごめんなさい. はい、このような表現は日常的にアメリカではします. I want you to be happy. You are always in my heart. I love you from my heart. 確かにこれらを言うのは勇気がいるかもしれませんね. でも、「それじゃ,行ってくるよよ、Luv'u1」はどうでしょうか. love youの所をラビューでさらっといって、振り向いて歩き出す. 奥さん,一日中微笑むことと思います。 I hope more Japanese men will get more guts to say "You are my life!". これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、また、補足質問してください。 DSK
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- kazhanako
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既に回答がでそろっていますが、少し違った見解を書かせてください。在米中、夕方まだ日が明るいうちに子供と スポーツを楽しんでいるお父さんと子供の姿をよく見ました。私は車に乗って、仕事の途中でまだ帰宅前でした。 明確に感情表現したり、日本人から見ると極端にベタベタ する裏には、そうやっていかないと家(家族)が成立、維持できないような荒廃、離婚率の高さがあるようにも勘ぐってしまうこともありました。 石川好ではないですが、歴史のない国ゆえ多かれ少なかれ移民で裸一貫やってきた人達が出身はそれぞれバラバラであってもその新世界に家という自分の歴史の証を作ることへのこだわりもあるのかなぁと、少し回答から逸脱しましたが、見解を書かせていただきます。
お礼
私も少なからず同じように感じた時もあります。日本はとても平和な国(これは戦後から憲法上の理由で戦闘等が無いという意味で)なので、家族がそういった行為によって離れる事は無いということから、相手の無事を祈るといったような気持ちを日常で頻繁には作らないのかもしれない...と。 勿論、おっしゃられた通り、そのような言葉にして表現しないと家族が成立しない、と言った事も背景にはあるのかもしれません。 今回、皆さんの様々なご意見をうかがい、とても参考になりました。有難うございます。
- apple-man
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映画なんか見てても、お父さんが娘や息子に I love you. って言ってるじゃないですか、日本の お父さんが日本語でこれやったら、 家族に変態扱い(笑)だと思うのですが・・・ 宗教的や生活習慣の違いから、言葉の意味 するところが違うわけで、英語を日本語の 意味で直接捉えるとおかしくなるのだと 思います。 このloveの例えで言うと、loveはキリスト教 におけるパワー、超能力のような意味あいがあるので、 loveがあれば、他人を守ることができるという 意味を持ちます。 アメリカ映画でときどき出てきますが、 「私はあなたを愛しているの。だからあなたは 大丈夫! 死ぬわけないわ!」とかいったセリフが あったりしますが、 よく考えると、愛しているのと本人の死は 関係ないようですが、 LOVE=宗教的パワー と捉えると、パワーがあなたを守っていると いう意味と理解できます。 日本語の意味の愛なら、 「あなたを愛しているの、だから死なないで!」 といった感じで、とっても好きだから離れないで という感じになりますね。 そんな違いが多くあるんだと思います。
お礼
そうですね。私自身も、もし自分の父親に"I Love you"と言われたら、少し引いてしまうかもしれません。 英語を深く理解する為には、生活習慣の違いや風習をも理解することが必要であるというように思いました。 有難うございました。
- fun_fun
- ベストアンサー率38% (8/21)
感情表現に詳しくはありませんが、 日本人に比べアメリカ人は確かに感情表現は豊かだと思いますが、アメリカ人だから云々というより英語という言葉が、しっかり文章にして表現しないと通じないという側面をもっているからだと思います。 こんな話を聞いたことがあります。日本では、主人が「おーい、お茶!」といえば奥さんがお茶をいれてきます。これを英語の環境で、「Hey, tea!」と言っても意思が通じません。お茶が欲しいのか?お茶がこぼれているのか?お茶がどうしたの?ということになってしまします。英語ではちゃんと主語をつけて何がどうなのか表現しなければなりません。 ということで、感情表現も「I」という主語をしっかりつけて文章で表現します。日本語だったら「私は」は省いてごまかせるところですよね。 ちなみに私が今でも言うのに抵抗を感じる表現は、"I miss you."です。
