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自分以外の、ほかの人を人という理由について
家族に対してもうちの人という言い方はありますが、いわゆる他人を人という場合と少し意味が違うように思います。たにんとかいてもタニンと読むよりヒトと読むほうが自然なことも多いと思います。他人という意味でのヒトという言い方の心理学的起源でもよろしいのですがご教示いただければ幸いです。
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質問者様は「『人』は(自分も含む)人間一般を指す言葉なのに、なぜ『他人』を指す『ようになったのか』」とお考えのようですが、もと「ひと」は「われ(自称)」の対義語だったようです。「われひと」の形で。具体例や参考文献は長過ぎるので書きませんが。
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- hakobulu
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#5です。 すみません。ちょっと訂正させてください。 ×「ひとの言うことを聞きなさい」などと言われる場合、言われた当人にから見て「他人と認識する主体」の言うことを聞きなさい」という意味になります。 ○「ひとの言うことを聞きなさい」などと言われる場合、言われた当人にから見て「他人と認識する対象」の言うことを聞きなさい」という意味になります。
お礼
対象が自分から独立して存在しているということに関係しているのでしょうか。ご訂正と追加のご説明に感謝いたします。
- hakobulu
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「ひと」は本来「人」と書くはずで自他を含めた全ての人間を指すのが自然なはずだが、なぜ自分以外の人間である「他人」を「たにん」ではなくあえて「ひと」と読ませる場合があるのか。 というのが質問者さんの疑問なのだと思います。 これは「他人=人」であるが「自分=人以外の存在」という認識が発生している状態だろうと思います。 たとえば「他人事」は「ひとごと」と読ませますが、他人事と認識するのはあくまで【そのように認識する主体】という位置づけであって、人(人間)という括りでは捉えられていないのでしょう。 「他人と認識する主体」の立場を強調的に際立たせようとすれば、「他人と認識する主体」はあくまで「他人と認識する主体」そのものであって「人」という括りにはならない。 結果として、「他人と認識する主体」以外の「他人」を「ひと(人)」と読ませることが可能になる。 ということではないかと思います。 「ひとの言うことを聞きなさい」などと言われる場合、言われた当人にから見て「他人と認識する主体」の言うことを聞きなさい」という意味になります。 この場合、言われた当人は、あくまで「他人と認識する主体そのもの」であって、一個の人間としての人格は無視されている。 極端に言うとこういったニュアンスが込められているのではないでしょうか。 また、そのほうが、「たにんの言うことを聞きなさい」という表現よりも、話者の意図が明確に伝わる一種の技法ともなっているのでしょう。
お礼
興味深いご説だと思いました。主客の問題や近代的自我の問題にも関係しているように思います。日本人は西洋人に比べて自我の確立があいまいであるという説もその根拠があやしくなるように思います。案外人はすべて生きているのは自分だけなのかもしれないとも思いました。ご教示感謝いたいします。
- cxe28284
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自分の夫のことを「うちの人」とよくいいますが、他人であっても家うちを共有している 間柄という事でしょう。 少しは人の言う事を聞きなさい。という場合自分が話している相手にとっては他人 だからでしょう。 人目をはばかるの人は自分以外の他人を指すでしょう。 人は前後の文章によって、自分もその一部であったり、 自分以外の他の人を指したりするのだと思います。 人のうわさも75日。全体としての人。
お礼
同じ語でもいろいろな意味を持っていることが多いのは日本語の特徴の一つかもしれませんが、「…ひとの気も知らないで…」の場合にはこの”ひと”はほかならぬ自分のことだろうと思います。いろいろ調べてみたいと思いました。ご教示感謝いたします。。
- gldfish
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心理学的起源というようなものではなく、必然的に至った言語的用法のように思えます。 自分自身は「人」には違いなくても、もし自分について語りたいのであれば「人は・・」とは言いませんよね。それだと誰のことかわかりませんから。裏を返すと「誰のことかわからない」ということは「おそらく話している本人のことではない」つまり「他人のこと」ということになるのでは。勿論必ずそうなるという話ではなく、「そういう認識に行き着きがち」という観点ですね。 (「私の言うことを聞きなさい」と言いたい時に「人の言うことを聞きなさい」なんて言いますが、この「人」も元々は「自分だけ」を指して言っているのではないと思います。「人全般の言うことを聞け」という一般論の形を借りて自分の意見を述べているようなものですね。)
お礼
なるほど。普遍的な道徳のようなものを考えていましたが、人の話を聞けというのは相手の話には耳を傾けるべきだというような意味ではなく、自分を人一般に置き換えているということですね。ご教示感謝いたします。
- yoshi20a
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「人間」という意味でしょう。 対象のに個性や人格的なものをあまり含まない場合ですよね?民と同じような扱いです。
お礼
抽象的な意味合いが濃いのでしょうか。ご教示ありがとうございます。
お礼
そういうことがあるのですか。かなりはっきり得心できました。成程、ほかの方のご説明でも我に対する語としてヒトを当てはめると納得できる場合が多いように思いました。ご教示ありがとうございました。