お礼
有難うございました。ごもっともです。 私は多分この言葉を言うことができません。
- izaya
- ベストアンサー率35% (51/144)
結論から言うと、「恥ずかしくて言えない」ような言葉が頻繁に出てくるのも、ただの文化的表現のようです。私も同じようによく感じます。 日本語の特異性からも来ているようです。 そもそも日本語は1万年以上も前からの歴史を持ち、我が国固有のものです。ただし文字を持たなかった。 漢字の存在を知っても、中国の言葉をそのままに話さず、表記に使用する際もレ点や書き下し文を発明し、自分達の文法に沿った表現形態にしました。それだけでも600年をかけました。最初は音だけの使用、次に訓読みの発明、平仮名や仮名の発明。全部祖先の努力です。 今では安易にカタカナ表記の言葉があふれて、日本人は意味を失っています。「サービス」も約してみずにそのまま音で使い、概念もそのままになりました。 「ごきげんよう」という挨拶の言葉も「君に幸せになって欲しい」という意味合いですから、同じことはちゃんと使っているのです。ただし、慣用的になってしまって意味を伴っていない。だから、英語などの言葉をそのままに訳してしまって、ダイレクトだなあ・・と感心するわけです。 感嘆詞や感嘆表現に類するものはニュアンスを伝えるものであり、直訳するものではありません。 英語でよく Oh,God! なんて言いますが、「ああ、神よ」なんて意味では本人使ってませんよね。「コン畜生」みたいな意味でしかないこともある。 例えば、あのクラーク先生の去り際の名言「少年よ、大志を抱け」(Boys,be ambition)も実は「みなさん、お元気で」という意味なんですよ。 それともうひとつの考察は日本人の世界観です。 農耕文化である日本人は個と公の線引きは常に集団の中での自分の位置においてなされました(いわゆる「恥」の文化の原型)。言語にはその民族性が色濃く出ます。 主客の区別が明確でないのは、日本語が主語をよく省くところによく出ていると私は思います。 「私は昨日映画に行ったよ」とはあまり言わない。「昨日、映画に行ったよ」ですね。 私、私と主語を入れれば何だか自己主張の激しいヤツに思える。 「机がきれいに並んでいる」 これも日本語にしかないです。机は生物ではないので、自ら「並ぶ」という自動詞では表現しない、というのが英語の発想。あくまでも「並べられている」に過ぎない。 「昨日妹が生まれた」とさえも言わない。 My sister was born. つまり受動態。「妹は昨日生まれさせられた」。赤ん坊が自分の意思では生まれない、と彼らは考える。 自然と一体的な感覚を持つ日本人。自我の主張をはっきりと出さない・・出さなくてもお互い了解できる日本人。 恥かくて I LOVE YOU もちゃんと言わない。 私は案外、そういう日本人が好きですね!まあ、外交や政治などの国際舞台では「NOとはっきり言わないジャパニーズ」は通用していないのですが、それもちゃんと自国の文化の特異性を自覚しないからなんでしょうねえ・・。 ご参考までに。
お礼
とても詳しくお話してくださり有難うございました。 おっしゃる通りかもしれません。 とても参考になりました。
- mudpuppy
- ベストアンサー率51% (48/94)
日本にちょっと長いアメリカ人ですが、確かに日本語にすると照れくさい文になりますね(^^) おっしゃるとおり、アメリカ人の会話や手紙では、普通の友達でも、 Love, ○○○ と手紙を終わらせたり、 I'm praying for you あなたのために祈ってます(ちょっと訳がおかしくってごめんなさい)とか、普通にいいますよね。 やはり、人とあうときにおじぎをする文化と、握手やほっぺにキスをする文化とは、こういう違いがでてくるんでしょうね。 --Hope this helps.
お礼
有難うございました。とても参考になりました。そうですね、文化の違いなのかもしれませんね。
お礼
とても分かり易く説明していただきまして有難うございました。 お話をうかがうまでは、日本でいう、いわゆる"社交辞令"的な言葉として解釈しても差し支えないのか?と考えた事もありました。 日本では、たいしてお世話になってもいないのに、"いつもお世話になっております"などと普通に言ったりしますので。ですが、お話をうかがって、それらの言葉の中には相手の無事を願う"good wishes"が込められているのだと解釈しました。貴重なお時間を割いていただきまして有難うございました。